熱烈な歓迎を受けました
パリンというガラスが割れるような音がした。
もしかしたら球体が割れたのかもしれない。だとしたらガラスが落ちてくるかもしれない。
そう思った私はロウガをぎゅっと抱きしめたまま強く瞳を閉じる。
しかし想像していた衝撃は、一向に襲ってこない。
恐る恐る片目を開くと、そこはまったくもって見ず知らずの場所だった。
講堂のような、チャペルのような、大人数を収容出来そうな空間。窓はほぼ全てがステンドグラスになっていて光を受けてきらきらと輝いている。
そしてそれよりも輝いているのは、この空間に集まっている人々の目だった。
どうやら私とロウガはそこに集まった人々よりも数段高い位置にいるらしい。たくさんの目がこちらを見上げている。
ふと下を見ると、私とロウガを包んでいた球体は消えており、私は蓮の花のような形の台座に座っていた。
「救世主だ」
こちらに来て初めて聞いた単語がそれだった。
誰が言ったのかは分からない。集まった人々の中の誰かが口走ったのだろう。
その言葉を皮切りに、人々がざわざわし始めた。ついさっきまで惚けたようにこちらを見ていただけだったのに。
「皆、静粛に」
人々のざわめきを鎮めたのは、凛とした一つの声。
発したのは私より一段下、人々より一段上にいた美少女だった。濃い紫色の髪に同じ色の瞳が、それはそれは美しい。
「皆の祈りで、世界の救世主、聖女様と聖獣様が降臨いたしました」
美少女の声に、人々のほうから歓声が上がった。
何が起きているのかはさっぱり分からないが、それはもう見事な拍手喝采である。
『なんだ?』
ロウガが呟いた。
「分かんない。救世主がなんやかんやって」
『あぁ、梗子はピアスがあるから聞こえるのか』
「え、ロウガは聞こえてないの?」
『全然。種族が違うからか、国……いや、世界が違うからか』
めちゃくちゃナチュラルに聞こえてたから全然気が付かなかったけど、あの人たちが使っている言葉は日本語ではないらしい。
さっきまで全然ピンと来てなかったけど、このピアス便利なのでは?
「聖女様、どうぞこちらへ」
「え、あ、はい」
『なんて?』
「どうぞこちらへ、って」
『まぁ、とりあえず下りるか』
私は小さく頷いて、ロウガを抱えたまま花の形の台座から下りる。
抱えて初めて気が付いたが、ロウガが普通の猫に比べたらちょっとデカいので両手でないと抱えられない。というわけで私は差し出された手を取ることはなかった。
私に声をかけ、手を差し伸べていたのは金髪碧眼の美丈夫だった。全体的にものすごく整った顔をしており、絵画から出てきたのか彫刻が動き出したのかのどちらかなんじゃないかと思う。
美しすぎて逆に怖いくらい。
なんて、そんなことを考えながら一段下りて先ほどの美少女がいた場所に立つと、人々からの歓声が増した。
なんだかものすごく歓迎されているらしい。
「ようこそおいでくださいました、聖女様、聖獣様」
美少女は私たちに向けて深々と頭を下げる。それに合わせるように美丈夫も集まった人々までも頭を下げている。
「え、なに? どういうこと?」
『なんて?』
「ようこそって。せいじょ、せいじゅう? って呼ばれてるけど」
『梗子が聖女で、俺が聖獣か?』
「お話はこちらで」
混乱している私やロウガを気にする素振りは一切見せず、美少女は「どうぞ」と私たちを誘導する。
私は一瞬戸惑ったけれど、ロウガが『行こう』と言うのでとりあえず従うことにした。
階段を下りると、集まっていた人々がざざっと避けて道が出来上がる。どうやらそこを通って人々の後ろにある大きな扉へと向かっているらしい。
尋常じゃないほどの注目が集まるので、出来ることならもっと隅のほうとか歩きたかった。
と、考えていた私の視界の隅に、とんでもないものが飛び込んできた。
とても小さくて羽の生えた……あれは?
「ロウガ、ティンカーベなんとかみたいなのがいる」
『……ピクシーか?』
ピ……? っていうかロウガ、全然驚かないじゃん。本当に東京から来たのか? いや私のいた東京とは違う東京だとは言っていたけれども。
いやしかしまさかあんな妖精みたいなのが普通にいるなんて。私はとんでもないところに来てしまったのでは?
「人間だ」
「本当に人間だ」
集まった人々が口々にそう零している。なんだ? もしかして、人間に驚いてる? いやこっちだって今妖精みたいなのがいるってビックリしたところだが。それと同じように……ってことは、人間が珍しい? いやいやじゃあここに集まってるのはなんなんだって話じゃん。
皆が皆羽の生えた小さな妖精みたいな姿なら人間じゃないんだろうけど、ここに集まった人々の大半は人間と背格好も変わらない、普通の人に見える。人間じゃないんだとしたら……何?
