07 敵? 味方?
(それで、その教官室というのはどこかしら?)
辛い気持ちで講堂から出て、まず初めに思ったのはそのことだった。
だって講堂の場所すら分からなかった私である。
教官室がどこにあるかなんて、当然分かる筈もない。
(呼び出されたんだから、行かなくちゃまずいわよね? 属性だって教えていただきたいし……)
「なにをうろちょろしている」
右に行こうか左に行こうか悩んでいるところを見咎められたので、私は慌てて廊下の端に寄った。
声をかけてきたのは、思いもよらない人物だった。
「教官室に呼ばれたのではなかったのか?」
(げ!)
私を呼び止めたのは、昨日私がアリスじゃないと見抜いたクロード殿下だった。
ライルと呼ばれていたお付きの姿はない。
人気のない廊下に二人きりだ。私は慌てて最高礼をとり、殿下が早く通り過ぎてくれればいいのにと願った。
しかしわざわざ話しかけてきたぐらいなのだから、そう簡単に見逃してはもらえるはずもない。
「サボるつもりか? マティアスに教官室に来るようにと言われただろう。それとも―――」
どうやら、例のモノクルの男性はマティアスと言うらしい。
「道が分からないか? お前はアリスではないからな」
皮肉げに真実を言い当てられ、昨日ほどではないが私を衝撃が襲った。
やはりクロード殿下は、私がアリスではないという確信を持っているのだ。
でなければこんなにはっきりと断言できるはずがない。
「それにお前は知らんようだがな、学園の敷地内での俺に対する最高礼を禁じてある。それを昨日から続けて二回もしたんだ。それだけで自ら自分はアリスではないと語っているようなものだぞ」
(そんなっ)
内心の動揺を抑えつつ、私は顔を上げた。
第一王子であるクロード殿下に、最高礼が禁止されているなんて誰が思うだろう。
もう言い逃れはできない。
覚悟を決めて、冷たい色をした殿下の目をじっと見つめる。
王子はほんの少しだけ動揺したように後退った。それほどまでに、私は思い詰めた顔をしているのだろう。
(バレたらどうなる? もう一度あの家に戻って、旦那様とアリスが愛し合うのをむなしく見続けるのなんて絶対に嫌)
「殿下」
「なんだ?」
近くに人影がないことを確認し、私は立ち上がって一歩前に足を踏み出した。
「どうかこのまま、捨て置いてはいただけませんか? これには深いわけが―――」
「お前が、アリス・ド・ブロイではなくエリス・ド・ハーフィスであるということをか?」
嘆願を遮られ、言葉が続かなくなる。
それほどまでに衝撃だったのだ。殿下が私の本当の名を知っていたということが。
ハーフィス家に嫁いだ、今の私の名前。
驚いたことに殿下は、私が妹と入れ替わった姉だということすら見抜いていたのだ。
「……ご慧眼、恐れ入ります……」
それ以外、咄嗟に言葉がでなかった。
ここまで見抜かれていて、あとは何を言えばいいと言うのか。
妹に夫を寝取られて、やけになって学園に来たとでも?
そんなこと勿論言えるはずがない。
「お前たち!」
その時だった。
ドスドスと足音を響かせて、マティアスが私達に近づいてくる。
「いつまで待たせるつもりだ。授業のあとすぐに教官室に来るようにと言っただろう」
マティアスの怒気に身を縮こませながら、私は殿下を盗み見た。
彼はマティアスに私がエリスであることを言うつもりは無いらしく、ただ小さく溜息を漏らしただけだった。
とにかく私達は、マティアスによって半ば無理矢理に教官室に引っ張り込まれたのだ。
***
魔法学の教師である、マティアスの教官室はとても変わっていた。
あちらこちらに魔法具の材料らしきものが並び、とても雑然としている。
彼は私達にソファらしきぶよぶよとしたなにかを勧めた。すわると少しひんやりとしている。まるで触れることのできない水にでも座っているようだ。
殿下と私が隣り合って座ったのを確認し、マティアスはおもむろに口を開いた。
「先ほどお前たちの見極めを行った。この珠を使って」
そう言って彼が取り出したのは、先ほど生徒たちの前でかざして見せた丸い珠だ。
「これは個々の能力値や適性を調べるために用いる魔法具だ。分かるのは適性のある魔法の属性などだが、稀にその者の運命が見えることがある」
「運命……ですか?」
思わず尋ね返すと、マティアスはまるで射抜くような鋭い視線を私に向ける。
「過去に起こった出来事や、或いは未来に起こりうる事象をこの珠は映し出す。その未来は確定的で、どう回避しようとしても結局はその結末を迎えるというほどに強制力の強いものだ」
「そんなことが……」
王子が不思議そうに呟く。どうやら珠の特殊な機能については、彼も初耳だったらしい。
そんな彼の言葉を肯定するように、マティアスは小さく頷き、言葉を続けた。
「しかしこれは非常に稀なことで、俺自身この目で見たのは今日が初めてだ」
「それが、見えたということですか? 講堂で―――」
ごくりと息を飲む。
私か、はたまたクロード殿下の未来か。
マティアスは一体何を見たのだろう。そしてどうして私達二人を教官室に読んだのか。
狭い部屋に沈黙が落ちる。
自分の息遣いが耳に届くほどの、重い沈黙。
どれほど時が経ったのだろう。静かにマティアスは告げた。
「見えたのは――――お前たちの結婚式だ」
どんな顔をしていいか分からないという顔で、確かに彼はそう言ったのだった。