29.終焉(1)
「……ここか」
ベレッドの最北……祠の塔に着いた。
ウパを降り……上を見上げる。
「思ったより……高いな」
「ミズナ、大丈夫そう?」
セッカが十馬を抱えた水那の方に振り返って、心配そうに聞く。
「大丈夫。私、何だか……前よりも、元気なの」
水那が少し微笑んだ。
「じゃあ……行くか」
俺が言うと、二人は頷いた。十馬も「あー」と言って両腕をぶんぶん振り回していた。
塔の中は、螺旋状の階段がぐるりとついていた。ところどころ壁に穴が開いていて、外が見える。
ベレッドの集落や山が一望できた。今は、どこもかしこも真っ白だ。
頂上近くになると、階段は真っ直ぐにつけられていた。一番上に……扉がある。
「……来たか」
俺が扉の前に立った瞬間、中から女性の声が聞こえた。
「……はい。失礼します」
俺はゆっくりと扉を開けた。
そこには……ヤハトラより小さめの神殿がつくられていた。
その中には、他の三つの国でも見た、祠。丸い穴からは闇が蠢いていた。
……ジャスラの涙の輝きは、見えない。
その前に……一人の女性がいた。俺より年上のようだ。どことなく……ネイアと雰囲気が似ている。
「ネーヴェ様ですね。初めまして、ソータです。今回は集落での手配……どうもありがとうございました」
俺は深々とお辞儀をした。
「ありがとうございました」
水那も隣で頭を下げた。セッカも慌てて頭を下げる。
水那の腕の中の十馬は「あー」という声を上げてご機嫌だった。
「何……大したことではない。旅は……これで最後。予期せぬことがいろいろ起こったようだが……結果として、ジャスラに平穏をもたらしてくれたのだから」
「平穏……」
水那が呟く。
確かに……単なる闇の回収だけではなかったな。デーフィの森の怪獣を倒し……ハールではレッカが国を平定する手助けをしたから。
「……では、頼む」
ネーヴェが神殿の脇にすっと控え、跪いた。
――これで最後だ。
俺は深呼吸すると、鳩尾を押さえた。勾玉の力に……意識を集中させる。
『――ヒコヤイノミコトの名において命じる。汝の聖なる珠を我に。我の此処なる覚悟を汝に。闇を討つ浄維矢を賜らん……!』
勾玉の宣詞……それに応え、右手に……浄維矢が現れる。
周りに誰もいなくなった。目の前にあるのは、祠の丸い穴と……蠢く闇。
俺は弓を引き絞り……浄維矢を放った。矢が丸い穴に穿たれ……光が溢れる。
そして一つの大きな丸い珠になり……浄維矢の軌道を通って俺の胸の奥に納められた。
「……!」
胸の奥がしめつけられるような感覚に……顔が歪む。
やがて視界が元に戻り……俺は神殿を見上げた。祠の丸い穴からは……ジャスラの涙が輝いているのが見える。
隣の水那を見ると……自分の胸を押さえ、跪いていた。
ネーヴェと同じように……祈りを捧げていたのだろうか。
「……御苦労であった」
ネーヴェが深く頭を垂れた。
「これで……そなたの旅は……終わりだ」
「……」
“……ソータ。最後の……ベレッドの祠も、終えたようだな”
ネイアの声が胸の中から聞こえた。
「……ああ」
“今から……わらわとネーヴェ、そして勾玉の力を合わせ……そなたらをヤハトラに移動させる”
「えっ!」
思わず辺りをキョロキョロする。
「今からって……今!?」
「そうだ」
今度はネーヴェが答えた。俺に寄り添わなくても……ネイアの声は彼女にも届いているようだ。
「セッカ、水那……俺に掴まってろ」
「えっ?」
「へっ?」
事情がよく飲み込めていない様子の二人の腕を取る。
左腕でセッカの腕を掴み、右腕で十馬を抱いている水那を抱えた。
“ヤハトラの巫女、ネイアの名において命じる”
「ベレッドの巫女、ネーヴェの名において命じる」
――ヒコヤイノミコト……ヤハトラに還り給う……!
