47 月が昇る夜
やがて、エルザはブローチ探索を再開すると、呆れたように鼻を鳴らした。
「あなたがそんなお人好しだとは思わなかったわ」
「ええそうね。私も思わなかった」
苦笑して言い返すと、彼女もほんの少しだけ、笑った気がした。
それに気をよくした私は、少しかまをかけてみることにした。このまま一緒にブローチを探し続けているだけでは、らちがあかないと思ったのだ。
「ねえ、あなたも病み上がりなんだし、夜は暗くて探しづらいわ。お友達にも協力して貰って、昼間に改めて探した方がいいんじゃ―――」
「あんなやつら、友達でも何でもないわ」
エルザは冷たく言い放った。
まさかそう言い換えされるとは想像していなかったので、思わず口ごもってしまう。
「でも……」
「あなたから見たら、そんな風に見えたんでしょうね。でも、彼女たちはこの国の貴族よ。ナターシャ様にこびへつらうのが目的であって、家格が劣る私なんて、召使いだと思っているようなやつらよ」
どうやら、彼女達の中にも明確な身分差は存在したらしい。
召使いのように扱われていたという彼女が悲しい。ナターシャに付き添って母国を出た彼女もまた、慣れない土地で様々な苦労をしたのだろう。
「―――ねえ、あなたの故郷はどんなところなの?」
ふと、そんなことが聞いてみたくなった。
ここより北にあるラッセルブルクで、一体彼女はどんな幼少期を過ごしたのだろう。
「寒いところよ。ここよりずうっと。冬には雪で全てが埋もれてしまう。だから家にこもって、暖炉のある部屋で家族で過ごすの」
その口調で、彼女がその情景に思いを馳せているのが分かった。
家族でという単語に胸が痛んだけれど、自分の感傷には気づかないふりをした。
「そう。素敵なところなんでしょうね」
相槌に返事はなかった。
ただ、しばらくして彼女は、ぽつりとこう言った。
「離れたくなかった。離れたくなかったわ。家族から引き離されて、まさかナターシャ様があんなことをなさるなんて……っ」
彼女の嘆きは、あまりにも悲痛な響きを持っていた。
「それってどういう―――」
しかし、聞き返した言葉は最後まで言い切る前に遮られた。
「いけない、あいつがくるわ!」
気づけば月は、もうとっくに中天を過ぎている。
いつも彼女が夜中に探すのをやめて帰っていたのは、その何者かを避けていたかららしかった。
エルザの慌てぶりは、尋常ではなかった。
なにせ急いで立ち上がろうとして、その場に尻もちをついてしまったぐらいだ。
「大丈夫!?」
慌てて駆け寄るが、彼女は助けようとした私の手を叩き落とした。
嫌悪からではない。
エルザは恐慌状態に陥っていた。
さっきまで普通に会話していたのにと驚く。
「あいつが、あいつがくるわ。どうしよう……ブローチがないのに!」
「あいつって誰? その人とブローチにどんな関係があるの?」
すると突然、彼女が私にしがみ付いてきた。
「私、反対したのっ。人間に無理矢理精霊をつけて、暴走させるだなんて! でも、お嬢様はやめてはくださらなかった。私、恐くて!」
「落ち着いてエルザ! ナターシャ様は、その精霊を暴走させて、どうするおつもりだったの!?」
「ライバルを蹴落とすんだっておっしゃって、でもそんなことをすれば相手は死んでしまうわ! せめて魂を閉じ込めるだけにしてくださいとお願いしたのよ。そうすればお嬢様とクロード殿下の婚約が決まった後、魂を令嬢たちに戻せば済むから……」
なんということだろう。
最初の二件の切り裂き魔による犯行は、ナターシャが画策したものだったのだ。
『精霊を暴走させて人間につけるだって!?』
ポケットで待機していたサラが飛び出してきた。
『信じらんねぇ! なんてことしてくれたんだ。人間に好き勝手に使役されるなんて、精霊に対する最大の侮辱だ!』
「熱い! なに!? なんなの!!」
サラが怒りで熱気をほとばしらせ、そのせいでエルザは更に混乱してしまった。
彼女は破れてしまいそうな強さで私の制服を掴み、その目には恐怖の涙が浮かんでいた。
「落ち着いて。熱くなんてないわ。今日はもう帰って休みましょう。ね?」
私は必死にごまかしながら、縋りつく彼女を立たせようとした。
しかし彼女の足はすっかり萎えていて、力いっぱい引っ張ってもなかなか立ち上がることが出来ない。
その時だった。
生ぬるい風が、不気味に頬を撫でる。
風が吹き出したことで、エルザは更に動転してしまったようだった。
私は、もうこれ以上は無理だと判断した。
一人では、彼女を移動させることすらできないからだ。
「誰か、手を貸してください!」
呼びかけると、あちこちの物陰から男たちが姿を現した。
クロードの姿もある。駆け寄ってきたのは彼の側近であるライルだ。
「この女が切り裂き魔なのか? 随分と非力なように見えるが」
甲冑で身を固めたライルは、もう一人同じような恰好をした男と協力して、エルザを抱え上げる。
「やれやれ。武装など必要なかったな。まさかこんなに弱々しい犯人だとは」
ライルはため息をついた。
彼らは、切り裂き魔を捕まえるためにクロードが招集した彼付きの近衛兵達なのだという。
大事にはできないから人数は絞ったと言っていたが、甲冑を着て剣を刷いた兵士が、少なくとも十人はいるようだ。
「いえ、彼女が犯人ではないようです。彼女の話からすると、おそらくその犯人が今からこの場にやってくるかと」
暗に油断しないでほしいと言うと、彼は眼鏡の下にある眉を吊り上げた。
「だからといって、この人数だぞ? いくら切り裂き魔とはいえ……」
すると、ライルの言葉が不自然に途切れた。
彼は尋常ならざる表情で、私の後ろを凝視している。
そして、突然背後から強い風が吹いた。
スカートがバタバタとはためく。
怯えていたエルザが、叫んだ。
「来たわ!」
その声に導かれるように、近衛兵たちの視線が私の背後に釘付けになる。
怯えながら後ろを振り向くと、そこには一人の男が立っていた。
「嘘……」
思わずそう呟いていた。
月明かりの下、そこに立っていたのは、ヒースだった。




