第二話
他人はおそらく、私を強運の持ち主だと羨んだに違いない。
数年前の戦争で父が戦死し、その知らせを聞いた母までが狂死したため、私は別の町に住んでいた叔父のもとに引き取られることになった。そう、あれは確か、まだ私が九つの時……。
叔父には他に家族もなく、肩身の狭い思いをする必要はなかったが、町医者であるこの叔父のあくどい性格と、彼自らは崇高と称える下劣な悪趣味のために、到底馴染むことなどできなかった。
だが、世間的には医者先生の叔父である。その立場を生かして汚い商売もやっていたため、戦争の跡が色濃く残る御時世では、かなり裕福な暮らしを保っていたと言っていいだろう。そういった意味では、戦災孤児であるはずの私にこのような親戚がいて、しかも将来的にも跡取としての立場がほぼ約束されているとなれば、誰もが羨ましく思うのは当然だった。
世間はあの男の悪趣味を知っていたのだろうか?
いや……たとえ知っていたとして、それでも人は私を羨んだのかもしれない。金と、社会的地位が得られるのならば、そんなことは、誰しもやってのける時代だったのだから。
今にして思えば、それでも私は愛されていたのかも……知れない。
だが愛などというものは、大概は迷惑極まりないものだ。
愛して欲しいと……そう心より願った相手からのものでなければ、到底欲しいとは思えない、煩わしいもの。
だが、誰もが真に欲っするものは滅多に手に入ることが無く、世の中には要らないものばかりが溢れている。
だからこそ、人間は皆苦しみもがいて生きていかなければならないのだ。
この狂った世界で、腐った愛の幻想に……それでも確かに、守られながら。
そういった意味では、確かに愛というものは、素晴らしく便利なものなのかも知れないね。
「お前はまるで蛇のようだね」
いつだったか、叔父はそんなことを私にいった。
「美しい……白い蛇のくねる様に、お前はそっくりだよ。時々見せる、そのゾッとするように冷たく……熱っぽい眼差しもね」
かつて神に創られたもののうち、最も美しかった者は蛇だったのだと、叔父はそう私に言った。
「蛇は昔、光と栄光の存在、美しい天使だった。けれど人間をかどわかして、その罪のために汚れ永遠に地を這うものとなった。だが地に堕ちてもなお、この生き物を美しいと思うのは……おそらく私だけではあるまい」
「……永遠に、地を這うもの、ですか」
私は言った。
「では、空を見上げるのは苦痛でしょうね」
私の言葉に、叔父は少し驚いたような顔をした。
そんな叔父に、私は曖昧に微笑み返して続けて言った。
「でも蛇は脱皮をしますから……ある意味、永遠に穢れを知らぬものと言ってもいいでしょう。確かに、美しい生き物だと私も思います」
「……」
痛烈な皮肉に、叔父は言葉をなくして押し黙った。まったく、この男は趣味が下劣だという点以外では、本当に平凡なつまらない男だった。
そしてそれは多分……彼は私が思うほどには悪人ではなかったということなのだろう。
「喩えていただいて光栄だと、そう言ったのですよ」
私はもう一度微笑み、無言の叔父に背を向けて外に出た。
穏やかな日差しの、よく晴れた日だった。
ふとその青い空を見上げ、眩しさに目を細める。
足元には、私の影が……ただ黒く黒く、まとわりつくばかりだった。
まるでそこから地の底に飲み込まれていくように……それは、足元にぽっかりと空いた地獄への入り口のように見えた。