46 エルザ
その日の夜は満月だった。
月光が眩しくて、明かりがなくても遠くまで見通すことができたほどだ。
物陰に隠れて泣き声の主を待っていると、予想通り、彼女はブローチを探しにやってきた。
「あれは……」
そしてその姿は、私たちを驚かせるのに十分だった。
泣きながら草むらを探し始めたのは、ナターシャの取り巻きであるエルザだったからだ。
彼女は体の所々に包帯を巻いた痛々しい姿で、手が汚れるのも構わず生えた草をかき分け始めた。
「どうして私が、こんなことをしなければならないの?」
「全部ナターシャ様のせいよ」
彼女はぶつぶつと呟きながら、探索を続ける。
自分を盗み見ている人間がいるだなんて、夢にも思わない様子だ。
私は深呼吸を一つすると、手にしたブローチをぎゅっと握った。
冷たいはずなのに、滑らかでじんわりと温かい気がする。まさかこの中に人間の魂が閉じ込められているなんて、間近で見ても信じられないくらいだ。
「大丈夫か?」
隣に隠れていたクロードの目が、やっぱり俺が行こうかと言っている。
やってきた相手に最初に話しかける役は、私が自分から買って出たのだ。
私が相手なら、相手は油断して事件について漏らすんじゃないか。
王子であるクロードや、教師であるマティアスではそうはいかないかもしれないから、と。
「大丈夫です……」
もう一度ブローチを強く握りしめると、私は物陰から出て、慎重にエルザに近づいた。
私の足音に、エルザの手が止まる。
彼女は弾かれたようにこちらを振り返った。
制服の下に巻かれた包帯。そして痩せ細って尖った顎。涙で充血した目。
間近で見ると、彼女のその姿は異様としか言いようがなかった。ナターシャの影に隠れてはいたが、彼女だって美しい少女だったはずなのに。
「なにか、探しているの……?」
相手を警戒させないように、強ばる顔を叱咤して笑いかけた。
涙で頬を濡らした彼女は、ぎらりと鋭く私を睨みつけた。絵本に出てくる悪い魔女と言われても信じてしまいそうだ。
内心で悲鳴が出そうだったが、ここで怖じ気づいてしまっては折角の作戦が水の泡になってしまう。
「あなた、エルザね? 体は大丈夫? 心配していたのよ」
そう問いかけると、私が侮っているアリスだと気がついたのか、彼女は涙を拭い立ち上がった。
「アリス……あなた、こんな時間にどうして?」
彼女は焦っている様子だった。
人目を避けてわざわざ夜に捜し物をしていたのだ。
こちらを警戒するのは当然かもしれない。
「近くを通りかかったら、人の声がしたから……。困っているんなら、何か手伝えるんじゃないかと思って」
「近くを?」
「ええ。私研究生になったから、部屋がこの近くなの」
「そうなの……」
ここに現れた理由を説明すると、彼女はわずかに警戒を解いた様子だった。
彼女はしばし考え込み、そして予想通り、私に捜し物を手伝うように言った。
「事件の時に、ブローチを落としてしまったの。ナターシャ様の大切な物なのよ。一緒に探してくれない?」
「そうなのね。どんなブローチ?」
「双頭の鷹の絵が描かれた、エナメル細工よ」
その特徴は、昼間拾ったブローチと完全に一致していた。
やっぱりエルザが、三人の魂が閉じ込められたブローチを探している主なのだ。
「分かったわ」
そういって、私もしゃがみ込みブローチを探す振りをした。
既に持っていると言わなかったのは、彼女を警戒させないためだ。
夜のしとねには嗚咽の代わりに、草をかき分ける音だけが響き渡る。
「……ナターシャ様の、お加減はどう? とてもひどい怪我をしていらしたけど」
自分は何も知らないと伝えるために、わざわざそんな言い方をした。
「あなた、何も知らないの?」
「ごめんなさい。先生方は誰も教えてくださらなくて……」
実際、マティアスが被害生徒達の治療に携わっていなければ、私がナターシャの容体を知るすべはなかっただろう。
「お嬢様は、まだお目覚めにならないわ」
「そんなにお悪いの? あれからしばらく経つのに……。心配ね」
すると、エルザは手を止めて私を振り返り、言った。
「あなた、本気で言ってるの? ナターシャ様にあれだけいじめられて、どうして心配だなんて言えるのよ」
エルザは、信じられないと言いたげだった。
でも、私がナターシャを心配だと思うのは本当だ。
それは実際にいじめられたのが、私ではなくアリスだったからだろう。
彼女のことだからきっとナターシャや他の人々にも失礼な態度をとったのだろうし、夫を奪われた私としてはやっぱり妹に同情はできないのだった。
しかし、私をアリスだと信じ切っている彼女に、まさか真実を言うわけにはいかない。
「それは確かにそうだけれど、本当にひどいご様子だったし、ナターシャ様が傷ついてよかったなんて思えないわよ」
エルザの目に私がどう映っているのかが気になったが、今できることは草をかき分けて必死に探している振りをすることだけだ。




