10-3
屋根や屋上を飛んで移動したメロディアとシオーナは難なくという言葉の通りに東門の見張り台…の更にその屋根へ辿り着くことができた。屋根は意匠を凝らしたデザインになっており、ところどころが隆起している。つまりは二人にとっては腰を掛けられるスペースが確保できたと言うことでもあった。
「ちょうどいいですね。座れるし、見張りもできる」
そう言ってシオーナを隣に下ろしたメロディアは悠々とお茶の支度を始めた。場所と状況と、その他諸々が変わればピクニックだ。
「中々酔狂な事をする」
「ティパンニじゃ動きっぱなしでしたから。流石に僕も喉も乾いたし、お腹も空きました」
収納魔法を駆使してお茶や歌詞などをテキパキと用意する。その過程でメロディアにとってはかなり重要な事を見落としていることに気がついた。
急いでそれを確認する。
「そういえばシオーナさんって飲み食いはできるんですか?」
「可能。ただエネルギー補充効率は著しく低い」
「じゃあ効率的なものってなんですか?」
「男性のせい…」
「聞いた僕がバカでした」
そりゃ母さんの指示のもとに改造されてるんだから予測すべきだった。メロディアは自分の浅はかさを呪いながら軽食の用意を済ませる。
しかし、これからしばらく一緒にいるとなるとシオーナへのエネルギー供給問題はついて回る。できれば…いや、確実に代用品を準備しないと。
「でも魔力が接種できればいいってことですよね?」
「そう。だから魔界ではエリクシルを飲んでもいた」
「あ、エリクシルでもいいですか」
エリクシルは『万能霊薬』とも称されることもある秘薬中の秘薬。錬金術の最終奥義の一つとしても数えられており、精製することが極めて困難と言われている。実を言えば作るのは案外簡単なのだが、問題なのはむしろ保存性。
その保存難度を引き上げているのが、「魔力揮発が激しい」という点だろう。
瞬く間に魔力が発散されてしまうので、人間界だと難易度が爆発的に膨れる。大気に魔力が充満していた魔界だからこそ、ある程度の物持ちを保証できていたのだ。それを人間界で精製するとなると労力も金銭的負担も計り知れない。
と、そこまでは一般的な常識論。
勇者と魔王との間にできた出自からして特異なメロディアに、そのような一般論は通用しない。
「エリクシルなら家にありますから、それを使いましょう」
「え?」
「食堂の営業をしているときは毎回仕込んでいるんですよ。一番だしにして色んな料理のベースにしてします」
「…伝説の秘薬を出汁に?」
「お客さんの健康も気を配りたいじゃないですか」
「…」
「それはともかくどうぞ」
唖然とするシオーナだったが差し出されたお茶と茶菓子を見て、更に驚かされた。用意されたのは彼女の故郷であるエンカ皇国で広く親しまれている緑茶と羊羮だったからだ。
「でも…なぜこれを?」
「父がたまに見つけては買ってきてくれていたんです。シオーナさんだけじゃなくて、他の皆さんの好物をね。それを食べながら八英女の思い出話を聞くのが好きでした。そんなことがあったんで、僕も見かけたらついつい買ってしまうんです」
「そう…」
「持っていたのは偶然ですけど。おやつにして他の皆さんから話を聞こうと思ってました」
「ありがたく、頂戴する」
「どうぞ」
シオーナはエネルギー効率がどうこうという問題ではなくて、懐かしさとわざわざこれを用意したメロディアの気遣いに応えたくて、それを口にした。
懐かしい甘さと心安らぐ渋さが胃の腑に染み渡っていく。
するとそれが呼び水になったのか、かつてのパーティとの旅の合間の小休止に羊羮をかじっていたことや、捨てる覚悟を持って出た故郷の懐かしい記憶が次々と湧いて出てきたのだ。
気がつくとシオーナは右目から一筋だけの涙を流していた。その涙の意味は自分でもよく分からない。
一度死を覚悟し、それでも自らの尊厳を冒涜されて慰み者の改造人間に仕立てられた彼女に、どれほどの人間らしさが残っているのかは知れぬ。シオーナ自身が一番それを理解しているはずだった。
