第十三話
「そろそろ戻ろうかと思う」
一時間ほどして、私がそう切り出すと、君はひどくショックを受けたような顔をしたね。
「もう……?」
心なしか、綺麗な声は震えていた。
「伝えたいことは伝えた」
「……仕事、忙しいのか?」
「そういうわけではないが……今日は一晩君の自由を買ってある。たまには、一人でゆっくり休んではどうだ?」
「あんたが帰っちまったら、強欲なマスターのことだ、すぐに俺に別の客をつけるだろうよ」
確かにそうかも知れない。
だが……これ以上、連れ帰ることもできない君のそばにいることに、私は耐えられるのだろうか?
「時間があるなら、もう少し一緒にいてくれよ。居てくれるだけでいいんだ。あんただけなんだよ……俺を、ただの俺でいさせてくれるのは」
懇願する眼差しを、どうして私に振り払うことができるというのだろう?
君は酷い男だった。
無防備に私に縋っておきながら……私の想いを感知しない。
だが、それでも私は良かったのだ。見返りなど要らなかった。与えるだけで嬉しかった。事実、私は時折もどかしい思いに君の残酷さを呪いはしたが、君に何か見返りを求めて迫ったことなど、ただの一度も無かっただろう?
「……いいだろう、一緒にいるよ」
「ありがとう」
心の底から安堵したような声が耳に響いた。
でも君は気づいていない。
私も他の男たちと何ら変わりないことを。
いや……欲望のままに君を貪る男たちのほうが、もしかしたらずっと素直で可愛らしいくらいだ。
私が欲しいのは君の体じゃない。
実際、私は君に対して性的な欲望を感じたことは無かった。
もっとも、君以外の他の誰にもそんなものを感じたことはなかったのだが。
肉体的な関係で解消できる想いならば、私はここまでおかしくはならなかっただろう。少なくとも、君の体の代用品ぐらいは見つけられたに違いない。
だが、私にはできなかった。
それがどういうことなのか……君にわかってもらえるだろうか?
「疲れているのだろう?顔色があまりよくない……いい機会だから、本当にゆっくり体を休めてはどうだ」
「……うん」
「ここへ横になりなさい。私は傍にいるから」
「……うん」
椅子代わりにしていた粗末な寝台を指すと、君はにっこりと微笑んで、すぐに横になったね。
薄化粧の、美しい顔……。
決して女のようだというわけでもないのに、こんな服装も自然に似合ってしまう、完璧な美貌。
「眠りたければ眠るといい」
私がそういうと、君は少し寂しそうに眉を寄せた。
「そんな……せっかく会えたのに、時間が勿体無いよ」
「また会いに来るとも」
「うん、でも……。ねえ、手、握ってもいいかな」
「ああ」
頷くと、君は少し荒れてはいるが形の良い手で、私の手を包むように引き寄せた。
そのまま嬉しそうに、指を一本一本摘んで玩ぶ。
「冷たい。消毒の匂いがする……。綺麗な手だな。指、長いんだ」
私は苦笑した。
「嫌いだ、自分の手は。節が高くて、骨ばっていて……いかにも性格の悪そうな手だ」
「あははは。知ってる?手が冷たい人って、心が暖かいんだよ」
「迷信だ」
「ちぇっ、偏屈。せっかく誉めてやってるのに」
「ははは」
思わず、笑い声が盛れる。
そんな私を見て、君はパッと表情を輝かせて、本当に嬉しそうに微笑んだね。
「笑った」
「ん?」
「あんた、昔からあんまり笑わなかったけど、今日はまたいちだんと笑わなかったモンな。俺……いつか、あんたが心から笑ったとこ、見てやろうと思ってるんだ」
「……」
「ほらまた。そういう微笑も綺麗だけど、なんていうか……上手くいえないけど、あんたって時々俺なんかよりずっと……寂しそうに見えるんだ」