第一章・三話
炉の周りには、壺と呼ばれる精製した素子を貯蔵している容れものが、五基、炉を取り囲むように配置されている。白く、マットな質感に、不思議な文字とも回路ともとれるような溝がぐるりと刻まれた炉。炉が稼働している間は、昼夜問わず、その溝が明滅し、水色や紫、淡い黄色や緋色にぼんやりと瞬く。奏運の技士達以外の人々がそれを見ることは滅多に無いのだが、その幻想的な威風を見た者が、蛍塚と呼んで、町の住人たちは、炉の事を蛍とか、蛍塚とか呼ぶようになっている。一方、周りに配置された壺は、炉に対峙して黒が基調の艶っとした質感で、でっぷりとした、まさしく大きな壺の型をしていた。炉の高さは二十メートルを下らなかったが、壺の高さも四メートルほど、直径も三メートル以上はあり、その巨躯から大黒と呼ばれていた。壺の表面には皹が入っている。この皹は、設計上の皹で、後から付いた傷ではない。壺自身が生成された時に持っていた皹で、奏運の際、この壺に貯まった素子の生成物を励起している時には、この皹が、ゆっくりと這う稲妻のように青紫や白に光るのであった。
九丞が棟を後にしようとした時、思い出したように、
「九丞、東の壺中はどうなっちょるかの。」
山号の爺が訊ねた。九丞は素早く、円筒状の棟の内壁に沿うように設えられた木製の螺旋階段を昇って、二階層目に向かった。
「・・・まだ紫がかってはいません。」
九丞は応える。
「ただ、水面がざわついているような気がします。」
九丞の言うように、東に置かれた壺の水面は、細かく振動しているように見えた。
「そうかの。だとしたら・・・」
山号爺の提案に、少し目を丸くした九丞。
「それは、全員でしょうか?爺様。」
九丞の問いかけに、背を向けたまま、山号爺はひげを撫でて思案しているようだ。そして、そうじゃ、と言った。九丞は、思いのほか、ことが急進しそうなことを山号爺が心配したのだと考えたが、奏運の技師に余計な心配はない。勘が確かだからだ。そうして、十指と呼ばれる奏運の技士が、一同に会する集いが開かれることとなった。
海荒町の南側背中には、黒顎山塊、そしてなだらかな丘陵地帯を経て、町、海、と続いている。虎河は、山塊から丘陵地帯と町を経て、海へとおおらかに注いでいる。風のそよぐ丘陵地帯の、町と海を見晴らすのに丁度良い頂、一本杉の丘と呼ばれる土地がある。その一本杉の懐に、座り込んだ風変わりな男がいる。男はほとんど話さない。ただ、風の音を聞き、鳥と語らい、草花を愛で、動物を使役した。その所作にまるで灰汁が無いので、男は自然に溶け込むように存在し、純粋な人間の姿をしているように見えた。名を、一翼と言った。一翼は、黒甘鳴を使役している。黒甘鳴は人に吉兆を報せる生き物だ。黒甘鳴が鳴けば、事態はうまく行っている。うまく、とは、調和に向かっていると言う意味だ。一翼には、癖と言うものが無かった。彼の行動や態度はパターンを持たず、常に現況に即して振る舞いを変えられた。それが当たり前かのように。そのため一陽は何かとぶつかると言うことが無い。人と意見を違えても、自分の意見を押し通すことも、相手の意見に迎合することも無かった。彼が奏運技士のリーダーであること自体に、奏運の本質が分かりやすく見て取れた。