可愛い瞬間を見ました
シャルルとセレスティーヌに島を案内してもらったり軽く昼食を摂ったところで、セレスティーヌが戻っていった。
夜のお祈りの準備があるのだそうだ。異世界への扉のために朝も夜もお祈りを続けているらしい。……若干申し訳ないような気がしないでもないな。私たちのためなわけだし。まぁ勝手に連れてこられたんだけども。
「さっきの文献スキャンしたら昼寝でもするかぁ」
部屋に戻ったと同時に人間化したロウガが言う。
この野郎私に抱っこされたまま戻ってきたくせに何食わぬ顔で人間化しやがって。なんて思いながら、私はふかふかのソファに腰を下ろす。
それを見たロウガはタブレットと本を持って私の隣に並んで座った。私が読み上げなければならないからだろう。
ロウガが言ったさっきの文献というのは、魔力を失った妖精は人間になるという話がまとめられた本だった。
「文献っていうか、どっちかっていうとお伽噺みたいだけどねぇ」
「確かにな」
本自体も古ぼけた絵本のようで、文章もどちらかというと子供向けのようだ。
「シャルルたちは耳が尖ってたしレースやローズはそもそものサイズが小さいから人間っぽくないけどあの四人は人間だって言われたら信じそうだったな」
あの人間臭い言い争いを繰り広げていたギルバートたちは髪色や瞳の色こそ奇抜だったが、姿形はほぼ人間だったのだ。
「まぁな。ただ、アイツらは国の代表なだけあって魔力はそこそこあるほうらしい。数値だけを見ればやはり人間じゃなく妖精なんだな、って感じだが」
「へー」
「しかしまぁ、妖精が退化して人間にって考えも理解できないこともないな」
「そう?」
「あぁ、あのギルバートってやつがいる国の妖精たちの祖先は竜だからな」
ロウガがそう言ってタブレットを見せてきた。そこには赤い羽根の生えた蜥蜴のような生き物の絵が表示されている。……これが竜か。
そういえば、あの青い髪の……名前を忘れてしまったけどあの青い髪の男が言っていた気がする。「竜はあなた方の祖先では?」と。
あれ、本当だったんだ。揶揄とかではなく。
「これがどうやってあの男みたいになったんだろね」
姿形がまるで違うし進化したとは思えない。
「何がどうなったのかは分からんが、昨日の文献の束の中に神話があった。月の女神に恋をした竜が女神と同じ姿が欲しいと太陽の神に懇願して……みたいな」
「ふーん」
竜が姿を変えたって話があるのなら、妖精がいずれ人間になるって話があっても不思議ではないのか。
「で、だ。話は変わるがそのギルバート、ものすごく女好きみたいだぞ」
「へぇ」
まぁチャラ男っぽい感じだったもんな。
「エストレリアには公爵家が四つもあるのにあの男が代表に選ばれたのは女たらしだったからだ」
「なんで」
「だから端的に言えばお前を落として嫁にするため」
「あぁ、なんかそんなこと言ってたね」
気を付けろよ、みたいなことさっきも言われたな。興味ないから大丈夫だって言ったけど。
「お前を嫁にするために動くつもりではあるだろうが、現在国には奴の正式な婚約者候補が五人いる」
「五人も」
「ちなみに正式な婚約者候補を狙う女は山ほどいるとかいないとか」
「へぇ、モテるんだなチャラ男」
私の脳内に、あのチャラ男を中心に女たちが泥沼の争いを繰り広げる様子が浮かぶ。
「まぁ公爵だしな」
「あぁ。……そういや私、爵位? とかそういうの全然分かんないな」
言葉は聞いたことあるけれど、ピンとこない。なんか偉い人なんだろうな、程度にしか考えていなかった。深く考えるのも面倒臭いし。
「俺もそう詳しくはないが、とりあえず公爵は王の次に偉いやつくらいの感覚でいいんじゃないか?」
「ざっくり」
「もっとざっくり言えば梗子はこの世界の救世主だ。どの国の王もお前に『助けてください』と頼む側の立場ってことだろ。要するに、お前はどの国の王よりも偉いといっても過言ではない」
「まぁ、確かに」
「そんなお前を口説こうとしているあのギルバート」
「あのチャラ男」
「生意気だろ」
「確かに。近付き方も結構フランクだったしな。もっと跪いて崇めて奉れって話だわ」
そこまでされたら逆に面倒だけれども、なんて思いながらちらりとロウガの表情を盗み見ると、なんとなく呆れた様子の横顔がそこにはある。そして小さな声で「そこまでされたら面倒だろ」と呟いていた。
どうやらこの猫、私と気が合うようだ。
「で、だ。結局何が言いたいかっていうと、救世主だの聖女だのと言われたところでお前自身には魔力がない。この世界で魔力を持たないものは人間であってもなめられる可能性が高い」
「一応助けに来たはずなのに?」
「そんなこと関係ない層が一定数いるんだと思う」
助けに来たどころか勝手に呼ばれたはずなのになめられるとはなんとも理不尽である。
しかし言われてみればシャルルとセレスティーヌ以外はこちらを探るような目をしていた気がする。深く考える余裕がなかったから、なんとなくふんわりとだけど。
セレスティーヌは間違いなく私を敬っていた。あれは何も疑っていない、素直な目だった。
シャルルは……シャルルは、どちらかというと、この世界の住民たちをなめていたような……?
