09 部屋からは出るな。~魔力不足の世界~
場所:タークの屋敷(ベッドルーム)
語り:小鳥遊宮子
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ターク様のベッドから出てしばらくすると、メイドのアンナさんが朝食を運んできてくれた。
ターク様の広々としたベッドルームに置かれた、二人掛けの小さなテーブルセット。そこに、一人分の食事を並べるアンナさん。
「ミヤコさんの朝食です」
「わぁ! ありがとうございます!」
パンと卵、そして野菜のスープ。まるでお城のような建物で摂る食事にしては、少し質素な気もしなくはない。
だけど、昨日の昼からなにも食べていなかった私には、ありがたすぎる朝食だった。
私がまた涙目になっているのを見ると、ターク様は警戒するように「泣くなよ」と言った。
どうやら彼は、かなり涙が苦手なようだ。
私は泣くのをぐっと堪えて、「わかりました!」と返事をした。
「ありがとうございます。いただきます!」
勢いよくパンをほお張ると、ライ麦パンのような素朴な香りが、口のなかいっぱいに広がった。
「んー! 美味しいです」
「ずいぶん嬉しそうだな」
幸せそうに食べる私を、ターク様はなにか、珍しいものでも見るような顔で見ている。
「ターク様は食べないんですか?」
「……いや、私はいい」
彼はそう言うと、白いブラウスの上に、金の刺繍が施された青い上着を羽織った。
ブラウスの首元には、フリフリとしたステキなレースの襟飾がついている。
上着の方も、気品と高級感が漂っていて、ずいぶんと上質そうな感じがした。
――昨日は真っ黒で悪役みたいだったけど、今日はまるで王子様みたい! 貴族のパーティーで豪華な食事を摂る予定なのかな?
あまりにも眩しくて、思わず目を細めた私に、「なんだ。私が眩しいか?」と、得意げな顔をする彼。
――はい! 本当に……!
手のひらで目の上に影を作りながら、「うんうん」と頷くと、彼は大真面目な顔でこんなことを言った。
「それよりお前、私が出かけてもこの部屋からは出るなよ」
「はい?」
「外に出ればだれに会うかわからない。お前はまた襲われる危険があるからな。そう何度もヒールはできないぞ」
自分がどんな異世界に飛ばされたのか、少し興味があったけれど、ターク様は私に、部屋から一切外に出るなと言う。
「屋敷内でもダメですか?」
「ああ、昨日のやつらは解雇するが、ここは領主の館だからな。人の出入りが多すぎる。荷運びやら警備やらで、新しく雇ったやつらも大勢いるしな。その点この部屋なら、私がいないときは決まったメイドしか入ってこない。ここにいれば安全だ」
「とにかく部屋からは出るな」と、ちょっとしつこく念をおす彼。どうも私が昨日襲われたのは、運が悪かっただけではないようだ。
「あの、どうして私、そんなに襲われるんでしょうか?」
「そのゴイム印のせいだ。ゴイムにはほとんど人権がないからな」
「ゴイム……」
昨日道端に倒れていたとき、通行人たちのゴイムへの態度は本当に冷たかった。誰一人として、傷ついた女性に手を差し伸べるものはおらず、物珍しそうに眺めていただけだった。
そうかと思えば地下牢に放り込まれ、これでもかと痛め付けられた。
ここまでひどいと、ターク様が私を助けてくれたことが、逆に不思議なくらいだ。
「本当に、ゴイム……ってなんなんですか?」
あらためて尋ねると、ターク様は「うーん」と唸りながら、じろじろと私を眺めた。
「……さっきみたいに泣くなよ?」
「もう、泣きませんから、教えてください!」
私がさらに食いさがると、彼はまた、「仕方がないな」という顔をして、ようやく口を開いた。
「うーん、ゴイムはなんというかな、奴隷の一種だな」
――奴隷……!?
頭をガンッと石の壁にぶつけられたような衝撃が走り、ぽっかりと口を開いた私。
――異世界に急に飛ばされたと思ったら、まさか奴隷になってしまったなんて……。
私の頭には、どこかの暗い洞窟っぽい場所で、強制労働をさせられている人の姿が思い浮かんでいた。
足に枷をはめられ、鞭で打たれながら、重い岩を運んだり、鉱石的なものを掘り出したりしている人々の姿だ。
――もしかして、あの身体中にできていたミミズ腫れはそのせい!?
――でも私、日本の女子高生なんですけど……?
あまりにも現実味がなくて、口を開いたまま、私は「うーむ」と、首を傾げた。
そのあまりにもアホっぽい顔に呆れたのか、ターク様は小さく首を横に振っている。
「その様子じゃ言っても理解できなさそうだ。詳しいことはまただな」
「え、でも……」
「一見平和そうに見えるが、いまこの国は長引く戦いで疲弊している。苛立っているヤツも多い。とりあえず外に出るな」
「戦いですか……?」
「あぁ。国の境にある鉱山の街、ポルールに押し寄せている魔獣との戦いだ。そのせいでこの国は、魔力回復薬や治療薬、武器に使われる鉱石なんかの、あらゆる物資が不足していてな……」
「なるほど、それで魔力が貴重なんですね」
「あぁ、だからケガをすると治療できず死ぬヤツも多い。あまりひどいと私でも手に負えないこともある」
「わ、わかりました……」
青ざめて黙り込んでしまった私を見て、ターク様はまた胸を押さえ、整った顔をゆがませた。
「く……。そんな顔をするな。お前の所有者が見つかるまでは、この部屋に置いてやるから」
「ターク様……。ありがとうございます!」
涙に潤んだ瞳でターク様を見あげると、彼は「だから、泣くな」と、警戒するように身体をのけぞらせた。
「ご、ごめんなさい。気をつけます」
「そうしてくれ」
少し安心したように、「ふぅ」と息をつくターク様。
――とにかくいまは外に出て、昨日みたいな目に遭うのだけは避けたいわ……。
――ここに置いてもらえるなら、こんなありがたい話はないわね。
もし、所有者が見つかってこの部屋を出たなら、私には、奴隷としての厳しい日々が待っているのかもしれない。
鞭を打たれながらの強制労働の日々を想像すると、本当に頭がクラクラしてくる。
だけど、『いまはとりあえず、考えないことにしよう』と、思った私。
――とにかく、まずは食事よ!
嫌な想像を振り払うように、私はぶんぶんと首を横に振って、野菜のスープを飲み干した。