少しの恐怖と不安を覚え始めたところで、美丈夫が扉を開く。
「ありがとうシャルル。どうぞ、こちらです聖女様聖獣様」
美少女が美丈夫に礼を言い、さらに私を誘導しながら扉の外に出た。
ふと振り返ると、大勢の人々はさっきのホールのような空間にそのまま残るようだったが、身なりのいい数名が付いてきているのが見える。
赤だったり青だったりと髪色が随分とカラフルだ。よくよく考えてみると、さっきこっちを見てた大勢も皆カラフルだったな。わりと皆パステルカラーっぽくて、私の平凡な黒髪が逆に目立っていた気がする。……染めてんのかな?
そんなすっとぼけたことを考えていたら、どうやら目的の場所に辿り着いたらしい。
装飾の少ないただただ広い部屋の中に、円卓が用意してあった。
「こちらへどうぞ」
美丈夫が椅子を引いてくれた。とりあえず、座るべきか。
「どうも」
「聖獣様の椅子はどのように?」
「ロウガ、椅子に座る?」
『梗子の膝でいい』
「椅子はいらないそうです」
お前結構重いんだが? と思いつつもそう答えると、美丈夫はふわりと微笑んで私の左隣に座る。ちなみに右隣には美少女が座っていた。
言われるがままについてきて、なんとなく座ってしまったが、私はこれからどうなるんだろう。ここはどこなんだ。そしてこの人たちは誰なんだ。と、混乱が止まらない。
今この室内には私たちと美少女、美丈夫のほかに四人の謎の人物がいる。
一人は赤い髪の男。すらりと背が高く、こちらもわりと美丈夫ではあるけれど、にこにことした胡散臭い笑顔でこちらを見ていてなんとなく嫌だ。チャラそう。苦手なタイプだな。
もう一人は青い髪の男。中肉中背で大人しそうに見えるが、穏やかではなさそう。ちらちらと周囲を窺う様子を見るに、大人しそうな顔して実は狡猾……みたいな印象だ。こちらも苦手なタイプだ。
もう一人は緑色の髪の男の子。おそらく今ここに集まっている人たちの中で一番緊張しているであろう面持ちだ。背はあまり高くなく、可愛らしい顔をしている。苦手か苦手じゃないかで言えば、まぁまぁ苦手だろうな。
最後の一人はオレンジ色の髪の美女。セクシー系美女。その気になればこの場にいる男ども全員を手玉に取ることも可能なんじゃないかってくらいの美女。頭もよさそうである。それほど苦手意識は湧かない。美女だからか。
全員が椅子に腰を下ろすと、隣にいた美少女が口を開いた。
「聖女様、聖獣様、どうかこの世界をお救いください」
……なんて?
そもそもここがどこなのかとか何がどうなっているのかとか、まずはそちらから教えてほしい。
「セレスティーヌ様、聖女様は混乱しておられます。本題に入る前に僕から少し説明をさせてもらっても?」
「え、ああ、そうね。じゃあお願いするわ、シャルル」
二人の会話を聞くに、美少女の名はセレスティーヌで美丈夫の名はシャルルらしい。様付けで呼ばれているし、立場は美少女セレスティーヌのほうが上みたいだ。
「聖女様、説明すると長くなります。ですので僕が順を追って説明していくので分からないことがあればその都度質問をお願いします」
「えぇ……まぁ、はい」
そもそも聖女って何って話なのだが、説明を聞く前に質問をしていたら話が進まない気がしたのでとりあえず美丈夫シャルルの話を聞こうと思う。ロウガも何も言わないので今のところ文句はないのだろう。
「現在、この世界は危機に瀕しています」
そう言ったシャルルは、部屋の隅に控えていたお仕着せの女性に目配せをする。するとその女性は待っていましたと言わんばかりにせかせかと動き出して、書類のようなものや書物のようなものを持ってきた。
シャルルがその中から一枚の紙を取り出す。どうやら地図らしい。右上に小さくクレセイルと書かれている。
中央に丸い島があり、大陸がそれを取り囲むように、三日月形に広がっている。
「世界地図です」
「世界地図」
……と、いうことは? ここは地球ではないということか? と小首を傾げていると、ロウガが地図にそっと左の前足を乗せた。何をしているんだ。
『スキャンする』
肉球で? まぁいいや。
「ここが現在地。祈りの島クロデナです」
シャルルが指でとんとんとさしたのは中央の丸い島だった。そしてその指をするすると動かし、何もない海の上を指す。
「近年、この辺りに突如小さな島が出現し、高い高い塔が立ちました。魔王が魔物に立てさせたフォルスの塔と呼ばれています」
「へー」
と、適当に相槌を打ちつつロウガにも説明をする。しかしこの通訳スタイル面倒だな。ロウガにもピアスがあればいいのに。
「魔物たちは神出鬼没であり凶暴。そして民たちの魔力が薄れていっている今、魔物たちの侵略は凄まじいものとなっていて……」
『滅びそうなのか』
「滅びそう?」
「はい」
ロウガの言う通りだったようだ。
『こいつら、俺たちを聖女だの聖獣だのと呼んで魔王を倒させようとしているんじゃないのか』
「え? え、もしかして私たちに魔王を倒せって言いたいんですか?」
ロウガの言葉をなぞる。するとシャルルは小さく苦笑を零した。これはほぼ肯定と言っても過言ではないやつではないだろうか。
そっとセレスティーヌを見れば、彼女は彼女で私たちに猛烈な期待の眼差しを向けているではないか。
いや無理でしょ。明らかに無理でしょ。そこら辺の人間と喧嘩しろって言われるならまだなんとかなるが、魔王って。魔王ってなんだよ。全然ピンとこない。
「こちらの文献をご覧ください」
そう言って出されたのは書物だった。随分と古い書物のようで、ところどころ変色して分かりづらい。
分かりづらいけれど、そこには杖を持った女性と尻尾が二股に分かれた猫が描かれている。……私たちでは?
