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28 答えのない問い


「見覚えは、勿論あります。これは私が刺したものです」


 戸惑いつつも返事をすると、クロードはどこかほっとした様子だった。

 肩の線が少しだけ和らいだのを見て、彼が緊張していたのだと知る。

 そういえば、旦那様のイニシャルとクロードのイニシャルは一緒だ。

 まだ端糸の処理が甘い刺繍を親指の腹で撫でながら、そんなどうでもいいことに気がついた。


「そうか……」


「でも、どうしてこの手巾を殿下がお持ちなのです? これは私が婚約者の―――旦那様のために刺したものです……」


 戸惑う私に、クロードもまた戸惑っていた。


「旦那様―――ハーフィス伯爵のことか」


 こくりと頷く。

 クロードはもう私がアリスではないと見破っているのだ。隠し立てしても仕方のないことである。

 けれどそう言う彼の顔はなぜか悲しげで、向かい合う私はどうしていいのか分からなくなった。

 手巾を返すよう大きな手を差し出され、戸惑いつつも折りたたんで返す。

 それをクロードは、再び胸ポケットに戻した。まるで宝物を隠すような、甘やかな仕草だった。

 そして彼は、小さくため息をつき、言った。


「もういい。大体のことは分かった。男爵が余計な気を回したな」


 今のやりとりで、クロードは何かしらの答えを得たらしい。

 けれど私は、何も分からないどころか謎が増えてしまった。

 夫が持っているはずの手巾を、どうして王子が持っているのかという謎だ。


「どういう、ことですか? だってそれは確かに、伯爵にお贈りしたはずのものです。イニシャルを刺繍するよう父に言われて、それで……」


 その手巾を皮切りに、私は未来の旦那様のために沢山の刺繍を刺してきた。

 色とりどりの絹の糸。何を書いていいか分からない手紙の代わりに、刺繍の中にメッセージを託したのだ。伯爵からお返事が来たことは、一度もなかったけれど。

 輿入れで初めて顔を合わせた時、伯爵は私にさして興味を持っていらっしゃらない様子だった。

 刺繍のことも何も口に出されないから、きっとお気に召されなかったのだろうと、それ以来刺繍を刺すことはやめていた。


(旦那様がお渡しになった? でもそんなことあるだろうか。王子に渡すにはあまりにも、粗末な出来だもの)


 その時ふと、大人しくしていたはずのサラが、小さな両手をクロードの胸ポケットに突っ込んで、手巾を引っ張り出そうとしていた。

 クロードに熱がる様子はないが、精霊の意見を尊重すると言っていた彼は、それでも胸ポケットを手で覆って小さな侵略者から手巾を守ろうとしている。


『これ、エリスの魔力の匂いがする! 強い守りの加護が籠もってる。俺にくれ!』


「勘弁してくれ。これは俺の……大切なものなんだ」


 そう言って、クロードはちらりと私を一瞥した。


「たとえ贈り主に、そのつもりはなかったとしても、な」


 その声音が今までにないほど精彩を欠いていたから、私はもうそれ以上何も聞けなくなってしまった。

 質問をすればするほど、彼を傷つけてしまうような気がしたからだ。


「悪いが、確かめることができた。今日はもう城に戻る。―――物騒だからよく戸締まりをして、外に出るときは絶対に一人になるなよ」


 クロードはもう私の顔も見ずに、足早に部屋を出て行った。

 いつも真っ直ぐ伸びている彼の背が、深手を負った人のように少しだけ曲がっている。

 私は結局、その背中に何も問うことができなかった。

 ただ取り残された教官室で、精霊達と一緒に首を傾げていることしかできなかった。





 

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