第八話
「色々あったが……あえて、何も言うまい」
まだ40代になったばかりの叔父は、死の淵でそう言った。
「病院はお前にやる。財産もだ。全て、お前のものだ……好きに、するがいい」
「……」
「私がお前にした事を……謝ったりは、しない。許してくれとも言わん。憎むなり、忘れるなり、好きにしろ」
意外なほど、静かな口調だった。
この男が死ぬ時は、思い切り罵声を浴びせ、嘲笑し、絶望の底に叩き落して……そうして勝ち誇ってやろうと思っていたのに。何故だか私の心は自分でも不思議なぐらいに平静だった。
「叔父様、私はあなたを、恨んでなどいませんよ」
と、私は言った。
「あなたが死んでくれる。それだけで私は満足です」
残酷なはずのその言葉にも、叔父の表情は変わらない。
そうとも、彼はとっくにわかっていたのだ。
私がどれほど彼を憎み、そしてどれほど依存していたのか。
そして今、もう私が彼を必要とはしなくなったのだと言うことを、はっきりと悟ったに違いない。
「安らかにお眠りなさい、叔父様」
ただ静かに、私を見つめたその眼差し……。
たとえどんな形であろうと、私はこの男に守られて生きてきたのだと、思い知らされずにはいられなかった。
父を、母を……無償の愛を注いでくれるはずの全ての者を失った時に、私に手を差し伸べてくれた、もう一つの愛。
それがどんなものであろうと、きっと自分一人では生きてこられなかった。
「叔父様、私は私なりに……あなたを、愛していましたよ」
おそらく、憎まずにはいられないほどに。
幼い日の私には、叔父だけが全てだったのだ。
「……ありが、とう」
最期に手を握ってやると、彼はふと穏やかに微笑んで逝った。
きっと私に毒を盛られたことも、彼は気づいていたのだろう。そして黙って死んでくれた。
赦してくれと……済まなかったなどと言われたら、私は永久にこの男を赦すことなどできなかったに違いない。
だが彼は謝らなかった。
一度も許しを請わなかった。
私は彼の死を願い、彼は黙ってそれを受け入れてくれた。自分を憎んでも構わないと……そう言ってくれた。
それが、彼の私に対する罪滅ぼしだったのだろう。
だから、私は赦せたのかもしれない。
だから、私は泣けたのかもしれない。
どんなに卑怯なやりかたであろうと、確かに私を愛していてくれたのであろう人。
本当に、今思えば私と叔父は、面白いほどに似通っていた。
いいや……多分叔父のほうが、私よりはいくらかマシな人間だったに違いない。
「叔父様……」
私は泣いた。
「叔父様……!」
憎んで、憎んで憎み続けたはずの男。
それでも確かに、私には彼という人間が必要だった。
ああ……神の許しなど私は請わない。
だが、何故だろう?今この叔父にだけは心から詫びたい。全てを失ってしまった今、最後に私に残されたあらゆるものを捨てようとしている今、どうか、赦してくださいと……彼にだけは、謝りたいのだ。
もっとも……
彼とは近々地獄の底で、もう一度会えそうな気もするのだが。