52 秘密の共犯者
「いつもあなたは、私を遠くから物欲しそうに見ているだけだった。夫を奪われたって、私には直接何も言ってはこなかった。私はそれが、イライラして仕方なかったの」
「アリス……」
「言いたいことがあるなら言えばいい。それもしないで、いつか与えられる餌を待っているだけのあなたが嫌いだった。私は、絶対あなたみたいにはならないって思ったわ。王立学校に入学したのだって、自分の結婚する相手は自分で見つけたいと思ったからよ。あなたみたいに、お父様の思惑に振り回されるのなんてまっぴらだった」
ショックだった。
アリスがずっと、私のことをそんな風に思っていたなんて。
でも、なぜか同時に嬉しくもあった。
お互いに、生まれて初めて正直な気持ちをぶつけ合えたことが。
「ふふふ」
思わず私は笑ってしまった。
私がアリスに不満を言えないでいたように、アリスもまた、私への不満をずっと言えずにいたのだろうと思うと、なんだかおかしかったのだ。
そんな私を、アリスは不気味そうに凝視していた。
「……まあ正直なところ、そっちから出向いてきてくれて助かったわ。あっちに行く前に、あなたには一度会っておかないといけなかったから」
「あっちって……じゃあ男爵領に戻るつもりなの?」
アリスにとって、学園はあまりいい思い出のない場所だろう。なにせあんな部屋に押し込められて暮らしていたのだから。
けれど、彼女の答えは私の考えを覆すものだった。
「はあ? 私はね、ヴィーと一緒にラッセルブルクに行くのよ」
咲き誇るように彼女は笑った。
ヴィーというのは、ヴィンセント・ド・ハーフィスの愛称。
つまり彼女は、私の夫について行くと言っているのだ。
「そんな……本気?」
思わずそう聞いてしまったのは、ラッセルブルクが遥か北方の寒さ厳しい国だからだ。
間に別の国を挟んでいるためその旅路は安易ではなく、行き来はあるがどんな国なのかはあまり知られていない。
アリスは、絶対にそんな判断はしないだろうと思っていた。
全権大使は確かに名誉の役目だが、いつ戻ってこられるのかは誰にも分からない。数年で呼び戻されることもあれば、何十年も向こうに行ったきりになる可能性だって十分にあった。
「ふふ、驚いた?」
私がよほど間抜けな顔をしていたのだろう。
アリスはいたずらの成功した子供みたいな顔をして、おもむろに自分のお腹を撫でた。
「ここにね、ヴィーの赤ちゃんがいるの。彼はやめろって言ったけど、私が自分でついて行くって決めたのよ。たとえどんなに大変なことがあっても、彼と一緒なら乗り越えてみせる」
そう決然と言い放ったマリアの顔には、もう以前のような無邪気な酷薄さは見て取れなかった。
出会った瞬間に感じた違和感はこれだったのだ。
あの妹が母になるのだと思うと、私は不思議でしょうがなかった。
「おめでとう……っ」
思わず、胸が苦しくなった。
自分で自分の幸せを射止めたアリスが、眩しくもあり、悔しくもあった。
一方でアリスは、半眼になって呆れたような顔をしている。
「どこまでもお人よしね。旦那を寝取られたっていうのに。それも実の妹に」
「今は、仕方ないことだと思ってる。面と向かってあなたと戦わなかった、私が弱かったのよ」
「そういうところがお人よしだって言ってるのよ」
なんだか、こうやって気兼ねないやり取りができるのが嬉しかった。
不思議だ。あんなに彼女のことを嫌いぬいてこの家を出たのに。
この家にいた頃の私は良くも悪くも、視野が狭く自分だけが不幸なのだと思い込んでいた。妹は好き勝手やっているせいで自分は不幸なのだと。
でも、学園で色々な経験をして、つらいのは自分だけではないし、幸せになりたいなら戦わなければいけないのだと学んだのだ。
少なくとも私は、今の自分が好きだ。
もう二度と、あの頃に戻りたいとは思わない。
「ねえエリス、もう私が言いたいこと、分かってるんでしょ?」
少し笑いながら、アリスが切り出した。
本当になんとなくだが、私も彼女が言いたいことは分かっていた。
「でも、それで本当にいいの? 一度そうしてしまったら、もう戻れないのよ?」
私の真剣な問いに、アリスもその顔から笑みを消す。
「分かってるわ。 でも私は、この子に不自由な思いをさせたくない。そのためには、どうしても必要なことなの」
その決意は固いのだろう。
問いかけた私の目を見て、アリスはじっと逸らそうとはしなかった。
「分かったわ」
そうして、私達は秘密の共犯者になった。




