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18 新しい生活


 私はその日から臨時の研究生として、通常の授業には一切出なくてもよくなった。

 まだ未練たらしく他の授業にも出たいという気持ちは残っていたのだが、マティアスが「今の学年が卒業してからゆっくりと履修すればいい」と言ってくれたので、ありがたくその提案を受けようと思っている。

 彼は信頼に値する人だ。

 ここ数日で、私はそう理解することができた。私は教官室の隣にある小部屋を与えられ、物置だったその部屋にはすぐに荷物がどけられ真新しいベッドが届けられた。

 食事も寮の食堂まで行かずとも、教職員用の食堂を使ってもよいとされた。

 規模でいうなら圧倒的に寮の食堂の方が大きかったが、教職員用の食堂はこじんまりとしていて私には利用しやすかった。メニューが豪華という理由で寮の食堂を利用する職員は多いらしく、いついっても人が疎らなのもいい。初めて出会った時マティアスが寮の食堂に居たのも、どうやらそれが理由のようだった。


「ふむ、では精霊というのは、地上に常に存在しているというわけではないのだな?」


 マティアスは難しい顔をしながら、カリカリと紙にペンを走らせていた。


『そうね。自分で言うのもなだけれど、精霊というのは気まぐれよ。ずっと一つところに留まる者もいれば、あちこち移動し続ける者もいる。寿命はないけれど、その代わり自ら深い眠りにつく者もある。私もついこの間まで眠っていたのよ。サラのお馬鹿さんがあんまりうるさくするから、目が覚めちゃったんだけどね』


『はんっ、だったらずっと眠っていればよかったものを』


 サラの嫌みに対し、ウィンはその魚の尾をパシンと振り下ろすことで対抗していた。

 冷たい雫を頭から被ったサラは、ふらふらとその高度を落とす。

 私は慌てて、そのまま地面に落ちていきそうな彼を両手のひらで受け止めた。

 サラとウィンはあまり仲がよくないのだけれど、問題は水属性であるウィンの方が圧倒的に有利なことだ。

 火の属性を持つサラマンドルは、水に対する耐性が弱い。

 なのでこの二人が言い争いになると、かわいそうにいつもこんな風に一方的にサラが負けてしまうことになる。


「もう。ウィンやめて。そんなことばっかりしてると、ドレス作ってあげないから」


 ここ数日で随分打ち解けたので、平気でこんなことを言えるようになった。

 こう言うとウィンはたちまち慌てて、ご機嫌を取るように私にすり寄ってくる。

 途方もない力を持ち、何をしでかすか分からないという恐さはあるけど、こうして話している分には、不謹慎かもしれないけれど彼らはとても可愛らしい。

 ずっと親しい友人などいなかった私は、この短期間の間にも彼らに親しみを抱くようになっていた。

 精霊たちには、身分も何も関係ない。

 私が顧みられない伯爵夫人であることも、両親に愛されない娘であることも、彼らには何も関係のないことなのだ。

 人間の友人では、おそらくこうはいかないのだろう。貴族の社会は良くも悪くも、身分が全てなのだから。

 そして、当初の予定とは全く違ってしまったけれど、私にはこの学園で初めての友人(・・)ができたのだった。

 眉間の皺を深くしたマティアスに、先ほどのウィンの言葉をそのまま伝える。

 すると彼はすさまじい勢いでペンを走らせ始めた。


「そうか、寿命はないのか。それならば現在も魔法具が使える説明がつくな。だがそうすると彼らの動力源はなんなんだ? 生命体であるからにはその力も無尽蔵ではないだろう。食べ物は食べるのか?」


 質問しながらも、マティアスが顔を上げることはない。

 どうやら彼の思考は、目の前に居るエリスのことなどお構いなしに、忙しい考察の海を漂っているらしいのだ。


「ねえ、二人はお腹が減ったりしないの?」


 そういえば、ここ数日一緒に居て何か食事を取っている様子もない。

 自分のことで手一杯だったエリスは、そんなことも気づいていなかった自分に微かな罪悪感を抱いた。

 しかし二人は、なんだそんなつまらないこととでも言いたげに首を横に振る。


『俺たちは大地から生まれる、魔素を喰らって生きてる。というよりも、魔素そのものによってできていると言った方が妥当だな。だから人のような食事はしないんだ。何千年も力を蓄えて意識を得た存在だから、そう簡単にエネルギー切れにもならないしな』


 分かったような、分からないような説明だった。

 とりあえずサラの言葉をそのままマティアスに伝えると、彼はまたしても猛然とペンを走らせ始めてしまった。私には難しい答えだが、魔法学を専門とするマティアスにはなにか意味のある返答だったらしい。


『でも、食べられないわけじゃないのよ。エリスのように、適性のある人間の料理は私達にとって甘露だわ』


「そうなの?」


 ウィンの説明に、私は目を丸くした。

 

『ええ。大昔、力の強い人間から献上された食べ物はそりゃあ美味しくて、精霊同士で取り合いになった者よ』


『ふん意地汚い。水の精霊はこれだから』


『あら? なんでも見境なく燃やし尽くしてしまう、火の精霊にだけは言われたくないわ』


 と、また喧嘩になりそうになっていた。

 私はなんとかそんな二人をなだめつつ、書き物に夢中なマティアスにウィンの言葉を伝えた。

 すると彼は勢いよく顔を上げ、そして私に命じたのだった。


「エリス! 今すぐ精霊たちのために料理を作るんだ!」


 私はとにかくその言葉の勢いに驚いてしまって、戸惑いつつも頷くことしかできないのだった。



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