恋の錯覚、愛の万能感
翌日、未の刻、辺りに、私は加賀美の御屋敷に、じかに、お邪魔致しました。私なりに決意を持っての参上であります。
ですが、正直、ここに来るまでは、野犬の巣窟に向かう、子猫のような気分でした。
千代丸様や、千代丸様のご兄弟には、予め、来訪のむねを、お伝えしていたのですが、やはり、というか、案の定、肝心の千代丸様がいません。
未だ、「愚図郎殿」のまま、その辺をうろついておいでなのでしょうか…
やむなく、多比野に探しに行って貰います。
初手から、不吉というか、噛み合わない何かを感じます。考え過ぎかも知れませんが、嫌な予感が致しております。
いずれにしても、本日は私の存念と千代丸様への確認をする為に、ご兄弟ごと、集まって頂きました。
ご兄弟は既に客間にいらしたので、私は、努めて冷静に座に連ねます。
…それにしても、御三方共、イカつい顔つきをしています。長男殿は鍾馗様のようなお顔をしており、次男殿は不動尊のようなお顔をしていらっしゃいます。
三男殿は…赤鬼?のようなお顔でしょうか。
御三方共、妻を娶って、世継ぎもいるとの事ですが、きっと奥方様達は、嫁入りする時、まるで生け贄のような気分だったのでは無いでしょうか?
さしずめ、千代丸様は、加賀美家の奇跡だと思われます。…綺麗なお顔をしていらっしゃるので、母上様に似たのかも知れません。
とかく、色々と考えている間に、多比野が千代丸様を探し出し、この場に連れて来てくれました。
千代丸様は申し訳なさそうにしています。
「千歳様、千代丸を連れてきました!雑炊をタダ食いしていました!」
「すまぬ」
「…立て替えたお代は三倍にして加賀美家に求めなさい」
三兄弟の御三方は怪訝な面持ちで私を見て、千代丸様は、ほほ、に冷や汗を垂らしています。
私は不機嫌でした。
この座に連なるに、遅参した事は千代丸様の尖では無いことは重々承知していたのですが、遅れた事が少し腹立だしかったのです。
何はともあれ、これで、座は整いました。
この、顔が化け物のような三兄弟達の座で、咳払いをすると、私から口火を切ります。
恋情恋慕の塊と化している私は、一重に腹を括っています。
化け物顔などに気圧されてたまるものですか。
「千代丸様を出家させると伺いましたが、本当でしょうか?」
長男殿が低い声で答えます。
「うむ、左様、相違はない」
「それでは、いわれも無く、加賀美家から千代丸様を追い出すのですね」
次男殿が口を挟みます。
「ま、ま、そう言うな、事情は、そこのお供から聞いておるだろう」
私はムッとした顔で返答します。
「殿方の都合を、殿方だけで決められましても、女は女で、腹ただしく思うのですよ」
「…しかし、これは当家の問題、貴女が口出しなさるのは、ちと、筋が違いませぬか?」
次男殿をキッと睨みつけます。
「貴方達には、貴方達のやり方があって、それで千代丸様をお守りするのならば、私には私なりのやり方があります」
「どういうことかね?」
「千代丸様と駆け落ち致します」
千代丸様が、ギクリとしました。
三男殿が大笑いを致します。
「千代丸の存念も聞かずに、でござるか?」
「聞きませぬ、千代丸様は、さんざ、命運に翻弄なされたお方、最後に一度くらい女に翻弄されても、罰は当たりますまい?」
開き直った私の言動に、三男殿は、楽しげに返答します。
「ふはっ、青白い小娘であった貴女が、今では誠に、気丈になられた、いや、恋をした女とは強きものよ。何しろ暗に駆け落ちを認めよ、と言って来るのだからな!」
私は真剣な表情で、確認致します。
「お認めくださいますか?」
加賀美家の三兄弟共に、口を揃えていいます。
「ワシらは知らん、勝手になされよ」
すんなり折れてくれました。
意外でしたが、ご兄弟達なりの思いやりだったのでしょうか?
何にしても、認可が得られて良かったと、私は胸を撫で下ろしました。
しかし、物事とは万事、上手く行かぬものです。
ホッとしたのもつかの間、よりにもよって千代丸様が駆け落ちに反対なさるのです。
「おまちくだされ千歳殿、それに兄上方、拙者はいくさに出陣いたしますぞ!」
座に連なる一同は大層、驚きます。
千代丸様は、いくさから、己が外されるのを恥辱と感じているのでしょうか。
「何故、拙者をいくさから遠ざけまするか!いくさに参戦してこそ武家の面目もたちましょうに」
長男殿が答えます。
「千代丸よ、天仙は天仙らしく浮き世から離れておれば良いでは無いか…」
千代丸様は、ガンとして、長男殿の言い分を拒否するのです。
「いかに拙者に病ありと言えど、生死をかけて戦う兄弟を見捨て、女子と逃げ延びて、それでのうのうと生きといられる程、愚図ではありませぬぞ!」
千代丸様の三兄はその言葉に頼もしさを覚え、私は、恋仲の破滅の危機を感じました。
「千代丸様は私をお見捨てになるのですか!?」
千代丸様は困った顔をして、私に返答します。
「いや、そこは…生きて戻るから心配はいらぬ」
私は呆れて言います。
「それは無理です!」
「やって見なければ分からぬ…うん、」
もう、話になりません…
故に、私は強引に事を運びます。
「今から、駆け落ち致します!」
私が千代丸様の腕を引っ張ると、長男殿が無表情で、次男殿は辛そうな面持ちで、三男殿は大笑いしながら、千代丸様の背中を押してくれるのです。
もはや、抵抗するのは千代丸様のみにございます。
「千歳殿!離してっ!そして、兄上方!押さないで下されえぇ!」
それにしても、まさか千代丸様ご自身が、いくさに出陣する事を望むと、夢にも思いませんでした。
私は駆け落ちの許しを頂くために、この場を設け、千代丸様のご兄弟と千代丸様を説得する腹づもりでいたというのに、返って、裏目に出てしまったのです。
そもそも、私も愚か者でした。
考えてみれば、駆け落ちというのは、許しを乞い願うものではありません。それでも、つい、律儀に断りを入れ、事を進めようとしてしまったのです。
いいえ、本心を丸ごと明らかにすれば、「駆け落ち」という、どこか道に反した事に対して、後ろめたさのようなものがあり、だからこそ、それを肯定して貰い、安心をしたかった、という思いが、心の片隅にありました。
仕方の無い事だの、これしか方法は無いだの、幾度も、自身に言い聞かせてきましたが、結局、誰かに認められなければ落ち延びる事も出来なかったのです。
私は臆病だったのかも知れませんね。
こんなことでは、たとえ駆け落ちが叶ったとしても、俗世では生きて行けない。ということに、私は、今、気がついたのです。
所詮私は、世間知らずの、箱入り娘。常軌を逸するという事が出来ません。
千代丸様に恋をした時、何故か、こんな私でも、自分の望むままに、物事を実現して行ける力が、備わったと思ってしまいました。
それは恋の錯覚、愛の万能感と言う物なのでしょう。
そして、今、世の中や、人生は、恋情恋慕の念だけでは、どうにもならない事もあるという事を知り、私は、今、知ったばかりの事実を、心中で精一杯、否定し、抗うのです。
しかし、翌月には、私の思いも虚しく、無常にも、千代丸様は、いくさに出陣してしまわれるのでした。
あと2回で終了です。