08 達也じゃないけど。~あなたは命の恩人です!~[挿絵あり]
場所:タークの屋敷(ベッドルーム)
語り:小鳥遊宮子
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朝のやわらかい光のなか、肌触りのよいシーツの感触が頬をなでている。暖かいベッドからは、懐かしい達也の部屋と同じ香りがしていた。
――この感じ久しぶり……。私、達也の部屋で寝ちゃったのかな。
――なんだか、とてつもなく長い夢を見ていた気がするわ……。
――きっとあの日、達也がいなくなったところから、全部、全部夢だったんだ……。
そんな希望に満ちた考えが、私の心をフワフワさせている。
目をあければそこに達也がいて、「みやちゃん、ちゃんと帰って寝なよ」って、笑って言うに違いない。
――だけど、すぐに確認するのは嫌だわ……念のためもう一回寝ちゃおう……。
かけ布団をかぶりなおそうと、もそもそしていると、足元から心地よく響く達也の声が聞こえた。
「目が覚めたか?」
「うーん、達也……もう少しだけ寝させて……」
彼が私の眠るベッドに座る気配がする。やさしい手つきで私の頭をなでている。
「傷が……まだ痛むのか?」
「傷……?」
――そんなのは夢だったはずだけど……?
むくっと起きあがった私の目に飛び込んできたのは、腕に刻みつけられたあの黒い刻印だった。
そして、自分が被っている真っ赤なベッドカバー。金の糸で煌びやかな刺繍が施されていて、どう見ても一般家庭仕様ではない代物だ。
さらに上を見あげると、絢爛豪華なベッドの天蓋が見える。
「悪夢の続きか……」
思わずそう呟くと、隣に座っていた彼が不満そうな声を出した。
「悪夢だと? 一晩中私の加護を受けておいて……。おい、こっちを向け」
彼は私の顔をつかむと、グイッと自分のほうへ向けた。金色の光に包まれた彼を見てしまったことで、ここに達也がいないことが確定してしまう。
目の前の彼は、朝の光のなかでも、昨晩と変わらずキラキラに輝いている。
顔も声も、香りまで達也とまったく同じだけど、この人は昨日の……ターク様だった。
――達也じゃない……。
そう思ったとたん、私の目からぼろぼろと涙があふれ出した。
ずっと会いたかった達也の顔が目の前にあるのに、達也とよべないことが、余計に悲しく感じるのだ。
――やっぱり、達也はいないままなんだ。
「な、なんだ? 痛かったか?」
私の突然の涙に、焦ったように掴んでいた手をはなすターク様。
「達也、達也……」
「お……おい、私はタークだ。昨日から……私の顔を見ていちいちガッカリするのはやめろ」
ターク様は怒ったようにそう言うと、苦しそうに胸をおさえ、小さく呻いた。
「く……ミヤコといったな? 本当に変なやつだ。その歳でメソメソ泣くゴイムなんて聞いたことがないぞ」
「ご、ごめんなさい」
「それから、何度も言うが、私はタークだ。人違いはいい加減にしろ」
「は、はい……。ターク様」
「よ、よし。まぁいい……」
苦り切った顔のターク様。
私のケガを治し、いまも心配してくれているこの人に、私は人違いばかりして……と、なんだか急に申しわけなくなる。
「昨日頭をぶつけられた衝撃が強すぎたのか?……いや、その前からお前は変だったな」
ターク様はそう言うと、ベッドに座ったままの私の前に立ち、顔を覗き込んだり、髪をかき分けたりしながら、頭の傷を確認しはじめた。
「とりあえず、一晩で顔の腫れもかなりマシになったな。後頭部の目立つ傷もふさがってきている。数の多い切り傷はまだ跡が目立つな……」
ブカブカのワンピースの、開いた胸元の切り傷を指でなぞり、「まだ痛みはあるか?」とたずねる彼。
思わずビクッとしながらも、私は首を横に振った。
「まぁ痛みがないなら後回しだ。魔力が余ったらそのうちヒールをかけてやるから、それまで待っていろ」
「は、はい」
「傷はともかく、ときどき混乱しているのが少し心配だな……。記憶もまだ戻らないか……」
そんなことを言いながら、今度は頭の傷に手をかざす彼。『寝起きから、なんだかずいぶん熱心だな……』なんて、他人事のように感心してしまった。
その癒しの光を纏った手から、じわじわと入り込む光の粒子がくすぐったい。
彼の熱意のおかげなのか、私の傷の状態は、昨日よりかなりよくなっていた。
――ときどき意地悪な顔をするけど、思った以上に優しいみたい。
――本当に最後まで治療してくれるつもりみたいだし、このひどい世界で、頼れるのはこの人だけだわ。
ターク様の手の温もりを感じながら、そんな事を考えていた私は、ようやく彼にお礼を言った。
「あの、ターク様、治療、本当にありがとうございます。昨日は、本当に死ぬところでした……」
「いや、あれは私の配慮不足だと昨日言ったはずだ」
「そんなことはありません。ターク様は命の恩人です! この恩は必ずお返します!」
「そ、そうか」
「それに、何度も人違いしてしまったこともすみませんでした。私、かなり混乱していて……」
「あぁ。心配は要らない。幻術にせよ記憶喪失にせよ、私の癒しの加護は万能だ。そのうち治るさ」
ターク様はそう言うと、私の頭に手を置いたまま、またほんの少し微笑んだ。彼のやさしさが手のひらから伝わり、胸に染み渡っていく。
気の抜けた私の心に、いろいろな感情が、突然ごちゃまぜに溢れだした。それと同時に、また大粒の涙が、次から次へとこぼれはじめる。
昨日襲われたショック、山に登れなかった悔しさ、異世界に飛んできてしまった実感……。
私が「うあぁん」と声をあげると、ターク様はまた苦しそうに胸をおさえ、整った顔を歪ませた。
「く……おい、泣くなって……」
しばらくは、苦々しい顔で「おい、泣くな」とばかり繰り返していたターク様。だけど、終いには「仕方ないな」といった顔で、私を自分の胸元に引き寄せ、やさしい手つきで髪をなではじめた。
癒しの光となつかしい香りに包まれた私は、ますます感極まって、長い間その胸で泣いてしまった。