45 魂の檻
教官室には、マティアスとクロードが既に揃っていた。
「遅れてごめんなさい!」
朝の捜し物をしていたせいで、決められた時間より少しばかり遅くなってしまったのだ。
「ああ。さっき地震があったが、お前は大丈夫だったか?」
マティアスに心配され、思わず苦笑いしてしまう。どうやらグノーが起こした揺れは、私たちの近くだけというわけには行かなかったようだ。
「それがその、大丈夫には大丈夫なのですが……」
「なんだ? はっきりしないな」
「まさか怪我でもしたのか!?」
クロードがのぞき込むように近づいてくる。
切り裂き魔の期限が近づいているので、彼も過敏になっているらしい。
「いえ、怪我をしたわけじゃなくて、これ―――」
そういって、私は二人の前にさっき見つけたブローチを差し出した。
この二人なら、この紋章がどこの家のものであるか知っているかもしれない。
しかし、彼らの反応は私の想像とは全くことなるものだった。
「これは……」
「お前、これをどこで見つけた!」
叫んだのはマティアスだ。
私は驚いてしまって、咄嗟に返事をすることができなかった。
彼は私の手からブローチを奪い取ると、ルーペを取り出して丹念に観察し始める。
(何か大変な物なのだろうか)
不思議に思っていると、今度はマティアスが大きな検査機のような物まで持ち出して、ブローチを調べ始める。
「あれをどこでみつけてきた?」
クロードに尋ねられ、戸惑いながらいきさつを話した。
昨日から夜、泣き声が聞こえてきたこと。そしてその声が探している辺りを見てみたら、グノーがこれを見つけたこと。
「どうして昨日言わなかった」
クロードが気になったのはそこらしい。少し不機嫌になった彼をなんとか誤魔化していると、マティアスがバタンと机を叩いた。
驚いてそちらを見ると、彼は見たこともないような真剣な表情をしていた。
「やっぱり。これは魔法具だ」
「魔法具? じゃあ、そのブローチで何か特別なことができるんでしょうか?」
この時はまだ、事の重大さがよく分かっていなかった。
「これは、人の魂を閉じ込めておくための、魔法具」
一語一語区切りながら、まるで自分を納得させるようにマティアスが言った。
私はその意味を理解することができず、唖然としてその場に立ち尽くすしかなかった。
「人の、魂……?」
「そうだ。しかも、既に三人もの魂が、閉じ込められている」
「そんな! 閉じ込められたら、どうなるのですか?」
「見たことのない術式の魔法具だ。詳しくは分からないが、おそらく体は眠り続けるだろうな。しかし、魂が戻らなければいずれ死ぬ」
私が思っていた以上に、ブローチは危険な物らしかった。
さっきまでは美しい宝飾品だとしか思っていなかっただけに、ひどくぞっとする。
「三人か」
「ああ」
「切り裂き魔の被害者の数と、ぴったり同じだな」
クロードの重い呟きに、私ははっとした。
切り裂き魔にあった被害者達は、事件以来三人とも眠り続けたままだという。
その符号が偶然だとは、どうしても思えなかった。
「じゃあ、これの持ち主が切り裂き魔だということですか?」
「その可能性は高いな。目的は分からないが」
確かに、ただクロードに敵意があって婚約者達を狙っているのなら、魂を捕まえておく必要などないはずだ。
切り裂き魔の目的が一層分からなくなり、私は混乱してしまった。
「これを探していたのは、どんな女だった?」
「いえ、私は姿を見ていなくて。ウィン、どんな人だったの?」
唯一その人物を目撃した精霊に問いかけると、彼女は考え込むように腕を組んだ。
『どんなって……そうねえ。エリスと似たような服を着てたわ。他の人とおそろいの』
「制服―――この学園の生徒ということか。まあそうだろうな」
クロードはまるで、心当たりがあるとでも言いたげだった。
「ブローチの持ち主をご存じなのですか?」
「持ち主と言うなら、お前も知っている相手だ」
「知っている相手? 一体……」
「分からないか? 双頭の鷹はヴァルギス家の紋章だ」
ヴァルギス家というのは、ナターシャの実家だったはずだ。
「まさか!」
クロードは、ナターシャこそが切り裂き魔だと言いたいのか。彼女自身が、三人目の被害者であるというのに。
「そんなはずはありません。だってナターシャ様自身が襲われたのですよ!?」
「分かっている。だが、ナターシャ本人でなくともその縁者が犯人の可能性は十分にある」
クロードの仮説はひどく妥当で、だから言い返す言葉も見つからないのだった。考えれば考えるほど訳が分からなくなり、切り裂き魔に対する謎が深まっていく。