私に「ここにいるだけでいい」みたいなこと言ってたから。
それはそれでどうなんだろう、なんて思いながら小さく首を傾げているとロウガが大きく首を傾げた。
「まだ文献を見ただけで、勝手な推理でしかないんだが……平和なのはこの島だけで島の外は結構ギスギスしてるかもしれないな」
「あのチャラ男と青い髪の男の国はどう考えてもギスギスしてるっぽいけど」
「それだけじゃなく、国内の、国民同士でギスギスしてる可能性もある。魔力至上主義、魔力格差社会……小娘とはいえ一応は救世主に対してあのなめっぷり……」
……暇つぶしで世界を救うみたいなこと言っちゃったけど、この島で引きこもっていたほうがマシだったかもしれない。
それにしてもロウガ、タブレットを見ながらぶつぶつ呟いているが今私のこと小娘って言ったな?
お前も私をなめているのでは? と思ったけど私もロウガのこと猫ちゃんだと思ってるから、ほぼほぼ同じことか。
「……まぁ、でも絶滅するかもしれない説があるんでしょ。ギスギスはともかくピリピリはしてそうだけどね。滅びたくないでしょ」
「そりゃそうか」
滅びますって言われたら覚悟するけど、滅びるかもしれないって言われたら怖いしピリピリくらいはするんじゃないかな。いや、私は世界滅亡の噂を聞いてワクワクしてたタイプの人間だったけれども。
なんて思っていたところ、ロウガが小さく呻ってから私を見上げた。
「ちょっと話が逸れたが、なめられてるんだから絆されるんじゃないぞ」
「分かってるってば。っていうか私にばっかりそうやって言うけど、あんただって美人に言い寄られてうっかりなんてことはないんでしょうね」
「ないな。この世界は猫が極端に少ないらしい」
「……あんたの恋愛対象って猫のみなの?」
「当り前だろ。俺は異種族に興味はないぞ」
「へぇ、そうなんだ。……じゃあ人間の美女が裸で迫ってきてもなんとも思わないの?」
私の問いに、ロウガは完全に呆れた目をして言った。
「じゃあ逆に聞くが、イケメンのスフィンクスが迫ってきたらお前は恋にでも落ちるのか?」
スフィンクスってあれだな、毛のない猫だな。
「恋には落ちない」
「だろ」
ロウガの言いたいことはなんとなく理解したけれど、ロウガが毛のない猫であるスフィンクスを裸と認識していることのほうが気になって仕方がない。毛皮は服なのか……?
そんな私の疑問をよそに、タブレットを片付けたロウガはベッドに登って毛づくろいを始めていた。
「ねぇ、そういえばそのタブレットって充電しなくてもいいの?」
「は? 充電……?」
ロウガが毛づくろいをしていたポーズのまま何を言っているんだお前みたいな顔をしている。
「いや、充電……」
「梗子がいた日本にあるタブレットは電力で動いてるのか? いや、あぁ、魔力がないのか、そうか」
勝手に自己解決して毛づくろいを再開しやがった。
魔力がないのか、って言ってるってことは充電はしなくていいんだな。便利そうだな、魔力って。
ロウガがいた日本ってどんなところなんだろう。
聞いてみようかなと思ったけれど、彼は一心不乱に毛づくろいをしているし、今はやめておこう。聞いたところで行くことはないだろうから。
それからしばらく経ったころ、ロウガは完全に爆睡モードに入っていた。
私はと言うと、まったくもってやることがない。猫に合わせて寝るわけにもいかないし、かといってこの場に娯楽があるわけでもない。
ふと視線を窓の外に流すと、そろそろ日が落ちる頃合いではあるもののまだまだ明るい時間帯のように見える。
部屋の外に出てみようかな。と、ふと思った。別に行動を制限されているわけではないので問題ないだろう。
ロウガは眠っているから、とりあえず一人で近場の散歩でもしてみよう。
思い立った私はロウガを起こしてしまわないようにそーっとそーっとドアを開ける。
レースとローズの先導もなく、シャルルたちと一緒でもなく一人で行動するのはこちらに来て初めてだ。そう思うと少しだけドキドキする。
……迷子になったらどうしよう的な意味で。
いや、でもそんなに遠くまで行かなければ多分大丈夫でしょ。多分。……とはいえ万が一迷子になったら恥ずかしいな。やっぱり大人しく部屋でぼーっとして時間を潰すべきか……?
