17 とりあえず、決着
『その男、王族なのではなくて?』
ウィンが言って、意味深に魚の下半身を波打たせた。
「どういうこと?」
尋ねると何を思ったのか、ウィンはクロードの顔すれすれを飛んで、ペチリと尾ひれで彼の眉間を叩く。
クロードは反射的に目を閉じ、ウィンを振り払おうと目の前に手をやった。
ウィンは素早い動きで視覚である彼の頭上に避難したが、どうやらクロードが精霊を見ることができるのは間違いないらしい。
「ウィン!」
仮にも王子を、怒らせるようなことをしてはダメだと私は怒鳴った。
そりゃあ私だって、クロードのことは好きではないけれど、それとこれとは別だもの。
しかしウィンは意味深に笑うだけで、ゆらゆらと私に向かって手を振るように尾びれを揺らしている。
「この魚のようなものはお前の手下か?」
顔を怒らしたクロードの視線は、どうしようもなく私に真っ直ぐ向かっていた。
「て、手下というか、友達です……」
首を竦めて、そう答えるしかない。
ついさっきできたばかりの『友達』だが、マティアスから私を守ってくれようとした二人を見知らぬ精霊だと答えたくはなかった。
「ああもう。俺も大概人付き合いは苦手なたちだが、どうしてお前はそうやってエリスを目の敵にするんだ? そんなに威圧ばかりしていたら、相手が萎縮して話が進まないだろう。一体エリスにどんな恨みがあるんだ」
「っ……目の敵になんてしていない!」
突然クロードが大きな声を出したものだから、内容にかかわらず私はびくりと震えてしまった。
しまったというような表情の彼と目が合う。
どうして彼は、こんなにも私に突っかかってくるのだろうか。
妹の名を騙って学校にやってきた私が気に入らないにしては、彼の態度はやりすぎというか過剰なもののように思える。
「失礼ながら……」
震える声で、私は言った。
「ご不快でしたら、もう御前に姿を現しません。クラスの授業にも出ません。ですからどうか学園の隅に、身を置くことをお許しください……」
震えながら、私は彼に頭を下げた。
もう礼儀など関係ない。最高礼を禁じていようが、それがなんだ。今はただこうするしか、私にはすべがなかった。
この荒波のような毎日の中で、彼は海そのものを揺り動かす嵐で。私は頼りない小舟に揺られながら、早く嵐が過ぎ去ってくれと祈る漁師と同じ。
「……顔を上げろ」
言われるがまま、クロードを見上げる。
なぜか彼は、ひどく傷ついたような顔をしていた。
「殿下どうか、私のことなど捨て置いてください。私はこの学校で、魔法の勉強がしたい。それに帰る場所なんて、どこにもないんです! 男爵家にも、伯爵家にだって……っ」
言ってから、しまったと思った。
これでは我が家の恥をさらしたも同然だ。言及されたら、どう答えればいいのか。
―――正直に、夫を妹に寝取られたと?
そんなこと、許されるはずがない。いくら父を恨んでいようと、実家の醜聞になるようなことを外に漏らしていいはずがないのだ。
慌てて口を押さえるが、一度言ってしまった言葉は二度と戻らない。
案の定目を見開いたクロードは、どういうことだと唖然としたように呟いた。
「帰る場所がないというのは、一体……っ」
「はいはいちょい待ち! 二人とも落ち着け」
私の肩を掴もうとしたクロードの手を、マティアスが遮る。
気がついたときには、マティアスの背中が目の前にあった。
「クロード。お前が言いたいことも分かるが、今はとりあえずそっとしておいてやったらどうだ? 俺はともかく、こんな格好のままじゃエリスが風邪をひく」
そう言われて、私は改めて自分があられもない格好であることを自覚した。
緊急時だからしょうがないと思っていたが、本来は男性二人の前に出ることなど到底できないような格好なのだ。
マティアスの向こうで、クロードが威勢を削がれたのが分かった。
更にマティアスが何事か囁くと、しばらくして彼は大人しく教官室を出て行ったのだった。
一体何を言ったのか。
気になりはしたが、それを尋ねる勇気はなかった。
それよりも今は、こんな迷惑ばかりかける私が本当に研究生になってもいいのかという不安の方が大きい。
さっきのやりとりで、マティアスの気が変わってしまったのではないか。
そう思うと、気が気ではなかった。さっきクロードの言ったように、私にはどこにも行く宛がないのだ。
「あの、先生……?」
恐る恐る呼ぶと、振り返ったマティアスに怒っている様子はなく、ただ呆れたような顔をしているだけだった。
「さあ、さっさと着替えるんだ。本当に風邪をひくぞ!」
「は、はい!」
勢いに押し切られて、やっぱりなにも聞けなくなってしまう。
私はクロードが去っていた扉を横目に、今は黙ってマティアスの言葉に従うことにした。




