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41 雪の降る日に


 あれは、そう。

 カントリーハウスに、珍しく沢山のお客様がいらした日だった。

 私は邪魔にならないよう、部屋を出てはいけないと厳しく言いつけられていた。そんなこと言われなくたって、私が外に出ることなんて滅多にないのに。

 子供の頃の私は、体が弱く活発に動き回ることができない子供だった。

 そんなところも、両親が私を持て余していた理由の一つなのかもしれない。

 冬の終わり頃、そろそろ暖かくなろうかという頃に、突然大雪が降った。

 備えをしていなかった家人達は大慌てで対応に追われていて、あの日は乳母もそばにはいなかったと記憶している。

 暖炉のある広間には行けないから、私はずっとベットの中で丸くなっていた。

 何枚服を重ねても、乾いた空気が口の中から潤いを奪っていく。

 積もった雪が全ての音を呑み込んでしまい、屋敷の中に一人きりになったような寂しいさ。

 誰でもいいから、側にいて欲しい。

 そうお祈りしていたら、その子がやってきたのだ。

 最初はそう、コツコツと、窓を叩く音がした。部屋に一つきりの、それほど大きくない窓だ。

 最初は風の音かと思ったが、音が何度もするからおそるおそる確かめた。すると真っ白な顔をした綺麗な男の子が、窓の外に立っていた。

 だって彼は見たこともない男の子だったし、何より外は雪が降っていて、とても子供が外に出てい遊んでいていいような天気ではなかったからだ。

 私は奇妙だと思いながらも、彼が何度も窓を叩くものだから硝子が割れては大変と、つい窓を開けてしまった。


「さっさと開けろ。寒いじゃないか」


 開口一番、少年が発したのは抗議だった。私はひどく驚いてしまって、抗議の言葉すら出てこなかったのを覚えている。

 彼は窓からするりと部屋に入り込むと、分厚く着込んだ上着からぱたぱたと白い雪を払った。

 カーペットの上に、雪が落ちて小さなシミを作る。


「あなた、なにもの?」


 そう尋ねるのには、勇気が必要だった。

 少年はといえば、「中でもそれほど暖かくはないな」とかぶつぶつ言いながら、身なりを整えていた。

 私は辛抱強く、彼が答える気になるのを待たねばならなかった。

 やがて身支度が済むと、彼は私を見てこう言った。


「お前、どうして広間にこないんだ?」


「え?」


 驚きに耳を疑った。

 だって、今質問しているのは私の方だからだ。


「妹の方は広間にいるぞ。あっちなら暖炉もある。こんなに寒い部屋で何してるんだ」


 問われても、何も答えることができなかった。


 ―――やっぱり。


 その時私は、咄嗟にそう思ったのだ。

 やっぱり妹は、広間にいることを許されたのか、と。

 その頃の私は、両親の愛情が自分に向けられていないことに薄々気づきながらも、その事実からずっと目をそらし続けていた。


「私は……病気だから、迷惑かけちゃいけないから」


 どうにか絞り出した言い訳が、あまりにも悲しくて。


「ならば尚更、暖炉の近くにいるべきなんじゃないのか?」


 私は涙で滲む視界で、心底不思議そうにしている少年を見た。

 そんなことは、分かっている。さっきまでこの部屋で、寒い寒いと震えていたのは私自身なのだから。

 でも、どうにか理由を絞り出さなければ立っていることすらできなかった。

 明らかに妹の方が愛されていると目の前に提示されて、どうして平気でなんていられただろう。


「ほら、いくぞ」


 彼はそのひんやりした手で私の手を握ると、ドアに向かって歩き出そうとした。

 けれど私は必死に足を踏ん張って、その手を振り払った。


「だめ!」


 お母様には、ここにいるようにと言われたのだ。その約束を、破っていいはずがない。

 少年は、憮然とした様子だった。その引き結ばれた口元は、納得できないと雄弁に語っている。


「だめなの。約束破ったら、もっと嫌われちゃうっ。だから、私はここにいるの。構わないでよ!」


 叫んだら、我慢していた涙がぼろりと落ちた。


「手を振り払われたのなんて、初めてだ」


 彼は不思議そうに、自分の手を眺めていた。

 かみ合わない。幼い私にも、そのことだけは明確に分かった。


「あなた、何者なの?」


 慎重に、もう一度同じ問いを繰り返す。

 すると彼は、その綺麗な顔にうっすらと笑みを乗せた。


「なんだと思う?」


 雪の日に、窓から入ってくる少年が普通であるはずがない。彼は驚くほど肌が白くて、人とは思えないほど手が冷たいのだ。


「……死神?」


 尋ねると、彼は盛大に顔をしかめた。


「どうしてそうなる」


「分からない。でも、そうならいいなって」


 どうしてそんなことを言ったのか、自分でもよく分からなかった。

 ただ、その時はひどく打ちのめされていたから、彼のような死神になら連れて行かれてもいいと思ったのだ。

 少年は私の問いには答えず、大きなため息をついた。

 そして驚くことに、もう一度窓枠を飛び越えて外に出たのだった。


「どこいくの?」


「待ってろ」


 そう言って、彼の背中は雪景色の中でどんどん小さくなっていった。

 私は窓を開けたままで、ずっとその背中を見ていた。ずっと見ていたいような、でもそうするのは恐いような。

 何度も浮かんでくるどうしようと戦っている内に、彼は目的を果たしたらしくもう一度こちらに近づいてきた。


「なにしたの? だいじょうぶ?」


 彼はひどく息を荒げていた。

 雪がさっきよりも積もって、その柔らかい雪と格闘していたのだろう。荒く息をつく彼は、確かにあまり死神っぽくはなかった。

 彼は窓枠に掛けていた私の手を掴むと、後ろに回していたもう一本の手を私の目の前に突き出した。


「やる」


 それは、一輪のスノードロップだった。

 冬の中で春を告げる花だ。白く美しい花弁が、うっすらと開きかけている。


「どうして?」


「いいから受け取れ!」


 怒られたので、おずおずとその花を受け取った。

 少年の手は冷たかったけれど、スノードロップの茎は彼が握りしめていたからか少しだけ温かかった。


「それと……これもっ」


 そう言って、彼は自分のコートのボタンを一つ、引きちぎった。

 差し出されたボタンは、金色でぴかぴかして綺麗だった。刻まれているのは、美しい百合の紋章。


「あなたは、花の妖精さん?」


 尋ねると、彼はもう否定しなかった。


「いつか迎えに来てやるから、そしたら結婚しよう。少なくとも俺は、お前をこんな寒い部屋で、一人ぼっちにはしないぞ」


 あまりにも唐突な求婚だった。

 ひどく驚いたけれど、私はそっと頷いた。

 こんな雪の日に、彼は花を贈ってくれたのだ。それがどんな絵本よりも素晴らしいことのように思えて、断る理由が見つからなかった。

 けれど残念なことに、その後の記憶は曖昧だ。

 冷たい風に当たったからか私は熱を出してしまい、それから数日ほど寝込んだ。

 そしてようやく体調がよくなると、枕元に置いていたはずの金のボタンは消えていて、しおれた花だけが残されていたのだ。

 果たして夢だったのか、それとも現実だったのか。

 今となっては分からないけれど、私にとってあの日の出来事は、今でも心の支えになっている。


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