「……わっ!」
「きゃっ……」
「えっ、何なのー!」
急に辺りが暗くなった。まるで……俺が初めてジャスラに来た時のようだ。
水那の身体を離すまいと、右腕に力がこもる。セッカが俺の左腕に必死でしがみついているのがわかった。
「二人とも、大丈夫か!」
「……うん」
「どうにか……!」
……そして、急に視界が開けた。また前みたいに床に叩きつけられる……と思ったが、何かふわりとした感覚が俺達を包んだ。
そしてそのままそっと……足が床の感触を捉える。
「……帰って……来たのか……?」
俺は辺りを見回した。
ヤハトラの地下の神殿だ。闇が蠢いている。
そして……その前には、ネイアの姿。
「……御苦労であったな。ソータ。そして……ミズナ、セッカも」
ネイアが静かに微笑んでいた。
「これで……ジャスラには平穏が訪れる」
「……」
俺と水那は黙って頭を下げた。セッカは
「あの……ネイア様ですか?」
と不思議そうに聞いた。多分、思ったより幼かったから驚いたんだろう。
「そうだ。この度の案内人の務め……大変であったろう。二人にとてもよくしてくれたと聞いている」
「いえ、そんな……」
セッカが慌てて頭を下げた。
「あの……あたし……いえ、私もヤハトラに入ってよかったんですか?」
「勿論だ。案内人の役目は……旅の終わりを最後まで見届けることだからな」
ネイアが微笑む。
「まず……休むがよい。特に、ソータは浄維矢を使ったばかりだ。疲れたであろう」
そう言うと、ネイアは傍らの神官に合図をした。
神殿の扉が開く。二人の神官が頭を垂れて待っていた。
「今、部屋に案内させる故」
よく見ると、俺達にフェルティガをかけるためにイスナまで来てくれた人たちだった。
「あの……あのとき、イスナまで来てくれて……ありがとうございました」
俺がペコリと頭を下げると、二人の神官がにっこり笑った。
「とんでもありません」
「お役に立てて……よかったです」
俺はふと、レッカに託した双子の少女を思い出した。
「ネイア。あのときの、双子って……」
「アズマとシズルのことか?」
「そう! あのあと、大丈夫だったか?」
ネイアは首を横に振った。
「だいぶん無茶をしておったが……命に別状はない。ただ、身寄りもなく初めて信頼した人間がカガリだったようでの」
「ふうん……」
「とは言っても、まだまともな精神状態ではない故、わらわも彼女らの過去を視ることができない状態だ。詳しいことはわからぬが……心については、これから時間をかけて、解きほぐしていくしかあるまい」
「……そうか」
あのままカガリの傍にいたら、闇に囚われてきっと自分を見失っていた。
これでよかったと思うしかないだろう。
「……おお、そうだ。親父殿が首を長くして待っておるぞ」
「げっ……」
ヤバい……。十馬のことで……めちゃくちゃ怒られるのでは……。
「ミズナとトーマの件についてはわらわが親父殿に説明しておいた。心配するな」
俺の表情を読んだのか、ネイアがそう俺に囁いた。
「ほんとか……?」
「……まあ、会ってみるがよい」
そのあと、俺と水那は親父の居る部屋に案内された。
セッカも「何か心配だから」と言って俺たちについてきた。
『……颯太!』
扉を開けると、親父が驚いた表情で出迎えた。そして俺達のところに駆け寄ってくる。
『親父……あの……』
『水那さん、颯太なんかのために苦労したそうで……本当に、すまなかった』
親父は俺を素通りすると、水那の前に来て頭を下げた。
『え、いえ……そんな……』
『で……これが、わたしの孫か?』
『……はい。十馬って……名づけました』
『そうか。……颯太の赤ん坊の頃と似ているな』
親父がにっこり微笑んだ。
俺は、親父の予想外の言動にちょっと驚いた。
いつも厳しい顔してるのに……孫となると、やっぱり違うのかな。
「ソータのお父さん、嬉しそうだよね。やっぱり……孫は可愛いもんね」
セッカがこそっと俺に囁く。
「……そうなのかな……。意外だ」
『あの……抱いて……』
水那が親父に十馬を差し出した。親父は嬉しそうに笑うと、十馬を軽々と抱き上げた。
『おお、いい目をしているな』
『あの……親父……』
恐る恐る声をかける。親父は俺を見ると、少し微笑んだ。
『お前は……無意識だったかもしれないが……』
『え?』
親父が十馬をあやしながら、ゆっくりと何かを思い出すように話し始めた。
『十年前……あんな形で水那さんと離れてから……時折、水那はどうしているんだろう、と呟いていた。ずっと……何年も、忘れずに』
『……!』
思わず顔が熱くなる。
俺……そうだったっけ?
もちろん、忘れたことはなかった。季節が巡ると……どうしているかな、と思っていたことは確かだ。
まさか、親父に聞かれていたとは……。
『だからわたしも気になって、お前に伝えることはできないものの……個人的に調べては、いた』
『そうだったんだ……』
『父親が現れて引き取られ……そして行方不明になったと聞いて……法律では結局何も守れない……どうすればよかったのか……と考えていた。もちろん、颯太に言うこともできず……』
『……』
親父は少し溜息をついた。
すると腕の中の十馬が親父を励ますかのようにパシパシ叩いたので、親父はハッとして十馬に微笑みかけた。
『だから……ここで会えて、よかった。本当に……申し訳なかった』
『いえ、そんな……』
水那が慌てたように手をぶんぶん振った。
『あの……嬉しい、です。その……こんなことになって……すごくお怒りかもしれない、と思って……』
『それは……ないよ。ネイア殿から話は聞いたのでね。それにさっきも言ったように、颯太はずっと昔から……』
『わーっ!』
俺は慌てて親父を制した。絶対、余計なことを口走りそうだったからだ。
『何を今さら……』
親父がちょっと呆れたように俺を見る。
そんなこと言われても、俺自身がまだ何も水那に……。
――そうだ。言ってない。
言おうと思ったときに十馬の出産になったから……俺は結局、言えてないんだ!
「セッカ!」
「え、何?」
俺たちの日本語の会話を必死で聞き取ろうとしていたセッカが、びっくりしたように俺を見た。
「俺はミズナに話がある。親父と一緒にトーマを見ててくれ」
「それは、いいけど……」
『親父。セッカが手伝ってくれるから、ちょっと十馬を見ててくれ。俺は……水那に話があるんだ』
『まあ、いいだろう。……二人きりで話す機会など、ずっとなかっただろうからな』
『サンキュ!』
俺は水那の手を取った。
『水那、場所を変えるぞ』
『う、うん……』
水那は驚いたように、俺を見上げた。




