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53 ねたばらし


「お前はそれでいいのか?」


 王宮で療養を済ませ、クロードが王立学校にやってきたのは事件からひと月後のことだった。

 それでも担当した医者は止めたらしいが、これ以上寝ていられるかと彼は無理を押してやってきたらしい。

 私は久しぶりに再会したクロードと、しばらく話でもしてこいとマティアスに研究室を追い出されてしまった。

 どうしようかと悩み、なんとなく、事件があった現場に足が向いた。ここならば今も通行禁止になっているので、人目を気にせずにすむからだ。

 そこはグノーが作った土の壁がそのままになっていて、マティアスは精霊の力のメカニズムをいつか絶対解明してみせると息巻いている。

 城から昼五つの鐘の音が聞こえてきた。もうする夜が来る時間だ。

 私達の決断を話すと、クロードは静かにそう問い返してきた。静かに頷くと、消えそうな声でそうかと言った。


『そうかじゃねー。もっと反対しろよクロード! エリスの呼び名が変わるなんて、ややこしくて俺は嫌だ』


『あんたはいっつも間違えてるもんね。エリス、エリスって』


『しょうがねーだろ! なあエリス、考え直さないか?』


 サラはいつまで経っても、私の新しい名前に慣れないらしい。

 だが、一番身近にいられる彼らにいつまでもその名前で呼ばれていたら、今度は私がどこかでぼろを出しそうで恐かった。サラには悪いが、慣れてもらう他ない。


「お前が決めたのなら、反対しない。だが辛くはないか? 一生別の名前を名乗って生きていくというのは」


「生まれてくる子供に、いらぬ負い目を背負わせたくありません。あの子がエリスで、私がアリス。もう決めたことです」


 そう。私達姉妹は、本当に名前と身分を交換して生きて行くと決めたのだった。

 そうしなければ、妹の子供は不義の子となり、まだ生まれてもいない命に余計な負い目を負わせてしまうことになるからだ。

 私も、彼女の提案に異論はなかった。

 伯爵夫人としての責務から解放されたことに、正直なところ安堵してもいた。

 マティアスには既に事情を話してある。もともとこの学校に在学しているのはアリス・ド・ブロイなのだから、身近な彼らにさえ口止めしてしまえば当面の問題はない。

 問題は領地にいる両親だが、私は遠からず、彼らとの縁を切るつもりでいた。


「アリス……アリスか」


 確かめるように、クロードは何度も口の中でその名を繰り返す。


「しばらくは慣れなそうだ。お前の妹の名を呼んでいるようで」


 私は思わず笑ってしまった。最初から私達二人を見分けていたクロードだから、よりややこしく感じるのだろう。

 しかし、彼はふと何かに気づいた顔をすると、口元にやわらかい笑みを浮かべた。


「だが、ひとつだけいいことがある」


「なんですか?」


 私が身長差のある彼の顔を見上げるのと、クロードが私の肩をそっと抱き寄せたのは同時だった。


「二人きりだったら、いつでも俺だけがお前の本当の名前を呼べるということだ」


 どういう意味かと問いかけける間もなく、彼の長いまつげが目の前にあった。

 夕刻の冷たい風が吹く中で、唇にほの温かいぬくもりが触れる。

 一瞬が永遠にも思えて、驚きに息をすることもできなかった。


『キャーーー!』


 ポケットから顔を出したウィンが、黄色い悲鳴を上げる。


「エリス」


「あ、名前……」


 それよりも、今のはなんだったのかと問いたいのに、うまく言葉にならない。

 おとりの役目はもう終わったはずなのに、どうして彼はこんなことをするのだろうかと。


「一生その名を呼ぶ権利を、俺にくれないか? これからはずっと、俺がお前を守ると約束する。幼い日にした、あの約束の通りに」


 クロードの顔には、見たこともない綺麗な綺麗な笑みが浮かんでいた。

 おもむろに、彼は自分の袖口のボタンを見せる。


「まったく。お前のうっかりには恐れ入る」


「え? え?」


 彼のボタンには全て、王子だけが使うことのできる(、、、、、、、、、、、、、)、白百合の紋章が刻まれていた。

 どうして今これを見せるんだろうかと思った刹那、頭を殴られたような衝撃が私を襲った。


「こ、このボタン―――っ。だって、え? そんなはず!」


 しかし、いくら否定しようとしても、頭の中では今までの出来事がどんどん符合していく。

 王子がはじめから私を知ってるような態度だったこと。

 忘れている私に怒っていたこと。


 そして―――。


「でも、あの手巾は!」


「あれはお前の父が、ご機嫌伺いに寄越したものだ。おそらくお前の枕元にあるボタンで俺の気持ちに気づいて、いつかお前を側室にとでも思ったのだろう」


 だから、『妖精の男の子』からもらったはずのボタンはいつの間にかなくなっていたのか。おそらくは、メイドか誰かが見つけ父に届けたに違いない。

 更に私の父は、婚約者に贈ると偽って私の刺繍を全てクロードに送りつけていたらしい。

 それでは伯爵も私の刺繍なんて知らないはずだ。

 無視されていたと落ち込んでいた自分が馬鹿みたいで、なんとも言えない気持ちになった。


「まあ回り道をしたが、結局マティアスの予言は当たりそうだな」


 彼は私の肩を、強く抱いたままで言った。


「予言?」


「例の、魔法具の判定球に浮かんだ未来だ。俺たちの結婚式を見たという」


「でも! いくら妹と立場を交換したからといって、私と殿下では身分が……っ」


 そこまで言ってから、これでは身分の差さえなければ結婚したいと言っているようなものだと気づき、恥ずかしくなる。

 クロードは花の顔に春の微笑を乗せて、更に輝かしくなるばかり。


「案ずるな。ひと月もの間、俺が大人しく寝ていただけと思うか?」


「え?」


「家格さえ釣り合えばいいんだろう?」


 クロードが何を企んでいるかなんて、この時の私は知る由もなかったのだった。


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