しかし、先ほどのメロディアの指摘で勇者スコアに対しての情念は消えていないし、正論で殴られることで怒りを覚えもした。そして差し出された茶と菓子に郷愁を感じたことで、一片くらいは人間らしさが残っているのではないかとも思えてきていたのだ。
シオーナの様子にメロディアは気が付いていないのか、それとも気が付いている上で敢えて触れないのかは知れない。
何もかもが奪われ、魔に堕ちたと思っていたシオーナだったが。心落ち着かせてみれば青い空と流れる雲を美しいと感じ、髪をすく風に心地よさを覚える感覚が残っていると自覚した。
すると自然にメロディアへ礼の言葉を述べていた。
「メロディア。ありがとう」
「いえ。お粗末様でした」
そうして一時のティータイムが終わり、後始末までつけた頃合いでシオーナがピクリと反応した。念のために下半身部分が接近したときにアラームが鳴るように設定していたからだ。てっきり人目につくのを憚って、変装までとはいかなくても隠密行動をするかもしれないという警戒の意味もある。
「来た」
「!」
例のシオーナの下半身を携えた人物がようやく目視できる場所まで現れたのだ。座標データや訪れた方向、他に道行く人間の影が見当たらないことなどから判断してもほぼほぼ確定だ。
ところが。
現れた人物の様子は二人の予想を大きく裏切った。ギャングと言う情報から屈強な大男、もしくは利己的なインテリやくざのような風貌をを想像していた。だからこそメロディアは一瞬目を疑う。街道を真っ直ぐに歩いてくるのは女性だったからだ。
しかしシオーナはメロディアとは全く違う理由で驚いていた。
なぜならこちらに歩いてくるその女性が顔見知りなのだ。その姿を確かめた後、シオーナはぽろりと彼女の名を溢すように呟く。
「ドロモカ…?」
その呟きを耳にしたメロディアは慌てて聞き返す。
「え? 今なんて?」
メロディアの問いかけへの回答を一旦保留にしたシオーナは、両目に施された望遠機能を駆使して東門を目指す人影の顔を確かめる。そうしたところ、疑念は確信へと変わったのだった。
「間違いない。あれはドロモカ」
「…八英女の、ってことですよね?」
「当然」
「あの人が『神盾のドロモカ』…?」
ドロモカは竜騎士ドロマーと同じくリリカムジカ出身の竜族。その二つ名が冠している通り防御のエキスパートである。伝承によればドロマーの事を実の姉のように慕い、彼女に降りかかるありとあらゆる災難苦難を退けるために防衛術を学び始めたのが全ての始まりだと言う。
見れば確かにドロマーとの繋がりを感じさせるような風貌だ。
髪は同じく銀色であるし、トレードマークとして数々の絵画に記される竜の鱗製の兜も健在だ。
メロディアはとうとう最後の八英女を目の当たりにすることとなった。それはそれで感慨深いものがある。しかし彼女が現れたということで、同時に数々の疑問が生まれることにもなった。
何故、シオーナのレッグパーツを持っているのか。
何故、そもそもギャングを襲ったのか。
何故、あれほど伝説に語り継がれるほど慕っていたドロマーと半ば喧嘩別れのようになってまで単独行動を取ったのか。
現れた人物が予想外過ぎて、メロディアはまともに思考ができない。
だがしかし、相手が誰であろうとそんな要注意人物を町の中に入れる訳にはいかない。むしろこの場合、シオーナを絡めた話し合いの余地が生まれたことを感謝すべきかもしれない。
「どうする?」
「行きましょう。できれば仲介を買ってもらえると助かります」
「…了解」
「でも油断はしないでください。ドロモカさんも僕を殺す算段の一つとして武器を調達した可能性もあります。自爆覚悟で起動する可能性だって十分考えられる」
その可能性は低い、とシオーナは進言しなかった。
とある理由によりドロモカは戦闘が目的ではなさそうだと判断していたのだが、理由の説明を求められると面倒な上、時間もかかるのでドロモカ本人に接触をさせて彼女の口から仔細を聞かされた方が効率的だと判断した。
そんなこととは露知らず、メロディアはシオーナの背負うと胸壁を飛び越えて、町の外へと降り立ったのだった。
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