16 突然の闖入者
「……なにをしている?」
それは、地獄の底から響いてくるような声だった。
はっとして振り返る。
教官室の入り口では、クロードが地獄そのもののような顔で立っていた。
「で、でんか!?」
思わず握手を解く。
私はマティアスのシャツ一枚という無防備極まりない自分の格好を思い出し、慌ててその場にしゃがみ込んだ。
今の今まで平気でいられたのは、マティアスの話の方に気を取られていたからだ。
それを不憫に思ったのか、マティアスが彼の視界を遮ろうと入り口まで歩いてクロードを出迎えた。
「俺に用か?」
二人が話している間に、せめてもクロードの視線から隠れよう。
そう決心した私は、しゃがんだままこそこそと部屋の隅に移動した。
積み上がった箱と箱の間に自分の体を押し込め、クロードの視線から逃れる。
私についてきたサラとウィンは、不思議そうに私を見下ろしていた。
『どういう遊びだ? 俺も混ぜろ!』
私は返事もできず、ぶるぶると震えるばかり。
『どうやら遊びじゃないようね。あの男、追い出す?』
『なに!? 敵なら俺が追い払ってやるぞ!』
二人の精霊の物騒な申し出に、私は慌てて首を横に振った。
体の大きさに比べて、彼らの力は強すぎる。一国の王子であるクロードに、何をしでかすか分かったものじゃない。
しかし、そんな二人に気を取られていたのがいけなかった。
「新たな遊びか?」
すごみのある笑みで、なんとクロードが私の目の前に現れたのだ。
こうなると部屋の隅に移動したのは完全なる失策だった。
だって箱とクロードに挟まれて、私は完全に追い詰められてしまったからだ。
「で、殿下、あの……」
仕方なく立ち上がり、クロードのシャツの裾を引っ張る。
何もかも見透かしてしまいそうな彼の目の前では、ダボダボのシャツでもひどく心許ない。
「未来の旦那様に、ずいぶんな態度だな?」
彼の声音は、押し殺した怒りも露わだった。
クロードが何にそんなに怒っているのか分からず、私は困惑した。
「に、逃げたことなら謝ります。こんな格好で御前にまかりこすのは……ええと……」
「早速マティアスを誑し込もうとしたのか? 気の多い女だ」
「ちがっ!」
クロードのとんでもない誤解に、慌てて反論しようとした。
だって私はアリスじゃなくてエリスだと、彼はよく知っているはずなのに。
しかし私のなけなしの勇気は、すぐさま彼の言葉でかき消されてしまう。
「何が違う! 俺に黙って勝手に結婚したくせに!」
クロードのあまりの剣幕に、私は呆然としてしまった。
大体、彼の言い分はおかしい。
私が伯爵とした結婚はちゃんと国にも願い出た正式なものだし、大体いちいちクロード個人に許可を取る必要なんてないはずだ。
なにせ私は、この学校に来るまで彼に会ったことすらなかったのだから。
「わ、わたしの結婚は、きちんと国にご許可を頂いたものです。勝手になんて、そんな……」
何を言っても、徹底的に食い違っている気がする。
私の困惑を読み取ったのか、サラがクロードの顔の目の前に飛び出した。
『エリスに手を出したら許さないぞ!』
「ま……っ」
先ほど存分に、彼の力を思い知らされている私は慌てた。
まさかさっきのマティアス相手のように、クロードの目の前で爆発されては困ってしまう。
マティアスは顔に怪我もなく無事だったけれど、何かの間違いで王子に怪我を負わせたなんてことになったら、大事過ぎて私では責任の取りようがないからだ。
「なんだこの羽虫は」
しかしクロードは、私の心配などどこ吹く風でサラの襟首を掴みぽいっと背中に放ってしまった。
これにはサラも驚いたようで、クロードの後ろで目をまん丸に見開いている。
「おい、そいつが見えるのか!?」
話の成り行きを見守っていたマティアスが、突然駆け寄ってきた。それは怒っていたクロードが呆気にとられるほどの真剣さで、彼に詰め寄る。
一転して傍観者の立場になった私は、唖然として二人の会話を見守ることになった。
「見えるだと? なんのことだ」
「さっき羽虫と言って放り投げただろう! 服だけが見えたんじゃなくて、羽が生えた何かが見えているのか!?」
そう言われてみれば、確かにそうだ。
マティアスのように私の作った服だけが見えているのなら、彼の『羽虫』という発言はあり得ない。
もしかしたら彼には私と同じように、サラとウィンが人の形で見えているのかもしれなかった。




