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魔法使いは鏡の中で笑う  作者: こま猫
第五章 殺人者の記憶

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転移

 司法局の目的はレティシアの逮捕であったから、僕が記憶を取り戻した後は呆気なく全てが終わった。

 レティシアの情報を流すことに躊躇いなどなかった。僕は彼女に拾われて生活していたけれど、それを恩義に感じるほど親切にされたことなどない。

 彼女は街をうろついている孤児を拾っては、見目麗しいと思われる人間だけを選んで残し、ほとんどの子供たちを殺した。

 死体の処理は生き残った他の子供たちの仕事で、レティシアに逆らうものはほとんどいなかった。あれは恐怖政治に近いものがある。レティシアは我々孤児の君主であるのは間違いなかったし、言うとおりにしていれば生きていくことだけはできた。

 ただ、言うとおりにしていても殺される場合もある。

 そうしているうちに、どうすれば彼女に殺されないのか、ということを皆が考え始めた。

 気まぐれで最悪な魔法使い。

 彼女に気に入られるためにはどうするか?

 どういう人間になるか?


 僕は彼女の頭の中を理解しようとした。彼女が求めるものを先回りして準備する。

 しかし、やりすぎもよくない。

 適度に彼女の役に立てる人間になる。


 僕はそうやって自分の居場所を確保はしたものの、いつだってレティシアの存在があまりにも重すぎて苦痛であったし、早く死んでくれないだろうか、と望んでいた。

 だから、司法局に逮捕されて死刑にでもなれば一番素晴らしい結果なのではないか、とすら思っていた。

 だから、中央魔法司法局の対応は期待外れだったと言わざるを得ない。


 神官の古代言語による魔法はあまりにも僕の肉体に負担がかかったし、演技などする必要もなく、立ち上がることすらできなくなっていた。それでも、僕が知っている彼女の工房の場所を教え、今まで覚えている限りの僕の過去を伝え、吉報を待った。

 そして、彼女が司法局に逮捕された、と捜査官の一人から聞かされた時は快哉を叫びたい気分であった。

 まあ、実際にはできなかったけれど。

 いつの間にか僕の存在は地下の牢屋に放置され、レティシアの状況すら流れてこなくなった。しかし、どうやら彼女は逃亡などできそうにない場所に監禁されているらしい、ということだけは解った。無駄に偉そうな中央のおっさんたちが自慢げに口にした台詞の端々をつなぎ合わせると、そういうことらしい。


 牢屋の中にあるベッドは『ベッド』と呼ぶにも恥ずかしいくらいの代物であったけれど、そのベッドの上で横になりながら思った。

 ――逃げなくては。

 レティシアがおとなしく捕まっているとは思えなかった。何かの隙をついて、何らかの騒動を起こすだろう。それに巻き込まれるのも嫌だという思いがあったし、それ以上に『逃げなくてはならない』という強迫観念のようなものがあった。

 後で思い起こしてみれば、その思いもレティシアによる意識操作であったのかもしれないと気づいただろう。

 しかし、その時は一度思い浮かべてしまうとその考えは消すことができなかった。その頃には、僕の肉体には魔法免許の永久剥奪の刻印が刻まれていたし、逃げるために必要なのは魔力でもなんでもなく、体力と腕力。

 僕はレティシアに魔法だけではなく、人を殺すために武器の扱い方すらも教えてもらっていた。


 行動を起こしたのは、おそらく中央の捜査官たちが僕に対する興味を失った頃。

 中央の人間たちは、いかに自分が手柄を立てて上位に立つか、そういうことしか考えていない。レティシアの逮捕に一番の功績を上げた男は出世間違いなしであったし、その後に続こうとする人間たちも多かった。

 そして、中央の人間にとって何の役にも立たなくなった僕という存在は邪魔であったろう。すぐに僕は北部に身柄を渡されることが決定し、それが僕にとっての逃げ出すチャンスだと思った。

 北部の司法局の建物に入ってしまえば、逃げ出すことは難しくなる。だとすれば、中央から出される移送の時が狙い目。

 それまで、僕はただ無気力な人間を装っておとなしくしていた。もう以前と変わらず動けるようにはなっていたものの、体調不良を装い続けていたのだ。


 移送の時、付き添いとなった男を見た時は嬉しかった。

 拷問を楽しんだ男だったからだ。あの時見たそいつの笑顔は忘れられない。

 こいつなら、殺しても問題ないはずだ。


 油断していた捜査官から武器を奪い、喉を切り裂くのは楽しかった。僕が初めて、殺しを楽しんだ瞬間だった。


「いいか、忘れるな」

 レティシアの言葉で我に返る。

 目の前には金髪の少女が立っていて、微かに魔力を発しているように感じた。

「精神を転移すれば、お前はまた魔法が使えるようになる。しかし、暴走だけはするな。司法局にも厄介な人間がいる。大きな魔力が動けば目をつけられる。捕まるな」

 ――何か、変だな。

 頷きながらも、僕はレティシアに違和感を覚えていた。レティシアが誰かにこうやって助言をすること自体、おかしい。何を気にしているんだろう? なぜ、こうしてわざわざ僕に接触してきた?

