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22 思いもよらない言葉


 次は何を作ろうか。

 クッキーのリベンジは勿論、慣れたらケーキや、他のものにだってチャレンジしたい。

 裏庭を歩く足取りは自然と軽いものになった。

 走行している間にいつの間にか陽が沈んだのか、周囲がいつの間にか夜の闇に包まれている。

 ぞわりと寒気が忍び寄ってくる。

 そろそろ部屋に戻った方がいいかもしれない。

 そう思っていたら―――。


「何をしている!」


 講堂の方から駆けてきた人物に、出会い頭に怒鳴りつけられた。

 私は呆然としてしまって、思わず足を止めその場に立ち尽くしてしまった。


「ええと、殿下……?」


 私を怒鳴ったのは、我が国の第一王子であるクロードその人だった。

 何を思ったのか、私を妃にと言ってはばからない変わり者でもある。

 彼に会うのは例の食堂での一件以来だったので、私の体は自然と強ばり、その鋭い水色の瞳に睨みつけられると身動きもできなくなった。

 一目で私はアリスではないと見抜いた彼は、出会って以来ずっと私のやることなすこと全てが気に入らないらしいのだ。


「こんな遅くまで、何をしていたっ」


 クロードは息を整えながら、鋭い口調で言った。


『あー? 突然現れたと思ったらいきなりなんだよ!』


 血の気が多いサラが、食べかけのクッキー片手にクロードに近づく。


「ちょ、やめて!」


 私は慌ててサラを止めなければならなかった。

 サラには、以前マティアスの目の前で爆発したという前科がある。

 あまり好きな相手ではないとは言え、クロードにそんなことをされたら国の大事だ。


「黙れ羽虫が」


 精霊たちの姿が見えるらしいクロードは、そう言いながらも私から視線を逸らさなかった。

 サラの周囲に、ぼっと赤い炎が燃えさかる。どうやら彼は、クロードの態度にかなり気分を害したよう

だ。


「サラ! 落ち着いて。殿下に何かしたらもうクッキー作ってあげないからね!」


 慌ててその小さな背中に制止の言葉を投げる。

 すると彼を取り巻く炎は目に見えて萎み、火の精霊はとても悲しげな顔で振り向いたのだった。


「そりゃないぜエリスー」


 甘えるような声音で、私の顔の周りをくるくると回る。

 その途中で鬱陶しいとばかりにウィンが尾びれで彼をたたき落とし、私はなんだかひどく申し訳ない気持ちになった。

 と、精霊たちに気を取られていたせいで、距離を無遠慮に詰めるクロードへの反応が遅れた。


「俺を無視するのか」


 がしりと腕を掴まれる。

 その力の強さは、恐怖で足がすくむのに十分なほどだった。


「痛っ」


『おい!』


「こんな時間までなにをしていたと聞いているんだ!」


 大声で詰め寄られて、泣きたくなった。

 どうして私は、こんな目にばかり遭うのだろう。

 遅いと言っても、まだ日が暮れたばかりだ。街中を出歩くならば危険な時間でも、王立学校の敷地内でそんな危険なことが起こるとも思えない。


「私はただ、厨房に行っていただけで……道義にもとるようなことは何もしていません! だから離してください!」


 必死にクロードの手を振り払うと、彼は少しだけ目を見開き驚くような顔をしていた。

 少し前までだったら、きっと彼を振り払うことなんてできなかっただろう。

 今日の私は、自分にもできることがあるのだという充実感に、少しだけ浮かれていたのかもしれない。


「お前は俺の婚約者になるということが、どういうことか分かっていないようだな」


 陽炎のようにクロードから立ち上る怒りに、体がすくみそうになった。

 でも、私だってこのまま振り回され続けるわけには行かないのだ。


「婚約の話を了承した覚えはありません! 大体、私がエリスだと見抜いたあなたならば、私が既に夫を持つ身であることはご存じでしょう……?」


 叫んだ言葉は、しかし最後に近づくにつれて小さく囁くようになっていった。

 そう、夫にすら求められていないとはいえ、まだ正式には離婚していないのだ。

 この国では、男女が離婚するのに幾つもの条件がある。一つは、その離婚が夫側から申し出たものであること。そう、女性の立場が弱いこの国では、女性から離婚を申し入れることはできないのだ。

 そしてもう一つ重要なのが、その結婚が白い(・・)結婚であること。

 白い結婚というのは、一度も閨を共にしていない夫婦のことを言う。

 幸か不幸か、結婚してすぐに妹に夢中になった旦那様と、私の間にそういった関係はなかったのである。

 その事実がより一層、伯爵家での私の立場を弱いものにしていたという面もあるのだが。

 私が口を閉ざすと、クロードも何を思ったのか黙り込んでしまった。

 二人の間に気まずい沈黙が落ちて、木立を揺らす風の音だけが、ひどく寒々しく耳に届くのだった。


「俺は……」


 するとクロードは、先ほどまでの態度がまるで嘘のように、囁くような声で言った。


「伯爵とお前の結婚だって、認めたわけじゃない。待っていてくれと言ったのに、どうしてお前は……っ」


 その声がひどく悲痛だったから、全く身に覚えのないことなのにもかかわらず私は何も言い返すことができなかった。


(殿下は、私を知っていた? ここにくる前から?)


「どういう、ことです……?」


 尋ね返すと、クロードはふいと悲しそうに目をそらした。

 そしてもうそれ以上、そのことについて話すつもりはないようだった。

 彼はくるりと後ろを向き、歩き出す。


「ついてこい。部屋までおくろう」


 その声音からはもう何の感情もうかがい知ることができなくて、私は混乱に支配されながらも、黙って彼の後に続いたのだった。

 

 

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