36 クロードの不思議
数日後、私達はマティアスから教官室の片付けを言いつけられた。
私だけじゃなく、まさかのクロードもだ。
「いやあ、男手が来て助かったぜ。一人じゃ本棚は動かせないからな」
(先生、男手は男手でもこの方はこの国の王太子なんですよ!? 家格で判断しないというのは立派かもしれませんが、いくら何でもそれは……)
いつクロードが怒り出すかと、私ははらはらしていた。
でももっと驚いたのは、クロードが結局最後まで怒りもせず片付けを手伝ったことだ。
物慣れない様子なのはその動作から明らかだったけれど、それでも彼は黙々とマティアスからの指示に従っていた。
『なんか、わっかんねーやつだな』
マティアスの部屋の古い魔法具で遊んでいた精霊達が、ふと声を上げた。
「え?」
『あいつだよ。いっつも怒ってるのかと思ったら黙って手伝いなんてしてさ。何考えてんのかちっともわかんねー』
サラの疑問は、私も全く同意見だったのでなにもこたえてあげることはできなかった。
「貸せ。それも運んでやる」
私から資料の山を奪い取り、それまで部屋の外に運んでいく。
途中すれ違った教師などは、相手が王子であることに気づいてぎょっとしていた。それはそうだ。相手の反応が正しい。
「先生。大丈夫ですか? クロード殿下にその、片付けの手伝いなんて頼んで……」
顎に手を当てて家具の配置を考えていたマティアスは、私の心配なんて軽く笑い飛ばしたけれど。
「いいんだ。なにせあいつは研究生に自分からなると言ったんだからな。俺の手伝いも研究生としての立派な仕事だ」
「でも……」
「それに」
更に言い募ろうとしたけれど、マティアスの声で言葉は遮られてしまった。
「あいつと俺は、親戚でもあるしな」
「え?」
これには、流石に驚かされた。
王子の親戚と言うことは、自動的に彼も王族ということになってしまう。
「といっても、勿論あいつの方が王位継承権は上なんだがな」
彼は苦笑いを浮かべていたが、そういう問題ではない。
「先生は王族の方でいらっしゃったんですか!?」
驚きすぎて、声が裏返ってしまった。対するマティアスは、知らなかったかと素知らぬ顔で呟く。
「それはっ、いえ、存じ上げず申し訳ありません。今までとんでもないご無礼をしてたんじゃ」
「はは、王太子相手に怒鳴り散らしたお前がよく言う」
いや、それは全くその通りなのだが、そんな風に笑われると立つ瀬がない。
「あれは殿下が、婚約とか無茶なことをおっしゃるからで……最初からおとりにするためだと言ってくださっていたら、私だって怒ったりしませんでした」
そうだ。全てはクロードの言葉が足りないのがいけないのだ。
「まあ慌てるな。そうたいしたものでもないさ。一部じゃ有名な話なんだが、そういえばお前は社交界に出たことがないのだものな。知らないのも無理はない」
確かに、他の同世代の貴族令嬢と比べても、私は圧倒的に物を知らないだろう。結婚するまではずっと遠方の領地にひきこもっていたし、王都に来てからもずっと伯爵邸にこもりきりだったからだ。
「俺は王兄殿下の庶子なのさ。星の数ほどいる王族の一人だ」
我が国の歴史はそれほど浅くない。古い国ほど、王族の数が多いと皮肉ったのは異国の詩人だが、代替わりするごとに増えてくるのだからそれはあたりまえだろう。
むしろ、現王兄殿下の息子となれば、庶子といえども王位継承権は上から数えた方が早いはずだ。
私は身震いがした。むしろこの魔法学の研究室で、一番場違いなのは私なんじゃないだろうか。先ほどの資料を持っていなくてよかった。持っていたら間違いなく、私はそれを床にぶちまけていたことだろう。
「そ、そうなのですか」
明らかに動揺している私を見て、マティアスは笑みを深めた。
「やっぱり知らなかったな。そんな気はしていた」
「知るはずないじゃないですか!」
思わず大声になっていた。マティアスがおどけた仕草で耳を塞ぐ。
恥ずかしくなって、私の方が耳を塞ぎたくなった。
「まあ庶子だし、そんな大層なもんじゃない」
世事に疎い私には分からないけれど、彼は王兄の庶子であることで今まで色々な苦労をしてきたに違いない。
想像すると、胸が苦しくなった。生徒達に対していつも厳しいのは、庶子であることを知る彼らに舐められないようにするためなのかもしれない。
すると何を思ったのか、マティアスがこちらに近づいてきて来ておもむろに手をかざした。何をするのだろうかと見ていたら、ぽんぽんと優しく頭を叩かれた。
「そんな顔するな。俺は公務とかで拘束されるより、好きな研究ができる今の方が幸せなんだから」
私は一体どんな顔をしていたのだろうか。
逆にこちらが気を遣われたようで、申し訳なくなる。
するとそこに、資料運びを終えたらしいクロードが戻ってきた。
「おまえら何をしている」
まるで親の敵のように睨まれる。きっと自分だけ働かせておいて、サボっているとは何事だという意味だろう。
「す、すいません!」
反射的に謝ってしまった。それほどまでに、クロードの威圧感はすさまじいものだった。慌てて仕事を再開しようとするが、突然マティアスが私の肩を掴み、ぎゅっと引き寄せる。私は驚いてしまって、抵抗することもできなかった。
「なんだよー、焼いてるのか王子様? 婚約者のふりをそこまで徹底するなんてたいしたもんだ」
どうも、マティアスはこの状況を楽しんでいるらしい。
クロードの眼光が更に鋭くなった。もはやその鋭さに突き刺されそうである。
「わ、私、用事を思い出しました!」
恐ろしくなり、咄嗟に逃げ出してしまった。
片付けを放棄するなんていけないことだが、私のような下級貴族が、王族同士の喧嘩に巻き込まれるわけにはいかないのだ。