 僕は無表情のまま、レティシアに言われた通りに魔法の呪文の詠唱を始めた。

 古代言語の複雑さに圧倒されつつ、彼女に感じた違和感を忘れた。

 そして、禁呪が完成する直前、レティシアは少女の肉体の中から存在を消した。

「捜査官がくる前に逃げろ」

 と、言葉を残して。


 鏡の中には美少女が立っていた。理想的な標的。いや、僕の理想ではなく、レティシアの理想だろうか。

 そして、僕の足元には僕自身の肉体が意識を失って転がっている。

 女の子の身体に僕の精神が入り込んでしまった、という厄介な状況に困惑する前に、僕は別のことに驚いていた。


 ――何だ、この身体は。


 この少女は魔法使いだろうか? 魔法が使えるのか?

 まるで、身体の中で魔力が渦巻いているかのようで落ち着かない。その魔力は生き物のようで、僕が完璧に扱いきれるとは考えられなかった。

「起きろ」

 僕は慌てて僕自身の身体を抱え起こした。くそ、何だ、腕力のなさがとんでもない。

「起きてくれないか、君の名前は?」

 グレイ・スターリングの肉体が、僅かに呻き声を上げた。ああ、気持ち悪いな、この状況は。

「……夢ぇ?」

 意識を取り戻したばかりのせいか、相手が舌足らずな口調で言う。

 やめろ、それは。もっとはっきり喋ってくれ。

「名前だ名前! 君の!」

「エアリアル……だけど、あなたもエアリアルね」

 ぼんやりとした目つきで僕を見上げた彼女――彼女か?――はくすくす笑った。「夢占いでは、自分自身が出てきたら……何だっけ」

 駄目だ、これでは。

 僕は小さくため息をつくと、彼女の額に手を置いた。とにかく、誘拐に関する記憶を消そう。そのくらいなら簡単だ。

 ついでに、リズも記憶を消して放り出していけばいい。殺している時間などないし、もう殺す理由も見つからない。


 ああ、こんなことなら『人形』なんてこの工房に持ち込むんじゃなかった!

 僕がこの葬儀場を自分の工房として使うために、色々運び込んだ証拠品がある。

 僕は司法局から逃げ出した後、レティシアの工房を見て回ったのだ。ほとんどの証拠品は司法局に回収されてしまったけれど、レティシアの隠し扉はいたるところに存在する。いくつか、回収されていない魔法書や『人形』を見つけてここに運んできたのだ。

 それはいわゆる、お手本、だ。

 僕はレティシアが人間を殺した後、遺体を『人形』に加工してきた。それはレティシアによる命令によるものだったけれど、司法局でかけられた魔法のせいで記憶が一部壊れていた。そして、自分の趣味として『人形』を作っていたと勘違いしていたから、ここに見つけた人形を運び込む、なんて馬鹿なことをしてしまっていた。

 自分の戦利品、自分の芸術品、なんて間違った意識に惑わされて。

 しかし今、こんなものをここから運び出す暇などない。血を抜くために作った傷、そして使った薬物、そういったものも司法局に与える僕の癖や手がかりになってしまう。

 他に証拠はないか?

 僕につながる証拠は?

 人形を置いていくことで、問題が起きるだろうか?


「……眠い」

 エアリアルが小さく言った。そして、目をつむる。

 その途端、彼女の――グレイ・スターリングの肉体の中で、何かが眠ったような気配があった。彼女の意識とかそういうものではない。

 何か、小さな魔力が。


「とにかく、落ち着こう」

 僕はそっと息を吐き、辺りを見回した。

 人形は置いていく。エアリアルという少女は今後、どうにかして見張る。そうと決まれば、あまり遠くに逃げるわけにはいかない。

 しかし、すぐに捜査官がここにくるだろう。

 今、僕を追っているのは北部の連中だから、エアリアルが連れていかれるのも北部魔法司法局だ。どうにかして情報を得なくてはいけない。


 しかし多分。

 今のこの肉体なら、何とかなる。

 魔法書だけ持ち出そう。どこか隠れ住むのに安全な場所を探して、もう一度エアリアルに会おう。そして、彼女が一体何者なのか、調べなくてはならない。

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