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12 小さな太陽


 どうやら私は、一つのことに集中すると他のことが見えなくなるらしい。

 そういえばまだ結婚する前、旦那様に送る刺繍を刺していた時も集中しすぎてよく寝食を忘れた。乳母がまだ生きていた頃は、いい加減にしなさいと怒られたほどだ。

 そしてその刺繍は、刺すほどに大きく複雑な絵柄になっていった。

 私の密かな楽しみは、返事の手紙さえくれない婚約者が、刺繍の中に隠した暗号に気づいてくれるかということだった。

 けれど結婚前の旦那様がその暗号に気づいてくれたことは一度もなくて、そのことに触れた手紙が私に届くことは一度としてなかったのだけれど。

 思えば結婚前から、旦那様は徹底的に私に対して無関心でいらした。

 一緒に暮らしている内にいつかはと思っていたが、今となってみればそんな儚い願いすら虚しい。


「いい加減忘れなくちゃ」


 ちくちくと針仕事をしながら過去を振り切ると、私はより一層サラマンドルの洋服作りに精を出した。

 彼に似合いの赤いサテン地をドレスから切り取り、サイズを測らせてもらえなかったので目分量で彼の服を仕立てていく。

 目分量とは言っても、スタイルはほぼ人間と変わらない。

 だとしたらあとはそれを縮小させるだけだ。

 人形の服を手作りしたこともあるので、それは細かくはあってもそれほど難しい作業ではなかった。

 チクチクチクチク。

 揺れるろうそくの明かりの下、時間は飛ぶように過ぎていった。

 そしてようやく満足のできる服が完成した時、外はすっかり朝を通り越して昼になっていた。

 授業はサボってしまった形になるが、どうせあんなことのあとではおめおめと顔を出せるはずもない。

 むしろ、ナターシャと取り巻き達がこの部屋まで押しかけてこなかったのが不思議なくらいだ。

 とにかく洋服ができあがると、私はそれを早くサラマンデルのところに持って行こうと立ち上がった。

 しかしすぐにくらりと目眩を感じ、ベッドの上に倒れ込む。

 きらきらと、宙に舞う埃が光っていた。

 そしてその映像を最後に、私の記憶は途切れてしまった。



  ***



 目が覚めた時、半地下の部屋には橙色の光が差し込んでいた。

 夕方らしい。

 しばらく頭はぼんやりとしていたが、その光を見ていてはっとした。

 私はできあがったばかりの小さな服を手にすると、サラマンデルと出会った森へと急いだ。

 どうしても陽のある内に、あの小さな精霊にこの服を見せたかったのだ。

 改めて思い出してみれば、誰かにあんな熱心に何かを作ってほしいと頼まれたことなんて初めてで、だから私は必要以上に頑張ってしまったんだと思う。

 父に言われて、旦那様に贈り続けた刺繍の暗号。

 せっせと贈り続けたけれど、反応を返されたこともなければ望まれたことだってなかった。

 でもこの服は、違う。

 たとえ見知らぬ、それどころか人間じゃない相手だったとしても、私はきっと嬉しかったのだ。

 サラマンデルが私の服を褒めてくれて、私に服がほしいと熱心にお願いしてくれたことが。

 走ると、少しふらついた。

 そういえば丸一日以上ご飯を食べていない。戻ったら何かお腹に入れなければ。

 橙の空はだんだんと紫色になり、夕闇が迫っていた。人気がないのはよかったが、だんだんと視界が悪くなってくる。

 そのせいか、あるいは私が焦って走りすぎたからか、昨日の中庭の手前で、私は人にぶつかってしまった。


「きゃっ」


「うわ!」


 お互いに尻餅をついた。

 顔はよく見えないが、相手は男の人のようだ。


「も、申し訳ありません!」


 どう考えても私の前方不注意が原因だったので、私は慌てて謝った。

 そして気づく。握りしめていたはずのサラマンデルの服がない。

 膝もすりむいていたが、今はそれどころではなかった。

 地面の上に手のひらを這わせ、どこかへ行ってしまった服を探す。


「いや、こちらこそ……ってお前アリス―――いやエリスだったか?」


 放っておく形になってしまった相手から、本当の名前を呼ばれて驚く。

 よくよく見れば、彼は片目に特徴のあるモノクルをかけていた。


「マティアス先生……」


 誰にも会いたくなかったというがっかりと、とりあえずクロードじゃなくてよかったという安堵が一緒にやってくる。

 そういえば混乱して忘れていたが、昨日クロードはマティアスの前ではっきり私がエリスであると発言していたのだった。

 その後の食堂での出来事があまりに衝撃的すぎて忘れていたが、マティアスに素性がバレてしまったのも十分問題だ。

 どうしようかと黙り込んでいると、マティアスはゆっくりと立ち上がり胸ポケットからなにやら小さな道具を取り出してそれを操作した。

 すると小さな光の球が突然現れて、優しく私達を照らし出す。

 きっと魔法具に違いない。

 こんな時でなかったら、私はきっと魔法具が目の前で見れたことにはしゃいでいたことだろう。


「何かを探していたようだが、もしかしてこれか?」


 そして彼は、片手の指先で小さな赤い服をつまみながら言った。

 それは確かに、私が探していたサラマンデルの服だ。


「そうです!」


 私も慌てて立ち上がると、服をかざす彼の手から服を受け取ろうとした。

 しかし、マティアスはその服を渡さず、何やらモノクルの目の前まで持ってきて念入りに観察している。


「随分と小さい服だが、人形の着せ替え用の服か?」


 私は困ってしまった。

 昨日のサラマンデルとの出会いを、正直に話していいものかどうか分からなかったからだ。

 この中庭で精霊を見たと正直に言っても、とてもじゃないが信じてもらえるとは思えなかった。

 マティアスはそんな私に構わず、興味深そうに私の縫った服を観察している。


「あの、それは……」


 とにかく返してもらおうと、一歩前に出たその時だった。

 マティアスが出した光とは別の、強い光が私達の真上で爆発する。


「きゃー!」


「なんだ!」


 光には熱があり、強風を伴っていた。

 反射的に目の前に腕をかざして目を守ったけれど、他は身動きもできず砂が入らないよう口を閉じるだけで精一杯だ。

 やがて熱はそのままに、風が収まった。

 恐る恐る目を開けると、そこにいたのは小さな太陽のように輝くサラマンデルだった。




 

 

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