33 婚約者の理由
はっとして、もう一度書類を見返した。確かに、彼女たちはみな一様に立派な家柄で、未婚。年齢的にも、クロードとは釣り合いが取れている。
「お前も薄々気づいているかもしれないが、本物のアリスはことあるごとにクロードにちょっかいをかけていた。彼女が今どこでどうしているかは知らんが、ライバルの婚約者候補達を蹴落とそうと襲った―――それで動機は説明がついてしまう」
私は頭を抱えたくなった。きっとマティアスの言うとおりなのだろう。実際、この学園に来た当初は、そのせいでナターシャやライルからお小言を頂いたのだ。
「本物のアリスなら、今頃ハーフェス伯爵家で面白おかしく暮らしているはずです」
「伯爵家に嫁入りしたお前に成り代わって、か?」
どうやって調べたのか知らないが、どうやらここにいる二人は我が家の事情を了解しているらしかった。
その証拠に、マティアスはまるで同情するように苦笑しているし、クロードはむすりといつになく不機嫌そうな顔になっている。
「伯爵は馬鹿だ」
唐突にクロードがそう言うものだから、私は驚いてしまった。
「勿論、お前の父の男爵も」
「父が?」
どういう意味なのかと尋ねようとしたが、クロードはそれきり黙り込んでしまった。
手巾の件もあるし、彼はどうやら私も知らない何かを知っているらしい。
もう一度どういう意味なのか尋ねようとすると、まあまあとマティアスにたしなめられてしまっ
た。
「今はそれよりも、どうやってエリスの疑いを晴らすかだ。おそらく王家は学校側と協力して、この事件が学園の外に漏れないよう極秘扱いにしているんだ。だが、こんな事件がいつまでも隠せるわけがない。だからこそ、隠しおおせている間に犯人を見つけだして、非難をそちらに集中させようという腹だろう」
マティアスの言い分は、分からないでもない。
被害者達の実家は、未来の王妃を輩出してもなんらおかしくはないほどに家格が高い。言い換えれば、王家が敵に回したくない相手ということだ。
マティアスから貰った資料には、前の被害者はどちらも重体のまま意識が戻っていないらしい。
魔法具でなんとか命をつないでいるらしいが、それもいつまで持つか。
醜聞を避けたい王家と学校側は、犯人が見つかるまで事件を隠すことで、警備体制などへの非難を避けようとしているのだ。
しかし隠すことで学生達に警戒が徹底されず、結果として犯人を助けているような気がしないでもない。ナターシャだってあらかじめ婚約者候補が危険であると知っていれば、女性二人だけで薄暗い夕刻に出歩いたりはしなかっただろう。
「まったく嫌になるな」
クロードのうんざりしたような呟きに、私は心を読まれたのかと思った。
しかしよく考えてみれば、事は彼の婚約者候補達についてのことなのだ。
犯人の目的が何であれ、己の婚約者候補を次々に襲われている彼は、間違いなく事件の当事者と言えるだろう。
「早く、犯人が見つけましょう。その、被害者の方々のためにも……」
私は、自分への疑いを解くため。クロードは犯人の凶行を食い止めるため。目的は違うが、私達は協力し合えると思った。
ただの一生徒に何ができるかは分からないが、精霊達の力を借りれば、何か分かることもあるかもしれない。
「そうだな。そしたら―――」
静かに言ったクロードは、更に何か言葉を続けようとした。しかし、会話に割って入ったマティアスによって、その言葉は遮られる。
「四六時中エリスに張り付いていれば、近く結果が出るだろうよ。王子様?」
一瞬その意味が理解できず、私はマティアスを見る。
「どういう意味です?」
「分からないか? お前を婚約者だと周囲に知らしめておけば、犯人は必ずお前を狙ってくる」
はっとした。
けれどそれならば、クロードがどうして私に固執するのかも説明できる。
「ふざけるな! 俺はそんなつもりじゃ……!」
「だが、真実だろう?」
激高したクロードが、マティアスに掴みかかった。
だが、マティアスはちっとも臆することなく言い返す。
確かに彼の言うとおり、そう考えれば全てのつじつまが合うのだ。
私を婚約者だと公表しておとりにすることで、他の婚約者への被害は回避できるだろう。身分の低い私なら、もしもの事があっても大きな問題にはならない。
そう考えてみると、先日部屋まで送ってくれたのも、犯人を捕まえるためだったのかもしれない。
しかし私は嘘をつかれてがっかりするどころか、むしろ意味不明だったクロードの行動をようやく理解することができて、安堵すらしていた。
やはり、クロードのプロポーズは本気のそれではなかったのだ。
「そういうことだったのですね」
小さく呟くと、クロードがひどく傷ついたような顔で私を見ていた。
「それならば、最初から言ってくださればよかったんです。そうすれば、いくらでも協力しましたのに」
クロードはマティアスの襟首から手を離すと、おそるおそるこちらに近づいてきた。
その顔はまるで、今にも泣きそうな子供のそれで。
そしてその表情が、私の遠い記憶を刺激した。
まるで人間の子供のような、妖精の男の子。私より背が小さくて、泣き虫だった。
クロードの人間離れした美貌は、どこか彼を思い出させる。
「違うんだエリス。俺は……」
彼は何かを言いかけて、そして諦めたように口を閉じた。
何かを言いあぐねいているようだった。
(でも何を?)
おとりにされたのだ。本当なら私の方が彼を責めてもいいはずなのに、まるでこっちが悪いことをしているような、複雑な気分になった。
それほどまでにクロードの表情は悲痛で、演技のようにはとても見えなかったのだ。
「まあせいぜい、しっかりと守ってやってくれ。エリスは精霊を見ることのできる、貴重な人材だからな」
マティアスが、何でもないことのように言う。
そうだ。過ぎてみれば、きっとなんでもなかったなと思うのだろう。犯人さえ捕まれば、クロードが私を追いかける道理もない。
(なにもかも、犯人を捕まえてからだわ)
そして私は、余計なことを考えるのをやめた。




