42 幸せな思い出
話し終えると、クロードはしんと黙り込んでしまった。
調子にのってしゃべりすぎたかもしれない。あの少年の話を誰かにするのは、初めてだったから。
大切な宝物を、初めて他の人に見せたような気持ちだった。恐くて、気恥ずかしくて、誇らしかった。
「……そうか」
ぽつりと、クロードが呟く。
もっと何か言って欲しい気もしたけど、否定されるよりはよかったかもしれない。
「その少年に出会えて、よかったと思うか?」
「というと?」
「俺からすれば、その少年は随分横柄なように思える。それでも、彼に出会えてよかったか?」
変な質問だと思った。でも、そう思ったのは言い返した後だ。
「よかったです!」
つい声が大きくなってしまって、クロードは少し驚いた様子だった。
「あの子に出会えて、私は救われたんです。両親に厳しくされても、彼の言葉があったから耐えられた。迎えに来てくれるなんて、夢見てるわけじゃないんです。その記憶だけで、私には十分―――……」
そこまで言ってから、興奮している自分に気づき、言葉を途切れさせた。
クロードはなぜか、その大きな手のひらで自分の顔を覆っている。
その指の間から、赤く染まった肌が見えた。
『あらぁ? 随分面白い話してるじゃない。私も仲間に入れてよ』
いつの間に目を覚ましたのか、右のポケットからウィンが飛び出してきた。ちなみに左のポケットではサラが、胸のポケットではグノーが、まだそれぞれにまどろみを楽しんでいる。といっても、グノーの場合はまるで冬眠のように深い眠りに違いないのだが。
『妖精の男の子、ねえ』
どこから聞いていたのか、ウィンは話の大筋を理解しているらしい。
「もうウィンったら。起きてたのなら言ってくれればよかったのに」
『だって、声をかけたらエリスが話をやめちゃうかもしれないでしょ。それに起きて聞いてたんじゃなくて、うとうとしながら聞いてたんだもの』
「それって屁理屈よ」
『いいから! ねえエリス。その男の子の特徴をもっと聞かせて。そしたら誰なのか分かるかもしれないわ』
ウィンにねだられて、私は仕方なくもう一度当時の記憶を掘り起こしてみた。
「っていわれてもな~。ほんとうにもうずっと前のことだから、黒髪で色白だったことぐらいしか……」
「目は? 目の色は?」
「目の色?」
思い出そうとしてみるが、特に印象がないと言うことははっきりとした色味ではなかったのだろうか。
「薄い色……だったような気がするけど」
「薄い色って言っても、色々あるでしょう? 例えば薄紫とか、薄黄緑とか!」
何が何でも、彼女はその少年を見つけ出したいらしかった。けれどそれ以前に、私はウィンに確かめなければいけないことがあった。
「待ってウィン。その前に、妖精って本当にいるの?」
精霊も妖精も、絵本の中の存在だ。実際にサラ達と出会わなかったら、私は彼らが実在すると知らないまま過ごしていたに違いない。
すると心外とばかりに、ウィンが腕組みしていた。
「そりゃあいるわよ。あなた達人間に見えないだけで、本当の世界はもっとずーっと大きいのよ」
「じゃあ、あの男の子も探せばどこかにいるってこと?」
「勿論! まあでも、その子は精霊っていうよりは―――……」
そう言いながらにっこり笑って、ウィンはなぜか意味ありげにクロードに目配せした。
途端にクロードがゴホゴホと咳き込んだので、私はそれどころではなくなってしまう。
「で、殿下!? 突然どうしました? 大丈夫ですか?」
乳母がしてくれたように背中をさすると、クロードの呼吸は少しずつ落ち着いてきた。しかしゴホンゴホンという咳払いは一向に収まらない。
制服の生地を通じて、彼の熱い体温が伝わってくる。一向に顔から手を離そうともしないし、後ろから見てみたらなんと耳まで真っ赤だ。
「もしかして、体調がお悪いんじゃありませんか?」
だとしたら、話に付き合わせてしまって申し訳ないことをした。
王太子の体調不良なんて国の大事だ。
「どうしましょう。ライルさんを呼んで参りましょうか? ええとそれとも……」
「落ち着け!」
一人で焦っていたら、ぎゅっと手首を掴まれた。
なんだか彼には、いつもこうして手を掴まれているような気がする。
「大事ない。騒ぎにしないでくれ」
「は、はあ……」
確かに顔が赤い以外は、これと言って不調そうなところはない。
一人で先走ってしまったと、ちょっと反省した。
「分かりました。でも、なにかありましたらすぐに言ってくださいね!」
ついそう念を押してしまうのは、クロードが分かりづらいからだ。きっと本当に体調が悪くても、彼は黙って隠し通してしまいそうな気がした。
ところが、こっちは至極真剣だというのに、そんな私を見てクロードがくすくすと笑い始めたじゃないか。
今度はなんだろうかと思っていると、彼はついに口を開けて、お腹を抱えて笑い出した。
「ははは、お前は……本当に」
これは、呆れられているんだろうか?
だとしたら、とっても心外だ。だって私は、クロードを心配して、さっきから慌てたり騒いだりしているというのに。
「わ、笑うなんてあんまりではありませんか」
思わず声を荒げたが、それでもクロードの笑いは止まらないようだった。
「悪いな。お前があまりにも、可愛いことを言うから……」
ついには目尻を指で拭いながら、そんならしくないことまで言い始めた。
「あの、本当にご体調が悪いのでは? 熱でもあるのではありませんか?」
心配になって、乳母がしてくれていたように彼の額に手を伸ばす。
すると彼は、一転して驚いたようで素早く飛びずさった。二人の間にちょうど一歩分の距離が空いて、お互いに驚いて相手を凝視し合っている。
私はなんだかおかしくなってしまって、クロードに釣られたのかついつい笑い出してしまった。
「ふふ、殿下はその、とても素早く動かれるんですね」
いつもだったら失礼に当たるからと絶対にしないようなことだ。
でもなんだか、今はひどく彼のことを身近に感じていた。きっとクロードが笑ったから、私もそれに引きづられているのだ。
二人で笑っていたら、やがてマティアスガやってきて奇妙な顔をした。
彼には申し訳ないが、もう少しこの笑いは、収まりそうにない。