私は膝の上にいるロウガの尻尾を確認する。
「尻尾二本あるじゃん」
『今更』
出会った時からずっと二本あったらしい。知らんかった。
「クレセイルは過去何度か危機に瀕してきた、と書かれています。そのたびに異世界から人間の女性である聖女様と猫と呼ばれる生き物である聖獣様が救世主として招かれている、と」
「人間の……ってことは? あなたたちは人間では?」
「我々は、妖精です。ここクレセイルは、妖精たちの世界なのです」
「……人間は一人も」
「いません」
「え、その、シャルルさん? あなたは人間ではなく」
「シャルルで構いません聖女様。僕は妖精です。種族で言うとエルフです。そちらのセレスティーヌ様もエルフです」
エルフって何? と小さな声でロウガに尋ねたところ、タブレットを使って後でまとめて説明するから聞き流しとけと返ってきた。私は通訳に専念したほうが良さそうだ。
この場にいる赤い髪や青い髪の男、その他諸々も種族は違えど妖精らしい。
一人ずつ説明を受けたが専門用語みたいな言葉の羅列が全然分からなかったので、お仕着せの女性に紙とペンを持ってきてもらって全てメモした。必死で書いたけど、ちんぷんかんぷんだわ。
ここにいる人たち……いや、妖精たちのことは後でロウガに話を聞くから今は置いておくとして、はっきりしておきたいことがある。
「要するに、この世界が危ないってこととここにいるのが皆妖精だということはなんとなく分かりました。で、結局私は何をさせられそうになってるんですか?」
「この文献通り、各国の聖宝石を集めてフォルスの塔へ向かって欲しいのです。そして聖宝石の力を解放し、魔王を」
「倒せ、って? いやいやいや無理でしょ。私普通の人間ですよ? 確かになんか変な杖は持ってるけどこれは売りつけられただけだし」
『面白そうなのに?』
どこが?
「お願いします聖女様」
「無理無理。元の世界に帰して。そんで他の女を呼んでその人に頼んでください」
「無理です……」
美少女セレスティーヌのほうからとんでもなくか細い声が聞こえてきた。
「セレスティーヌ様とこの島の民たちが一年間祈り続けてあなたを召喚したのです。あなたを元の世界に帰すにはまた一年間祈り続けて異世界への扉を作るしかありません」
「え、一年もかかるの!?」
勝手に、そして強制的に呼んでおいて帰れないなんて。
「はい、一年。あなた方をこのまま帰すにしても、一年はお待ちいただくことになります」
「一年待ち」
うーん……一年待つだけってのは暇だな。
「その間、魔物たちが待ってくれることはありません」
「……そうか。え、じゃあその扉ってのを待ってる間にこの世界が滅ぼされるなんてこともあるかも?」
「そう、ですね」
滅ぼされたら、扉を作る人……いや、妖精がいなくなるのでは?
「ロウガどうする? 元の世界に帰るには一年待たなきゃいけないんだって」
『一年もただ待つのは暇だな』
私と同じこと考えてる。
「でも私、人間以外と戦ったことなんてないけど」
『その辺はなんとかなるだろ。俺も魔法は使えるわけだし。……っつーか人間とは戦ったことあんのかよ。さすが元ヤンだな』
元ヤンはやめろ、という意を込めてロウガの胸毛あたりを全力でもふる。ロウガはちょっと嫌そうに身をよじっていた。
「あの、聖女様」
セレスティーヌの声に、顔を上げる。
「この世界を、助けてください」
「……まぁ、はい。わかりました」
そんなわけで私たちは、暇つぶしのために世界を救うことにしたのだった。
梗子さんは猫がとても好きです。
以前拍手に書き直し前のアオイロを公開してくださいといった旨のコメントをいただいたのですが、そちらは完全に削除してしまったので是非こちらの更新を気長に待っていただけたらと思います申し訳ございません……!




