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02 どうして私がこんな目に


 その日は授業に出るのをあきらめて、制服を縫い合わせるのに精を出した。

 幸い、お裁縫は得意だ。

 嫁入り修行として、泣いても弱音を吐いても構わず叩き込まれた。

 中でも刺繍は得意で、結婚前にはモチーフの中にメッセージを隠した刺繍を今の夫に送り続けていたほど。

 けれど彼は、結婚した途端そんな物は知らないと言った。

 きっと私のことなんて、それぐらいにしか興味がなかったのだ最初から。

 そして結婚してからは、一度も裁縫なんてやる機会はなかった。私はそのことがあってから刺繍もすっかり嫌になってしまって、針と糸からはすっかり縁遠くなっていたのだ。

 でも今は、憂鬱どころかチクチクと制服を縫っていく一針一針が、これからの生活への準備のようでわくわくする。

 私は寝食を忘れ、縫い続けた。

 楽しい仕事は進むのが早い。

 夕方ごろに縫いあがった制服は、どうしても見つからなかった箇所には同じように破られたドレスの布を拝借したし、スタイリッシュというよりは少しかわいげのあるデザインになった。

 悪くはないが、集団の中では浮いてしまうかもしれない。


(でも、やっとできた。私の制服。妹のためじゃない、私のための制服だわ)


 ぎゅっと抱きしめると、温もりはないはずなのに胸が熱くなった。

 やっと、学園生活の第一歩が整ったのだ。

 私は早速できたての制服を身に着けて、食堂に向かうことにした。

 一仕事終えた途端にとんでもない空腹を自覚したのだ。

 考えてみれば家で出された昨日の昼食以降、まともな物はなにも口にしていなかった。

 幸い、食堂の場所は昨日案内される途中に見かけている。

 その時は火が落とされて寂しい風情だったが、今頃なら授業を終えた生徒たちが沢山いることだろう。


(妹の友達に会ったらどうしよう。うまくごまかせるだろうか?)


 いくら顔が似ているからといって、友達にはさすがに妹ではないと気づかれてしまうかもしれない。

 それでもここまできたらやるしかないと、私は妹の性格を再現できるよう彼女の言動を思い返した。

 無邪気でわがままで自由奔放。でもそれがかわいいと両親には甘やかされていた。根暗な私とは違って、いつも使用人に囲まれていたイメージがある。

 うまくいくだろうかと緊張に身をこわばらせながら、私は部屋を出た。

 寮の部屋は半地下。

 食堂は一階なので、階段を上がって目的地に向かう。

 すれ違った幾人かに、じっと見られた。

 制服がおかしいのだろうか。

 何度も戻ろうかとも思ったが、空腹には勝てなかった。

 そしてようやく食堂が見えてきた、そのとき。


「誰だ」


 背後からかけられた冷たい声音に、ひやりとさせられた。

 男性の声だ。

 一応既婚者である私だが、夫と父親以外の男性とはほとんど話したことがないので話しかけられただけで体がすくんでしまう。


(でも、今の私は妹なんだから……っ)


 私は勇気を出して、後ろを振り返った。

 そこにいたのは、氷のようにつめたい目をした男性だった。

 すらりと長い足に、鍛えられた上半身を覆う男子学生用の制服。そしてその上には、彫刻のように整った顔がのっている。

 私は怖くて物陰に隠れたくなったが、妹ならそうはしないはずだとスカートをつまんだ。


「ごきげんよう。わたくしが何か?」


 久しぶりの、未婚の令嬢がする礼だ。

 学校の中とはいえ、ここは貴族子息の集まる場所なのだから正式な礼をしてもやりすぎということにはならないはずである。

 しかし見返した彼の目を見て、疑いがまったく消えていないことを悟る。


「お前は……誰だ?」


 ぶっきらぼうな質問に、思わず面食らった。

 彼は私のミスを何一つ見逃さないとでも言うように、じっとこちらを凝視している。

 背筋にじっとりと汗をかいた。

 対応を少しでも間違えば、私は今すぐにでも学園を追い出されてしまうかもしれない。


「アリス・ド・ブロイ。父は男爵を拝命しております」


 名を名乗ると、男の表情が更に訝しげなものに変わった。


「アリス・ド・ブロイだと? お前が?」


 どくどくと心臓が激しく脈打つ。


(しまった! この方は妹とお知り合いなんだわ)


 確かに、整った男性を好む妹がほうっておかないような美男子である。

 知り合いであるという可能性は十分にあったのだ。

 なのに私ときたら、まるで初対面のような挨拶をしてしまった。

 彼が私に「誰だ」と言ってきたので、てっきり妹を知らないのだろうと思ってしまったのだ。

 けれど彼は、妹の顔を知った上で妹とは違う私を誰だと言って来た。

 早くも絶体絶命だと、泣きたくなる。

 けれどここで折れるわけにはいかないのだ。

 家に連れ戻されたところで、そんなに私がうらやましかったのと妹に見下されるのは目に見えている。


「ええ、確かに私がアリス・ド・ブロイですわ。失礼ですが、どなたか別のお方と勘違いなさっているのではないでしょうか?」


 私は自信を持って、胸を張った。

 確かに私はアリスではないけれど、嘘を突き通す覚悟ならとうに済ませてあるのだから。

 自信満々に言い放った私に、男子生徒は憮然とした顔をする。

 そこに、彼の後ろからメガネをかけた生徒が駆け寄ってきた。


「探しましたよ殿下」


 そう言って彼は、私たちの間に割り込むようにして彼の前に立つ。


「アリス・ド・ブロイ。性懲りもなくまたも殿下の前に現れたな。父の名を辱める行為は慎むよう注意したはずだが?」


 メガネの生徒は、一目で私を妹だと判断したようだった。

 やはり、私と妹の顔は似ているのだ。

 私は揺らぎかけていた自信を取り戻すと同時に、事態を理解して頭が真っ白になった。


(今、この人はなんて言った?)


 メガネの生徒は今、男子生徒を『殿下』と呼んだ。

 殿下というのは、王家の方々を呼ぶ際の尊称だ。

 そして今王立学園に生徒として在籍している『殿下』は、たったお一人のみ。

 第一王子のクロード様をおいて他にはいないはずなのだ。


「これは大変な失礼を!」


 私はあわてて、未婚の女子の最上級の礼をとった。

 膝を屈めて腰を折り、限界まで顔を床に近づける。

 維持するのはつらい体勢だが、許しがあるまで顔を上げてはいけないことになっている。

 ざわざわと周囲が騒がしくなってきた。

 騒ぎを聞きつけて生徒が集まってきているらしい。

 しかし冷や汗をかきながら、私はその体勢を続けた。

 すると前方から、最初の男子生徒の声がする。


「もうよい」


 そういって、彼は去って行ったようだった。

 メガネの生徒もそれを追っていく。

 とりあえず危機は脱したようだと顔を上げると、そこには更なる危機が待っていた。


「こりもせず、またも殿下にご不快な思いをさせたのですか? いったいいつになったら身分をわきまえるのです。アリス・ド・ブロイ」


 そこには十人近い女子生徒が壁を作っていた。

 そしてその中の中心人物らしい巻き毛の生徒が、私を見下ろしながら一歩前に踏み出す。


「殿下の婚約者第一候補であるわたくしを差し置いて、殿下と直接お話しようなどと百年早いですわ!」


 一難去ってまた一難。

 一体いつになったら私は食堂に入れるのだろうと思いながら、私は彼女の顔を見上げる他ないのだった。

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