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19 厨房にて


 とはいえ、私はこれでも一応貴族の娘なので、流石に料理の心得までは躾けられていなかった。

 そういうわけで私は、教師用の食堂で働く料理人に教えを請うことになった。


「あのう、本当にお嬢様がおやりになるんですか?」


 お母様より少し年のいった料理人が、不安そうに何度も確認してくる。

 彼女の名前はマリアといい、女性でありながらこの食堂では料理長として長年勤めているとのことだった。

 今後一人で生きていきたいという目標を立てている私には、この機会は願ってもないものだ。一人で暮らすなら裁縫だけでなく料理や掃除などの家事もできなければいけないだろうし、それをこうして堂々と習えるというのは、とてもありがたいことだった。


「ええ。一応生徒ではありますが、たいした家格の出ではないので心配しないで。遠慮なく料理のご指導をお願いします」


 さっきから何度も重ねてそう言っているのだが、マリアはその不安そうな表情を隠そうともしなかった。

 まあ、貴族の娘が自ら料理をすることなんてそうあることではないから、彼女が不安に思うのも無理はない。あとでさっと手のひらを返されて、うちの娘になんてことをしてくれたんだと難癖つけられるのを警戒しているのだろう。

 しかし、私に限ってはその警戒は全くの無駄なのだった。

 だって私のお父様にとって、私はもう伯爵家に嫁ぐというお役目を果たした、用なしの娘なのだから。

 思考がどうしても暗い方に行きそうになるのを、気がついて慌てて方向修正する。

 折角研究生という新しい道が開けたのだ。

 サラやウィンという新しい友達もできたことだし、ぐじぐじいじけてこの新しい挑戦を楽しまないなんてもったいない。


「精一杯頑張りますので、よろしくお願いいたします!」


 私が勢いよく言うと、面食らったらしいマリアは小さなため息を一つついて、ようやく私の願いを叶える気になったようだった。


「それでは、今日は簡単なクッキーを作ることにしましょうか」


『クッキーってなんだ? それどんなだ? うまいか?』


『人間て本当に不思議。ご飯を食べるのにそんな手間暇をかけるなんて』


 マリアの言葉に反応したように、サラとウィンが厨房の中を飛び回りながら言う。

 長く人間との交流がなかった彼らには、オーブンを備えた現代風の厨房は物珍しく映るらしかった。

 積んである野菜の葉をめくったり、果物をつついてみたりと忙しそうだ。

 マリアによると、クッキーはバターと小麦の粉、そこに砂糖を混ぜて生地を作り、それを型抜きしてオーブンで焼くのだという。


「一番難しいのはオーブンの火加減ですから、それは私がやりますね。お嬢様はそこにある材料をボールに空けて混ぜ合わせてください。切るように、さっくりまぜるのが美味しいクッキーを焼くコツですよ」


 お嬢様なんて言われるのは久しぶりで、なんだか少しくすぐったかった。

 調理台の上には既に計量を終えたらしい材料が載っていて、マリアがあらかじめ用意してくれていたものらしい。


「申し訳ありません……こんなにお手数をかけてしまって……」


 それを見た私は、ほんの少しだけ悲しくなった。

 確かに料理は初心者だが、それでもマリアが何から何までお膳立てしてくれたことだけは分かる。

 彼女は面倒な手順は全部自分で引き受けて、私に『お料理した気分』だけ味合わせるつもりなのだ。

 勿論それが一番面倒のないやり方なのは私にも理解できたが、これで本当に料理をしたと言えるのだろうかと、複雑な気持ちになるのを止めることはできなかった。

 それがどうやら顔にも出ていたらしく、マリアは困った顔をしていた。


「ああ、手が汚れるのがお嫌でしたら、混ぜるのも私がやりましょうか……?」


 彼女が、善意で言ってくれているのは分かっている。

 けれどその申し出がより一層辛く思えて、私は下を向いてしまった。

 そしてその瞬間、俯いていてはダメだと言うことに気がついた。

 俯いて言いたいことを我慢していたから、今までひどい目に合ってきたのだ。

 たとえ相手が料理人であっても、何かを意見するというのはひどく勇気が要る。でも私は、俯いて黙り込んでしまう自分からもう決別すると決めたのではなかったか。


「違うんです。次からは、材料を集めるところから自分でやってもいいでしょうか? オーブンの火加減も、自分でできるようになりたいんです。私は……いつか自分の世話を全部自分でできるようになりたいんです!」


 思いの丈をぶつけると、マリアは目と口を開いたまましばらく呆然とした様子だった。

 そりゃ、貴族の娘からこんなことを言われるなんて、想像もしていなかったことだろう。


「ええと、それは―――いや、ちょっとお遊びでここにきたんじゃないかって、勝手に決めつけて悪かったね。じゃあこれからは、アンタのこと弟子だと思って遠慮なく行くけど、それでもいいかい?」


 砕けた口調になって、マリアは悪戯っぽく笑った。

 私は正直に言ってよかったのだと嬉しくなり、大きな声で返事をした。



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