クロードも考え事をしているのか、部屋の中はしんと静まりかえっていた。
私は考えていると言うよりも、事態が一気に動いたことでどうしていいか分からず戸惑っているのだ。
素性も目的も不透明だった切り裂き魔が、改めて明確な輪郭を持った気がした。
こんな残酷なことをする人が、普通の人だなんて思いたくないのに。
「ヴァルギス……ヴァルギス……そうか」
私たちの話を聞いていたのか、マティアスが何かに気づいたように顔を上げる。
「ヴァルギスとは、ベラルギウスのことだったのか」
「ベラルギウス?」
聞き覚えのない言葉だ。一体どういうことなのか。
しかし疑問に答えたのは意外なことに、クロードの方だった。
「ベラルギウスというのは、ヴァルギスの正式な発音だ。ラッセルブルクの」
マティアスに対して、それがなんだと彼は言いたげだった。
王子としての教育を受けているクロードは、語学も堪能であるらしい。
遠いラッセルブルクの発音なんて、ちっとも知らなかった。
「では、ヴァルギスというのは……?」
「ヴァルギスというのは、ベラルギウスの綴りを我が国風に呼んだものだな。そちらの方が我々には覚えやすかろうと、ナターシャもあえて訂正せずヴァルギスと名乗っていたのだろう」
でもそれと魔法具のブローチが一体何の関係があるのか。
「俺も聞きかじっただけなんだが、我が国とは違う技術で精霊達を使役するベラルギウスという集団がいると……」
「精霊を……」
思いもよらないところに、話が繋がった。
「確かに、このブローチに使われている技術は見たことがない。魔法学の第一人者であるこの俺が、だぞ。我が国での魔法学は先人達の技術を掘り起こす学問だが、ラッセルブルクでは違うのかもしれない。人間の魂に干渉する魔法具なんて、俺の知る限りこの国には存在しない」
未知の技術に遭遇して興奮しているのか、マティアスは早口で言った。
「じゃあ、その魂を解放してあげることはできないんですか?」
切り裂き魔の被害に遭った生徒達は、未だに昏々と眠り続けているのだ。
マティアスが病室に魔法具を設置して命をつないでいるらしいが、それもいつまで保つか分からないと言っていた。
彼が黙り込んだのは、肯定に他ならないだろう。
そしてマティアスにできないというのなら、この国でブローチに対処できる人間はいないと言うことになる。
「精霊達はどうなんだ? 何か言ってないか?」
マティアスは精霊と会話することができないので、私が代わりにポケットの住人達に問いかけた。
「サラ達は、どう? 何か分からない?」
『人間が作り出した道具の事なんて、俺たちには分からねーよ』
『なんだか嫌な感じはするけど、それだけよ。サラの言ったとおり、私たちは魔法具の仕組みなんて分からない。ただ頼まれたら力を注ぐだけよ。力にいいも悪いもないわ』
しかし、彼らの返事は期待したようなものではなかった。
でもそれも、仕方のないことなのかもしれない。
私だって、料理を食べることはできてもそれをどう作っているのかまでは分からない。厨房でお手伝いをさせて貰って初めて、この野菜の原型はこうだったのかと驚いたりする。
がっかりして彼らの言葉をマティアスに伝えると、彼はまた何かを考え込むように黙ってしまった。
一方で私は、三人の魂を解放するには、泣き声の主と接触するしかないのではないかと考えていた。
それにしても、被害者のはずのナターシャのブローチに三人の魂が閉じ込められているなんて、言ったのがマティアスでなければとても信じられなかったことだろう。
(切り裂き魔と魂を閉じ込めたのは別人なのか、それとも―――……)
「とにかく、このブローチの落とし主に話を聞くしかないだろうな。昨日も現れたと言うことは、おそらくは今夜もやってくるだろう。考えるのは犯人を捕まえてからでも遅くない」
クロードの言葉に、その通りだと納得する。
おとりとして今までは襲われるのを待っているしかなかったが、事件解決への糸口が見えたと思うと妙に興奮した。
そして、それと同時に少しだけ、この生活が終わる事への寂しさを感じた。
犯人さえ捕まれば、クロードはもう私なんかを構ったりはしないだろう。
初めはあれほど嫌っていた相手なのに、こんな風に思うようになるなんて自分で自分が不思議だった。
『そうと決まれば、夜に備えて昼寝だ昼寝!』
『そんな~、起きたばかりなのに眠れないわよ』
『すー、すー……』
精霊達の頼もしいようなそうでもないような声を聞きながら、絶対に犯人を捕まえると心に強く誓った。




