愛すべき馬鹿
今さら、こんなことを思い出しても。
僕は暗い部屋で椅子に座ったまま、低く笑った。
人間の記憶なんて、都合がいいようにできているのかもしれない。なくなった部分を埋めるために、適当につなぎ合わせてできたのが、この数年間のグレイ・スターリングか。殺人者としての僕。
僕が殺したかったのはレティシアだけだった。他の誰も殺したくて殺したわけじゃない。
僕がエアリアルについての記憶を失ってから、色々あった。レティシアは子供たちを収集するのをやめた。僕以外の子供たちを殺し、その死体の処理を僕にさせた。おそらく、口減らし――食料の調達が面倒だから、下僕は最低限の人間だけにした、と僕は考えていた。
でもきっと、集める理由がなくなったからなのだ。
レティシアの目的はエアリアルだ。正しくは、エアリアルの肉体。
そして、レティシアの従順な下僕である僕とエアリアルの肉体が入れ替わった今、レティシアは安心しているのかもしれない。少なくとも、エアリアルの肉体だけは安全だと。
――それなら、いいのだけど。
僕は暗闇を見つめながら考えていた。
髪の毛を切ったのは、今後のためだ。
レティシアがいつまで司法局に閉じ込められているのかは予想がつかない。彼女が司法局の手によって処刑されないのならば、何とか処刑されるように仕向けられないだろうか。
とにかく、司法局の動きを掴まなくてはならない。中央の連中は何を企んでいて、彼女を生かしておくのか知りたい。
ただ、どうやってそれを調べる?
魔法を使って変装したとしても、相手が魔法取締捜査官であれば簡単に見抜かれてしまうだろう。エアリアル・オーガスティンの顔は司法局の人間なら知っているはずだし、髪の毛を切っただけでは何のごまかしにもならない。それでも、やらないよりはマシ、といった感じか。
他にどうすればいいのか、どんなに考えても上手い方法が見つからないのが問題だ。
僕はエアリアルに『接触』した。もちろん、鏡を使って。
「最悪! 切ったのね!」
エアリアルが僕を――正確には僕の髪の毛を――見るなり、目を吊り上げて悲鳴じみた声を上げる。つい、僕は吹き出したくなるのをこらえた。ここは笑う場面ではない。いくら、相手がグレイ・スターリングの肉体で、女の子みたいな仕草をしていたとしても。
久々の彼女との会話は楽しかった。その瞳の奥に、昔会った時の彼女の面影を見つけようとしたけれど、どうも何かが違う気がする。
僕の記憶の中の彼女は、泣いている姿が多い。でも、今の彼女は怒っている顔しか見せてくれない。
何だか、グレースと話をしているみたいだ。
お手本。そういうことだろうか。
記憶を失った彼女は、僕と同じように失った部分を何か違うもので埋めた。彼女の中には、エアリアルがなりたいと思った『強い少女』がいるのかもしれない。
何だか――少し、可哀想だと思った。
それは、エアリアル、君の本当の姿じゃない。そう言いたくなったけれど。
相変わらず彼女は僕に対する敵意をむき出しにしていたし、僕も今までの態度を崩すつもりはなかった。彼女の部屋にはレティシアの使い魔がいるのだから。
彼女はやがて、僕から目をそらして使い魔を見下ろした。そして、酷く優しい手つきでそれを撫でる。
「この子はわたしのことが好きなのかしら」
そう彼女が言った途端、ああ、やっぱり馬鹿なのは治っていない、と内心ため息をついた。
確かに、腹を見せて転がっている赤いトカゲは、馬鹿っぽくて可愛く感じるかもしれない。ただ、その可愛らしさは偽りだ。もしくは、エアリアルによく似ているからか。恐ろしく無邪気なまでに警戒心がないから。
どう言えば彼女に伝わるだろう。レティシアの使い魔が危険な存在だと。
使い魔がこの話を聞いて――いないかもしれないな、と僕は考えを改めつつ目を細める。目の前にいる使い魔はレティシアの名残だけはあったけれど、もうほとんど危険な感じがしない。
レティシアは司法局でどんな扱いを受けているのだろう。もしかしたら、もう外界に接触するのが難しいから、使い魔も弱まっているのだろうか。
今だったら簡単に殺せるだろうに、と僕はじっとそれを見つめた。まあ、エアリアルはどうやら殺すつもりは欠片もないらしいが。そういうところは彼女らしいところなんだろうけども、やっぱりもどかしく感じる。
やがて、僕は考えた。
彼女を通じて何か情報を引き出したい。どうすれば上手く誘導できるだろうか。
一番に欲しいのは司法局の動き。エアリアルは北部の連中の保護下にある。だから、中央にいるレティシアのことは解らないかもしれない。それでも、例の工房のことはどうだろう。貸倉庫には何もなかったのだろうか? さりげなく彼女の口から漏れる言葉に意識を集中させるものの、彼女は何も僕が気にかかりそうなことは言ってくれなかった。
それでも。
彼女が口にした殺人事件のことは、少しだけ気になった。だから話を聞くことにした。そして、謎が増えた。
エアリアルが巻き込まれた殺人事件とやらには、間違いなくレティシアが絡んでいる。レティシア以外に赤い使い魔を作れる人間がいるとすれば話は別だが、そんな偶然は考えられない。
レティシアは子供たちを『処分』してからは、ずっと収集のために誰かを誘拐してくることはなかった。その代わり、治療魔法の研究のために人間を解剖し、人間の肉体の構造を確認することに時間を割いていた。
まさか、司法局に逮捕されてからも同じようなことをしていると?
