不安な未来
学生などの将来の自分に不安がある人に読んでほしい.
過去の僕は未来という不確定なものに絶望していた.
世の中に溢れている歌や教訓などの大半は,未来とは無限大,何にでもなれると,さぞ美しいようにもてはやされている.しかし私からしてみれば,それは一握りの特技や将来をある程度約束された自信のある人のための言葉である.僕のような特にやりたいことがなく,また有名人になるほど人生をかける取り柄や度胸はない普通の人間にとっては,未来とは考えれば考えるほどに不安で胸が押しつぶされそうになるものである.そのためにどうにかなるさと現実逃避をしなければ心が持たなくなってしまう.(良く言い換えれば割り切るといえるのかもしれない)その上で,両親の思惑,他人のプレッシャー,世の中のいう良い人間にならなければならない風潮などが,割り切ったつもりの自分自身をまた現実に引き戻すのである.
人それぞれではあるが,学生時代の途中からそんな不安を抱き始める.そして今の時代大学に進むことは普通になってきている.そのことから俗にいう大企業に就職するためには,良い大学ではないといけないという一巡の流れになっている.大学で何をしたいかより,就職に有利だから,良い人生が送れるからと,大学はあくまでも就職するうえでの過程にしか過ぎない.ここで人生は一度きり,自分のやりたいことをやるのだという,まるで無責任な世の中に溢れている根拠や保証のないことを言いたいわけではない.現代は物事を両極で考えすぎていると思う.良い企業に入らなければ人生が終わるかのような不安を煽る風潮.何をもって良い企業なのかがごっそり抜けているのにもかかわらず,将来に不安を持つ者の不確定な部分に付け込んでくるのである.
立派な家を建てること,妻子を持つこと,美味しいご飯を食べること,世界中を旅してまわることなど,人のやりたいことは多種多様である.それを一概に「良い」で片づけることはできない.無邪気に遊んでいた学生時代から社会人になった途端に人生の大半を仕事中心に生きること.仕事で人生の価値が決まってしまうのか.そんな考えに今の人たちはなりつつある.
そしてその風潮が広まると同時に,対が現れるのも必然である.そんな人間にはなりたくない,やりたいことをやろうと,しかしそれを大声で言うことができるのはある程度名声や富を得た人である.根拠のない自信に人生をかけ,挑戦したことで成功を収める人たちばかりである.この世界は一定の地位や名声がなければ,説得力や共感を得ることはない.そうした要因から世の中で二極した意見しかなくなってしまうのは当然である.しかし成功といえるほどの実績を残すのはごく一握りであり,仕事でエリートになるのもごく少数である.この二極した意見に当てはまる人はマイノリティーであるのにも関わらず,世の中はこの意見で溢れている.
だからこそ,なにも取り柄がない,無名であり,普通の大多数の人間としてこれからの未来に不安を感じる人たちに伝えたい.世の中に騙されてはいけない.自分のことを想って伝えてくれる人もいるかもしれないが,鵜呑みにしてはいけない.もちろん人生を先取りしている経験談を参考にするのはとても良いことだと思う.しかし参考程度にしてほしい.
こうでなきゃ幸せになれないと決めつけることや,生きていく過程の中で一つなにか失敗したら人生が終わってしまうと過度に考え込むのもよくない.そして嫌でも自分の未来に直面し,就職という大きな壁に当たったとき.なにかやりたいことがある人は,人生をかけてやりたいことがあるだけで充分に素晴らしいので,ぜひ諦めないで挑戦を続けてほしい.
そしてやりたいことがない人,自分がどんな大人になるのか,何の仕事をするのか全く見当もつかない人は,その状態は何にでもなれる反面,人の意見を受け入れやすくなってしまう.この人が言うのだからその通りでいいかと妥協してしまうのはとてももったいない.不安になるのは当然で,その不安を払拭するために人が薦めた人生に進むのも本人が良いのなら構わない.しかしそれで本当の自分自身がやりたいことを見失う要因になり,選択肢を狭めてしまうのはとても残念でならない.
すぐに自分の進む道を決めなくてもいい.のんびりゆったりと構え,いい出会いがあればいいなと,木から落ちる葉っぱのように自然に身を任せ,あとは時間の解決で充分である.そして興味があるものに出会った時,不安が一気にやる気へと昇華するのだから.
ただの社会の端くれである僕の意見をここまで読んでいただきありがとうございます.
これから未来に直面する人たちの不安が少しでも緩和されたらそれだけで幸いです.