第二十三話
そうか。
いまがその時なんだ。
これが他人の人生をその手にできる、特権。
私はいまからそれを振るって、これまで私を虐げ浮気までした男を断罪する。
いい気分?
そんなこともない。どこか申し訳ない気もしているし、これまでの仕打ちを忘れるなとしかるような声も聞こえて来る。
もちろん、心の中からだ。
ええ、大丈夫‥‥‥後悔するような決断は下さないつもり。
聖女様と、聖教国宰相、そして、お父様が厳しさと正しさを問う目で私を見つめてくる。
ロイデン?
そんな小者はもうどうでもいい。
必要なのは、私達全員の幸せだからだ。
「陛下に申し上げます」
「やめろ、やめてくれ‥‥‥アイナ、お願いだ‥‥‥」
「殿下、私も鞭打ちをやめてくれと幾度となく懇願致しました。その結果がー」
私は上着をゆっくりと脱いでいく。
首回り、鎖骨辺りから、胸元まで彼につけられた、みみずののたくったような、浅黒い傷跡が見えているはずだ。
皆の視線は、憐れみや嘲りを含んで殿下に注がれていたものから、また一転して私へと向けられた。
今度は好奇心と、同情と、覗きこんではいけない王族の闇を見るような。
そんな目つきだった。
「おお‥‥‥なんと、むごたらしい」
「侯女様、お可哀想。あんな目に遭わされてまで我慢なされていたなんて……」
「なんということだ。国を統べる王族の王子が、こんな人を家畜のように扱うなど許されない」
会場を、仄暗い陰鬱な雰囲気が、覆っていく。
夕方になるにはまだ早い時間で、神殿の中には昼の陽光がさんさんと降り注がれているのに、まるでここだけ深夜のような静けさに包まれた。
「まだ、ございます! この場で下着姿にはなれませんが、背を見せるくらい苦でもありません。すべて、そこで命乞いをしている男‥‥‥ロイデン様がつけられたものですわ!」
衛士も、官吏も、侍女も、神官や大臣たち。
私につけられた傷跡のようなものなど見慣れていそうな、戦場を駆け巡る騎士たちですらも。
無言で上着を脱ぎ捨てると、そのまま肩から吊り下げるタイプのドレスを上から脱ぐようにして、大きく開いた背中を見せつける。
「惨い。これが人のすることか‥‥‥」
「まだこれは一部です! 見えないと事にはどれほどのこることか‥‥‥」
「違うっ! それはその女があまりにも言うことに従わないからっ! しつけだったんだ!」
また、ロイデンが醜くわめいていた。
国王陛下は情けない死んでしまいたい、と聞こえるようにつぶやかれてから、息子を一喝する。
それは、魂に響く親の怒りと悲しみに満ちた声だッた。
「婦人に生涯残る傷跡をつけて、それがしつけだとまだ言うか!」
「父上、どうか、どうかお慈悲を! まだ僕は若い、まだあなたの為に働ける! 兄上たちよりも―」
「次期王位に執着し、人の道を忘れた愚か者など、わしの息子ではない!」
「そんな、父上。あんまりだ。そんな‥‥‥」
ロイデンが最後の砦を失ったように、がくりと肩を落として床にひれ伏した。
ひっ、ふひひっ。と理性を無くしたような悲鳴のようにも、笑い声にも取れる声をあげて、彼は身体を丸め、動かなくなる。
「私と、我が父親と家族に向けて行われたこのあまりにもひどい仕打ちには、極刑が相応しいと存じます」
「そなたも、そう言うのか」
「はい、陛下」
これが、あの憎い男。
第二王子につけられた傷の一部だと、皆に知らしめる必要があった。
同情心だの王族の特権だので、罪を軽減させてたまるものか。
こいつには、死こそ、相応しいのだ。
「第二王子様には高貴な方々が静かにその瞳を閉じるような。そのような神殿で行われる罰を。永遠の眠りを捧げて頂きたいと思います」
言い切ったら、心の内側にぽっかりと空いていた穴が急速に埋まっていく気がした。
陛下はこれを断れないだろう。
そして、遺された王族の方々は‥‥‥私を恨むだろう。決して許さないだろう。
だから、もう一つの決断もしなければならなかった。
それは――この土地との別れだ。