確かにレティシアのやりかたに似すぎている。
接触しよう。
僕はエアリアルと会話している途中、唐突にそう思った。
レティシアに会うことは不可能。しかし、彼女の下僕となった殺人者はどこかにいる。そいつを捕まえてみよう。そうすれば、何か解る。
ウェクスフォード学園の関係者で、レティシアの使い魔に操られて心を失った人間。少し厄介ではあるけれど、やれないことはない。司法局の連中に接触するより、遥かに簡単だ。
「グレイ?」
エアリアルが僕の名前を呼んで、我に返る。彼女の瞳には、明らかに何かに対する疑惑、懸念といった光が見えた。彼女はさらに色々言ってきたけれど、僕はそれに適当に言葉を返した。彼女をこれ以上巻き込みたくなかったけれど、多分無理だ。下手な誤魔化しもきかないだろう。
「あなたの魔法で、わたしの失われた記憶は取り戻せる?」
彼女がそう言ってきた時、僕は少しだけどう応えるか迷った。おそらく、できるだろう。難しいことではない。
――しかし、あの現実に耐えられるだろうか。
随分時間が経った。でも、エアリアルはまだ『壊れた』ままなんだろう。
だから、返事は保留した。そんな僕を、彼女は意外そうに見つめていた。驚いたように目を丸くしている彼女は、昔の彼女に似ていた。
こっちのほうがいいな、と思う。
グレースはとてもいい子だった。でも、やっぱりエアリアルにはエアリアルの良さというものがある。無理してグレースを真似たとしても、それはどこか歪んでいるものだ。
それに、無理に過去を思い出して、あんな顔をさせたくないのも事実。矛盾していると自分でも解っているけれど、どうにもならない。
「僕はね、君のことが好きなんだと思うよ」
ふと、そう僕が囁くと彼女の困惑がさらに強くなる。
エアリアルは厄介な子だ。グレースよりずっと扱いづらい。
しかし、思うのだ。もし、この世界に愛すべき馬鹿がいるとしたら、それは間違いなくエアリアルだ。
怒ることを忘れて呆気に取られている彼女を見つめ、僕はそっと笑う。そして、鏡による接触を遮断した。
翌日、僕は早速行動を開始することにした。
殺人事件が起きたというウィストー通りの近く。そこにはまだ、捜査官たちの姿があるかもしれない。しかし、使い魔の宿主の痕跡を追うなら早いほうがいい。レティシアの気配は使い魔が離れたことで、やがて消えてしまうだろう。その前に何とかしなくては。
僕が身動きしやすい服に着替え終わった時、ドアノッカーの音が響いてきた。
嫌な予感がした。
そして、二階の窓から玄関を見下ろした。
「髪の毛、切ったのか!」
なぜか泣きそうな表情でそう言うギャリーと、その背後にはいつもの二人。
僕は作り物の笑みを自分の顔に貼り付け、玄関の扉を開けつつ思う。
この世界に関わりたくない馬鹿がいるとしたら、間違いなくこいつだ。
「何で切ったんだよ、もったいない!」
と、さらに続けたギャリーを無視して、僕はヴィンセントに笑顔を向けた。
「この馬鹿を持って帰れ」
「馬鹿とは何だ!」
「いや、馬鹿だし」
「馬鹿だよね」
ヴィンセントとロッドはため息をこぼしつつ、顔を見合わせていた。




