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JKこわい

作者: 広瀬あおい

ある日、トモヒロは木刀を振り回して荒川の河川敷をぶらぶらしていた。せせこましい住宅が建ち並ぶ人口密集地にある、だだっ広い地面と見渡す限りの空。木刀を振り回していてもギリギリ通報されない非日常感のある空間。ドラマやアニメに出てきそうな風景だ。だが、実際には「柔道着姿で堤防道路をランニングする屈強な学生ども」や「殴り合いのケンカに興じる不良」や「鉄道橋梁の橋脚に壁ドンして『好きだよ』『えええなにーきこえなーい!!』とやり合ってる恋人未満」も「制御不能な大魔力が秘められていたことと、それを発動してしまって止められないことにビビっている主人公」もいない。木刀を振り回している男が、せいぜいいちばん目立っている程度の風景だ。


「ちょっとそこの方!」


もっさりした茶髪を真ん中分けにしている、やけに色白な若い男性だ。聞けばドラマのADだそうで、手配された小道具を忘れてきてしまったので、木刀を譲ってほしいと。


トモヒロは小学校の修学旅行で買った木刀がクソの役にも立たないことに30年以上後悔を引きずっていたため、とても晴れ晴れとした気持ちで手放すことにした。


「お礼と言っては何ですが、ボクが発注ミスして余りまくってる弁当をもらってください」


見ればロケ弁の必殺技、キャストの士気が下がってきたときにしか投入できない高級弁当で名高い「叙々苑の焼肉弁当」ではないか。1食3000円はくだらないこの弁当を発注ミスしたこのADに明日はないなと思いつつ、これも若者の助けになるならと5食分もらって帰ることにした。


弁当5食とペットボトルのお茶5本は重い。レジ袋の取っ手が手に食い込んで痛い。30年間クソの役にも立たなかった木刀とは違い、確実に役に立つアイテム。だけど消費期限が本日中の荷物を公園のベンチに一度おろして、自分も休憩することにする。30年分の利息が手に入ったのに、手にした半日後にはジンバブエドルになってしまう無常感。


もはや1日に5食も叙々苑の焼肉を食べられるような歳ではない。2023年には45歳を迎える。四捨五入すれば50だ。50を四捨五入すれば100だ。母親の歳に追いついてしまった。


目の前でさかんに地面を突いているハトにやるには塩味が強すぎる。動物のエサと中年以降の食事は塩分控えめでなくてはいけない。1日摂取量の目安は6グラム。ラーメンを汁までいったら即刻アウトである。


この弁当の食塩量は分からないが、お茶が胡麻麦茶でないことは確認済みである。おそらく1日に2食だとアウトだ。同い年の母にも無理はさせられない。最悪の場合は期限切れ3秒ルールで明日食べるとしても、どうしても1食余るではないか。


地面にうろつくハトを見るでもなく視界にとらえながら、年齢計算のアバウトさと塩分計算の厳密さに論理矛盾をきたしながら、じっと考えごとをしていると、斜め後ろ上方から声をかけられた。


「おじさんなにしてんの?」


JKがあらわれた

たたかう

にげる

まほう

どうぐ


やばい。たたかうには武器がない。30年前から先ほどまでクソの役にも立たない武器を後生大事にしてきたのに、ジンバブエドルに両替してしまった。ああ何という間の悪さであろう。木刀への幻想を童貞喪失とともに忘却の彼方に置いてきてしまった自分を悔いた。そして、童貞喪失で(間接的に)失ったあの木刀の攻撃力と同じだけのものを咄嗟に用意できるほど、非童貞としてレベルが高いわけではない。魔法使いにもならなかったし、女子と普通に話す免疫のある大人にもならなかった。

JKがベンチの横、弁当の入ったレジ袋とは逆サイドに座ってきた。前門の弁当後門のJK。トモヒロはにげられない。


「もしかして、家族には言えてないの?」


JKが心配と慈愛をないまぜにした表情で覗き込んでくる。木刀を買ったことを母に言えてないのを何故このJKは知っているのか。母には「修学旅行の小遣いは世話になった人への土産を買うためのものだからね」と念を押された。京都には八ツ橋しかないが、探せば何か他にうまいものがあるかもしれない。最終手段は赤福だ。京都に縁もゆかりもないがなぜか売っている。そしてうまい。ただし夕方5時をすぎると完売していることがある。


そして「わたしは八ツ橋のニッキが好かん」と母は言っていた。世話になった人には最悪でも赤福、最高は天井なしだと言っていたのだと理解したのは、はじめて身銭でお年玉をやったくらいの年齢だった。


