32 連続切り裂き魔
目覚めると、随分と陽が高くまで上がっているようで驚いた。
けれど私の驚きは、それだけでは済まなかった。
なぜなら私の寝顔をのぞき込むように、薄藍の瞳がすぐ近くにあったからだ。高い鼻梁。そして物憂げな口元。顔があまりに近すぎて、相手がクロードであることを理解するのにしばらくかかった。
「なっ……な!?」
衝撃のあまり、口から出る言葉は意味をなさない。
「起きたのか」
一方で、クロードはあまりにも冷静だった。
冷静すぎて、そして彼があまりにもなんてことない風に振る舞うものだから、私は思わず彼を非難するタイミングを失ってしまった。
よく見れば、部屋の中にはマティアスもいる。
ここは彼の教官室なのだからそれはいいとして、どうしてここにクロードがいるのか。
「ああ、おはよう。よく寝ていたな」
明らかに寝不足気味の顔で、マティアスが言った。
私は慌てて起き上がると、乱れてしまった制服をいそいそと整える。それ以外、この言いようのない羞恥心をぶつける場所が見当たらなかったせいだ。
「ちょうど起こそうと思っていたところだ。大体の事情が分かったぞ」
マティアスはそう言うと、何枚かの紙を私に手渡した。反射的に目を通すと、それはナターシャの事件と関係していると思われる、連続切り裂き魔についての概要だった。
被害者は、ナターシャとエルザを入れて全部で四人。
他の二人は国内の上級貴族で、ついでに言うとこの学園の生徒だった。以前クロードが言っていたのはこれのことか。最初の事件が起きたのは一月前。二つ目の事件が半月前。今のところ、事件は半月周期で起きているらしい。そして、二人同時に襲われたのは今回の事件が初めてらしかった。
それにしても、いくら学園内の事件とは言え、王都に住む私がこの二つの事件を知らなかったのは妙な気がする。
確かに私は社交界に出席しないし、親しい友人もいない。
けれど目の当たりにしたナターシャとエルザの傷口は、明らかに尋常なものではなかった。普通の人間が、短時間であんな犯行を行うことは不可能だ。
そんな不可解な事件が今までに二件も起きていて、王都でちっとも話題にならないなんてことがあるのだろうか?
ついでに言うと、マティアスはこの詳細な資料を一晩でどうやって手に入れたのかと言うことも気にかかる。
いや、その出所は明らかに、目の前の男のような気もするが。
「あの……」
書類を読み進めながらも、私は耐えかねてついに音を上げた。
何にって、さっきから穴が空きそうなほど私を見つめているクロードの視線に対してだ。
彼の目力はとても強力なのに、そうじっと見つめられてはおちおち思考に集中することもできない。
「なんだ?」
「見るの、やめてください」
「なぜだ?」
「なぜって……恥ずかしいからです」
「恥ずかしい? どうしてだ」
「どうしてって……」
更に問題なのは、クロードが私を見つめ続けることに問題を感じていないところかもしれない。普通は失礼になるからと、あまりじっと見つめ続けるのはよしとされないと思うのだが。
彼は王子だから、生まれた時から見られることに慣れているのだろう。
けれど、私は違う。
貴族の中でも最下級の男爵家の生まれで、社交界に出たことすらないのだ。
食堂で注目を集めた時にも思ったが、やっぱり見られるのは恥ずかしいし苦手だ。
『エリスがやめろって言ってんだからやめろよ。このエロ王子!』
けんかっ早いサラが早速噛みついている。
サラマンデルは、どうやらクロードのことがあまり好きじゃないみたいだ。
「クロード、やめてやれ。あんまり見てるとエリスが減るぞ。あとエリス、少しは感謝してやれ。お前の危機だと知って、その男は真夜中に城を抜け出してきたんだ。お前の無事な様子を見て安心したいんだろう」
書類から目を離さず、マティアスが言った。
こう言われてしまえば、拒絶することもできない。
それにしても、私の何がそこまでこの王子様の気を引くのだろうか。最初は嫌がらせのつもりで婚約者認定されたのかと思っていたのだが、ここまでくるとなんだかそれも違うような気がする。
もし嫌がらせにここまで全力を尽くしているとすれば、それはそれでこの国の未来が心配である。
「さて、ナターシャ・ヴァルギスの傷を見たが、あれはひどいな。一つ一つの傷はそれほど深くはないが、なにせ出血がひどい」
「っ! 彼女は無事なんですか!?」
「一応、命は取り留めた。だが意識が戻らん。どうなるかは半々というところだろう」
マティアスの重い口調に、私は倒れていた彼女の姿をまざまざと思い出した。
月明かりに照らされた生気のない青白い顔。土の上に広がる金髪と無残に切り裂かれたリボン。
親しい相手ではないが、顔見知りの人間が生死の淵を彷徨っているというのは、決して気分のいい話題ではない。
「あの、エルザ……一緒にいた女生徒は……?」
「ああ……彼女なら、命に別状ないがショック状態が続いていて、まともに口もきけない状態だそうだ。家族が近くにいれば、また違うのだろうが……」
泣き叫びながら、ナターシャの名を呼んでいた彼女の横顔を思い出す。
ただの取り巻きの一人かと思っていたが、なかなかどうして、彼女達の間には確かな絆が結ばれていたらしい。
「家族? 王都にいらっしゃらないんですか?」
「エルザはナターシャの目付役だ。ヴァルギス家の分家の出で、親は国元にいる」
私の疑問に答えたのはクロードだった。
ナターシャは異国の生まれだろうと思っていたが、まさかエルザもそうだったとは。
異国の地で主人共々襲撃され、彼女の恐怖はいかばかりだろう。
彼女が無事でさえあれば私の無罪を証言してもらえただろうが、そんな状態では期待しない方がいいのかもしれない。
事件後の現場を見た私ですこんなにショックなのだ。
それを事件当時のことを彼女に思い出させるなんて、あまりにも酷なことのように思えた。
「でも、これらの事件がこんなにも世間に知られていないのはなぜです? それに学長方は私を疑っていましたが、半月前やひと月前の事件は私がこの学校に来る前です。それこそ、動機がないはずでしょう?」
「それが、そうでもない」
マティアスが苦い顔をした。
「この四人……正確にはエルザを抜いた三人には、ある共通点がある」
「共通点?」
「それは、三人共がそこの王子様の婚約者候補だということだ」
最終話まで予約投稿しました!
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新連載はじめましたので
そちらもよろしくお願いします~