なんてことを考えながらそろりそろりと歩みを進めていた時だった。
「おや、聖女様。何かお困りですか?」
背後から声をかけられた。
この声はシャルルだ! 助かった!
「あ、いや、散歩でもしようかなって。暇なので」
「そうでしたか」
そう言ったシャルルの瞳が、私の周囲を彷徨っている。
「あぁ、ロウガなら部屋で寝てますよ」
「お昼寝中でしたか」
私の言葉を聞いたシャルルは納得したように微笑む。彼が視線を彷徨わせていたのはロウガを探していたからだったようだ。
ロウガといえば。
「あの、シャルルは魔法を使えるんですよね?」
「使えますよ」
「じゃあこのピアスにかけられてる? 使われてる? 魔法って分かります? 私、これがあるから皆さんの言葉が聞き取れてるみたいなんですけど」
私がそう言うと、シャルルの顔が私の耳に近付く。そして「ほう」と言いながらしばしピアスを見詰めていた。
「この紫魔晶なら、ここクロデナで沢山採れるものですね。聖女様の世界にもあったのでしょうか」
「……紫水晶なら聞いたことあるけど?」
紫水晶ならアメジストのことだし、わりと簡単に手に入るけど、今シャルルが言った言葉に聞き覚えはない。
私が混乱している中、シャルルは「いやしかしこの魔法は……」などと呟きながらまだピアスを見ている。
「この紫魔晶と魔法がなにか?」
「そうそう、私はこれがあるから妖精の言葉がわかるわけなんですけど、ロウガはそれを持ってないから言葉が分からないみたいで」
「なるほど」
「これと同じものがあればな、って思ってたんですけども」
「材料はすぐに揃いますし、知り合いに腕のいい魔術師様がいらっしゃるので作っていただきましょうか」
「そうしてもらえると助かります!」
今までそれとなく通訳しつつ相槌を打つなどしていたので実はわりと面倒だったのだ。だから、本当に助かる。
「聖獣様の物でしたら耳飾りよりも首飾りのほうがいいですね」
「そうですね、きっと可愛い」
首輪をつけたロウガを想像して、私はくすりと笑う。人の姿になってしまえばただの男なのだが、猫のまま宝石付きの首輪をつけるロウガはきっと可愛いと思う。
「今から頼めば明日には出来上がるでしょう。それでは、私は行きますね」
「ありがとう」
「いいえ。聖女様と聖獣様のためですからね」
シャルルはそう言ってにっこりと笑った。
優しい声色に優しい笑顔。それがほんのり胡散臭く感じてしまうのは、ロウガの「絆されるな」という言葉のせいか。それともこの世界の住民をなめているような彼の発言のせいか。
この場から立ち去るシャルルの美しい金髪を眺めながら、私はそっと首を傾げていた。
「……ま、誰が味方だろうと敵だろうと、私にはロウガがいるし」
ぽつりと零して、ロウガが眠っているであろう部屋のドアを見る。
結局そろりそろりと歩き始めた段階でシャルルと出会ったので、それほど離れてはいない。
このまま散歩を続けるか部屋に戻るかを考え始めたところで、今まで見ていた部屋のドアがそっと開いた。
内側から開いたので、開けたのはおそらくロウガだろう。
どうやって開けたのかは分からないが、少しだけ開いたドアの中からぬるりと猫が出てくる。
ロウガも私のようにそろりそろりと歩き出し、私の姿に気が付いた瞬間尻尾をぴんと立てながら駆け寄ってきた。
『なんで一人で出歩いてるんだよ』
と、呆れたような声で呟きながら。
「暇だったから散歩でも行こうかなと思って」
『迷うぞ』
「迷うこと確定かよ」
『確定だろう』
やれやれ、とでも言いたげなロウガだが、私は見逃さなかったからな。
私を見付けた瞬間嬉しそうに尻尾をぴんと立てたこと。
それって、目が覚めた時、部屋に私がいなくてちょっと不安だったってことだよね?
いやぁ可愛い可愛い。
「やっぱ部屋に戻ろうか」
『散歩はいいのか?』
「うん。ロウガが起きてるならなでなでさせてもらえるし暇じゃないじゃん」
『……別に寝てる間になでられても構わないけどな』