小学生にはギリギリ分かるか分からないかの行間読み取りレベル。あのとき買って帰ったのは「京都に行ってきましたサブレ」だった。帰宅して荷物と土産を渡した瞬間から母は機嫌が悪くなった。そこでハタと思い出す。修学旅行の小遣いは無駄遣いしてはいけないと目を見て言い聞かせてきた母の顔を。金閣寺のキンピカのキーホルダーはセーフかもしれないが、木刀は一発アウトではなかろうか。その日からずっと木刀は母の目につく場所ではなく、エロ本と一緒に匿ってきたのだ。母さえ知らないはずの事実を、何故このJKは知っているのか。JKを見つめ返している顔がひきつる。


「あー、リストラのことは内緒にしとくから、そんなビビんなくていいすよ!」


木刀のことではなかった。木刀のことは母には内緒にしておいてくれ。頼む。そこだけは頼む。


「おじさん、平日の昼間に公園のベンチでめっちゃ顔しかめて下向いてて、『これがあれかー』と思ってさ」


断じて違う。単なる夜勤明けだ。懸命に誤解を晴らそうと言葉を尽くすと、JKは破顔した。


「やべ、早とちりしてバブみ出しすぎわたし!」


バブみを出されたと知ったトモヒロは無意識にJKの胸元を見てしまった。とてつもなくいけないことをしたような気持ちになった。カラダ、ココロ、オトナ、コドモ。真実はいつもひとつではない。JKはこどもで、さっき見てしまったものは高校生における身長の分布を示すヒストグラムで、二峰性のデータの平均値に意味がないと諭す教訓譚だ。そうだそうに違いない。左が女子で右が男子。2つの山そのものに何の真実もない。何かきっと隠された理由が。


「で、何してたん?」


と言いつつ、距離が近い。もとより世間一般よりもパーソナルスペースを広く取りたいトモヒロは、だからメリケンサックではなくて木刀を買ったのだ。親しい人とも90センチ、赤の他人とは180センチは保ちたい。こんなのVAR以前の問題だ。完全に一線をを越えている。


余裕を失った非童貞は「あっあっ」と言葉にならない声を発して少し弁当側に転進した。


「えっ、ちょっと逃げたっしょ。大丈夫だって。こんなことで通報されたりしないから」


にへらっと笑いながら、せっかくの間合いを即座に詰め切ってくる。


「おじさん、かわいい!」


とか言いながら腿に手を置いてくる。


「わたし、困ってる人のこと、ほっとけない質なんだよねぇ。一人ってなんだかんだ淋しいじゃん?」


今どきのJKってこんないい匂いがするのか。昔は8×4かシーブリーズかメリットで9割だったのに。というか触るな触るな。こっちが触ったら絶対アウトなんだから、あっちが触ってきたんだからあっちがアウトだよな。こっちはセーフだよな。あー、こういう時のVARか。審判の心象なんかに影響されてたまるか。そこも含めてゲーム性だとか言ったやつは俺の代わりに社会的に死ねと心が叫ぶ。


あっちの腿は生足じゃないか。腿をカバーしきれないスカートは果たしてスカートと呼んでいいのか。そんな破廉恥な服装を制服と称していいのか。太ももが。太ももが。太ももががぁー。


トモヒロは完全に混乱した。混乱解除の魔法はない。逃げ場もない。


いや、ないことはない。


トモヒロは弁当5食とペットボトルのお茶5本の入ったレジ袋で自分の腿をガードした。そしてベンチにできたスペースを利用して再度の転進に成功した。


一気におよそ30センチのパーソナルスペースを回復して、厳戒にして限界の状態を脱した。


「うわっ、その弁当なに? 高そう〜! どうしたの? 買ったの? ひとりで食べるの?」


JKの興味が弁当に逸れた。これは望外の効果だ。ジンバブエドルが一瞬の煌めきを放つ。ひとりで食べるわけではないし、買ったのでもない。高そうな弁当を今腿の上で抱き抱えている理由を、木刀を振り回してのくだりからいちいち説明した。


「ってことは」


と、またもやにへらっと笑うJK。


「おじさんの困ってることは、わたしが解決してあげるね♡」


そう言うが早いか、


「いっこちょぉーーーだいっ!」


レジ袋に両手を突っ込んで、ガサガサっと叙々苑の焼肉弁当の箱をひとつ取り出すJK。


「スタッフが誤発注した弁当は後ほどわたしがおいしくいただきましたー」



(了)

はじめて投稿します。

友人から三題噺を無茶振りされて、無理やり書いた文章を加筆・修正したものです。三題噺とは、お題が3つ出たものを織り込んでオチをつけろと言うことでして、この話も3つのお題をねじ込んであります。ひとつは「木刀」なんですが、あとのふたつは話すのも野暮なので言いません。

短い文章なので、さらっと読んでみていただけると幸いです。

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[一言] この作品は一体……? と思いながら気付けば読み終えていました。確かに、JK近い! 看板に偽りなしですね。 主人公の考えが次から次に展開していくのが読んでいて楽しかったです。地の文に出て来るワ…
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