第十二話
しかし、その輝きは見る見るうちに褪せてゆき、君は悲しげな瞳で床に目を落としながら、ポツリと答えた。
「それは無理、だよ。ウチには弟と妹が3人もいるんだ。あの子達を養ってくには、やっぱり俺が働くしかないよ。あんたの収入がどれだけか知らないけど、俺のほうが手っ取り早く稼げるし……」
「では君と、君の兄弟のうち14歳未満のものは引き取ろう。それなら、たしかあと一人だけだったはずだな」
「そうだけど……どうして?」
「君がこの道に入ったのは14の時だったね。だったら、君の兄弟もそうしてもいいはずだ。君ばかりが苦労する必要などどこにもない」
「妹や弟を売れというのか?!」
君は激昂して立ちあがった。
「自立……と言ったらどうかね?」
怒りに震える君の手が振り上げられるのを、私はただ冷静に見ていた。
パシン……と、私の頬が鳴る。
本気の一撃に、しかし、泣き崩れたのは君のほうだった。
「……すまなかった」
と、私は言った。君が怒るだろう事はわかっていたが、泣かせたいとまでは決して思っていなかった。
「悪気はなかった。私はただ……君に、自由になって欲しいと思っただけなのだ。どうかしていた。泣かないでくれ」
私がそう言って君の肩に触れると、君は弱々しく首を左右に振って、それからまるで子供がするように、ドレスの袖でゴシゴシと涙を拭った。
「あんたのせいじゃない。殴って悪かった」
「……君を傷つけてしまった。当然の報いだ」
私がそう答えると、君は縋るように潤んだ眼差しを私に向け、しかしすぐにそらしてしまった。
「あんたと……一緒に行きたいよ」
君はポツリと呟いた。
「でもダメなんだ。俺一人が我慢すれば済むことを……他にやらせる必要はない。そうだろ?」
私に言わせれば、他がやればすむことを君が続ける必要はない……ということになるのだが、これ以上君を怒らせて不興を買うのはごめんだったので、もちろんそんなことは言わなかった。
それでも、皮肉の一つは言わずにいられなかった私の気持ちを君はわかってくれるだろうか?
「そう言うだろうと思っていたよ。本当ならば無理矢理にでもこんな事は止めさせたかったが、君のその崇高な自己犠牲の精神の前では、私の言葉など、なんの役にも立たないのだろうね」
「違う!そうじゃない……あんたがそう言ってくれるのは嬉しい。その言葉に甘えて、一緒に行ってしまいたい。でもそれは……きっと今していること以上に、罪深いことなんじゃないのか?」
そんなことは無い。君に依存して罪を背負わせている君の妹や弟たちも、とっくに君と同罪なのだ。自分自身が苦しめばすむと……そう思っているのは君のエゴに過ぎない。
それとも、君は私が傷つかなかったとでも言うのだろうか?
私がこんなに苦しめられなければならなかったのは、他ならない君のせいだ。
そう言ってやったら、君はどんな顔をしただろう?
もっとも、原因が何処にあるにしても、私が勝手に君に思いを寄せ勝手に苦しんでいるのだから、君自身には何の罪も無いのだ。
そうだろう?つまり君は何の罪も犯していない。
それはただ君が自分自身を罪深いと……そう思っているだけに過ぎなかったのだ。
君は続けて言った。
「俺は、これ以上罪を犯すのはいやだ。俺は男娼だ。望んでなったわけじゃないが、覚悟はしていた。男色は罪だ。俺はもう罪人なんだ。でも……だからといって、いや、だからこそ、これ以上の罪は犯したくない。ほんの少しでもいい、綺麗なものを持ってたいんだ。自己満足でいい。汚したくないものがあるんだ。俺は、誇りを守りたい。たとえこの身が汚されても……それで大事な家族を守れるなら、俺はそれで満足できる。……満足、していたいんだ。わかってもらえるかな」
「……ああ、わかるよ」
君に罪が無いこと、しかし、それでも罪を感じずにはいられないこと。どんなに罪の意識にさいなまれようと、それでも守りたいものがあるということ……。
私にだって、守りたいものはある。
でも、それは自分のことじゃない。
誇りなんてどうでもいい。
自分がどれほど汚れ傷つこうが……私は痛みなど感じない。
でも……それでも同じことだろう?
何を犠牲にしてでも、どうしても守りたいものはあるのだ。
だが心の底では、苦しみから開放されたいと願っている。
そしてそこから逃れられないからこそ……人は自分を罪深いと錯覚し、苦境を自ら正当化することによって壊れかかった精神を守るのだ。
そうでなければ、とても憎悪と敵意を抑えきれない。
そうだろう?
あらゆる苦難を耐え忍ぶ聖人も、苦難に飲まれて狂ってしまった殺人鬼も、人間の根底は皆同じに決まっている。
「この仕事をやめろと強いるつもりはない。ただ……何か困ったことがあった時は、私を思い出して欲しい。遠慮なく頼って欲しい。そう、思っているのだよ」
私は言った。
「私に要らない引け目を感じて、大事な時に私を避けたりしないで欲しい。と言っているのだ」
「あ……」
「四年前、君は私に何の相談も無く、突然別れを告げて去ってしまった。正直悲しかったよ。当時の私に、君を救うための何かができたというわけでもなかっただろうが……しかし今ならば、それなりには力になれるはずだ。もうあんな思いはさせないでくれ」
「あぁ……」
君はそう声を洩らしたきり、その後は言葉にならなくて、顔に両手を当てて、ただ涙を流していたね。
私がそっと肩に手を置くと、君はすがるように私に抱きついてきて、それから何度も、「ありがとう」と繰り返した。私は君が落ちつくまで、そのしなやかな黒髪を優しく撫でて……
「私はいつでも君の味方だ」
と、一言言った。
もっとも「君だけの」味方であって、君の愛するものや守りたかったもののことまでどうにかしてやりたいとは、ほんの少しも考えはしなかったけれどね。