一章 四節 親
突然だが、裏音と麻姫に本当の親というものは存在しない。
二人が生まれた瞬間に、亡くなってしまったからだ。
これは、この世界では珍しくもない。
二十年前から両親の死亡する事例は多く起きており、今では数万人の子供に両親がいない。
大人達は、このことを「能力者」の持つエネルギーの強さによるものだと世界に発表した。
しかし、よく考えると子供を身ごもっていない父親も死ぬという奇妙な点に気付いた。
同じ遺伝子を持つものを子供が消す、偶然父親が近くにいて母親の死に巻き込まれた、様々な憶測が飛び交っていたが、真実は分からないままだった。
生まれながらにして両親がいない、それは幼い子供にはとても辛いものだろう。
けれど裏音達は、両親がいないことをあまり気にしていなかった。
それは、春樹と他の二人のおかげだった。
桜並木を過ぎて少し歩くと住宅地が見えてくる。
その中にひときわ目立つわけでもなく、周りの住宅と同化するような家があった。
春樹の家だ。
春樹の宿題をどこでやるか決める際に、すでに宿題の終わっている俺と麻姫は、教えるだけでいいので近い場所でやろうということになり、春樹の家にきたのだ。
ガチャッ
春樹の家の扉が開く。
家の中もどこの家にもありそうなものであふれている。
春樹が何も言わずに靴を脱いで家の中に入っていく。
まぁ自分の家だから当たり前なのだが。
それに続くように俺と麻姫も「お邪魔します」と言って中に入った。
家の中には、女性が額から血を流して、糸の切れた操り人形のように倒れていた。
それを見た春樹が、女性に近づいて
「母さん起きて」
意識の確認をしていた。
死体のようになっていた女性は、何事もなかったように立ち上がって
「付き合い悪いぞ、わが息子よ」
そう言った。
この女性こそが、春樹の母親、晴美さんだ。
そして、今のやり取りを見るのは今年で五回目だ。
仕掛けは簡単。ケチャップ少量のみ。
「母さん今年に入ってそのネタ三十回目だよ…」
なるほど来客が来るからやってるじゃないんだな。
息子への興味を失ったのか、晴美さんがこちらに話しかけてきた。
「あ、裏音くん麻姫ちゃんいらっしゃ〜い」
息子の友達への挨拶より、ドッキリを優先するのはどうかと思ったが、
「こ、こんにちは」
俺と麻姫は、戸惑いながら挨拶した。
〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇
「はっはっはー。幾多の試練を乗り越えよくぞ我が城に参った」
晴美さんが、死亡フラグが立った魔王のような口調で歓迎の言葉を言ってきた。
幾多の試練など桜並木からこの家に来るまでにありはしないのだが、強いて1つ挙げるなら待ち時間の長い信号に捕まったことだろうか?
なんだかステージ1のスライム並みの魔王みたいで弱そうだ。
晴美さんは、いつも冗談を言って俺達を笑わせてくれる。いや、正確には晴美さんを除いて誰一人笑ってはいないのだが、みんなが楽しくなるのだけは確かだ。
自覚があるのかないのかは分からないが、この冗談に救われたこともあった。
「あっれー。誰も反応してくれないのぉ〜」
晴美さんも若くは見えるが結構歳なので、最近は冗談というよりギャグのように聞こえるようになってきた。しかも絶望的に面白みがない。笑えと言う方が難しい。
「笑わないなら笑わせちゃうぞ〜」
そう言って晴美さんは麻姫の脇腹をくすぐった。
「あっ、ちょ、待って」
「待ったな〜い」
この人俺達を楽しませるとか考えてないな…。
結論的に言うなら晴美さんは自分が楽しければそれでいいのだ。
「その辺にしときなよ」
そう言ってその場に入り込んできた人物がいた。春樹の父、和希さんだ。
お調子者の春樹や晴美さんと違って和希さんはしっかり者だ。
晴美さんと和希さんは、親のいない俺と麻姫を春樹と同じように接してくれた。
当然俺と麻姫は、そんな二人になついた。自分の親がいない悲しみは、二宮家の三人が癒してくれた。
「はしゃぐのもいいけど自分の年齢考えてよ。お客さんも来てるのに…」
「誰と一緒だろうと、いつどこにいても、私は私の態度を変えない」
かっこいいことを言っているようだが態度が酷すぎて台無しだ。
「ごめんね、裏音くん、麻姫ちゃん」
和希さんが申し訳なさそうに言ってきたので
「「いえもう慣れたので…」」
いつものように俺と麻姫は、少し疲れたようにそう言った。
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宿題のことなど忘れていた春樹の宿題を終わらせ、俺と麻姫は自分の家への帰路についた。
俺の家は春樹の家から五分ほど歩いた場所にある。
玄関の鍵を開け自分の家に入る。ただいまもおかえりも聞こえることはない。
春樹の家に行った後は決まって孤独を強く感じる。
昔は、あまり気にしなかったが時が経つにつれ、自分は所詮一人なのだと強く感じるようになった。
楽しかった時間は、生活の中心にはない。
中心にあるのは孤独と両親が生きていたらという想像だけだ。
俺はもやもやした気持ちを消すために早めに布団に入った。
けれど気持ちはなかなか消えなかった。