誰の趣味だったか
僕は目の前にいる少女を見下ろし、その瞳が色を失っていくのを確認した。そして、ゆっくりと金色に輝く双眸が僕を見上げ、その唇が歪む。
「枷を外せ」
彼女がそれまでと変わらぬ声で言ったものの、明らかにそれまでとは違う誰かが喋っている。認めたくはないが、その口調はよく知ったものだった。
「……随分とお久しぶりですね」
僕は目を細めつつ、言われた通りに彼女の手足を拘束している枷を外した。「レティシア様、司法局から逃亡できたんですか?」
そう言葉を続けると、彼女はつまらなさそうに鼻を鳴らした。
「相変わらず家畜扱いを受けている」
「そうですか。それで、今回はどうやって司法局に知られないように僕に接触を? 目的は?」
「お前が暴走しているのが問題でな」
彼女はベッドに座りなおすと、ゆっくりと自分の髪の毛を掻き上げた。そして、頭部についた傷に触れた途端、呆れたように息を吐いた。
「目に見えないところでよかった」
「……そういえば、レティシア様が好きそうな女の子ですよね。少し記憶に曖昧な点がありますが、似たような女の子を誘拐してきたことがあったような気がします」
僕は低く笑い、近くにあった木の椅子に腰を下ろした。こうして彼女が第三者の身体を使って僕に接触してくるということは、それなりに理由がある。理由もなくこんなことはしない。
「ちょうど、短剣ならそこにあります」
僕はリズが持ってきた短剣を近くのテーブルの上に置いていた。「司法局にあなたの情報を流したことが気に障りましたか?」
「つまらんことを言う」
レティシアは何の感情も映らない金色の瞳をこちらに向けた。「お前が私についての情報を流すことなど、予想はついていた。お前は完全に損得を考えて動く。司法局に問われれば全て話すだろうということは理解していた」
「じゃあ、なぜ、僕の記憶を奪ったんです? おかげで司法局には散々苛められましたよ」
僕が腕を組んで首を傾げた。
「記憶があったらお前は黙っていたか?」
「いいえ。沈黙に何の利点もありません」
すると、彼女は酷く簡単に続けた。
「つまり時間稼ぎだ。司法局がお前というおもちゃで遊んでいる間に、工房を閉鎖してきた」
「閉鎖?」
おもちゃ、という彼女の発言には苦笑するしかなかった。まあ、彼女らしいといえばそれまでだが。
「僕が知っている工房の情報は全て司法局に流しました」
「その通り。閉鎖したのはお前が知らない場所だ」
「そうですか。それで、その閉鎖された工房とやらでは何が――」
そこで、レティシアがそっと微笑んだ。だから、僕は口を閉ざした。
彼女が女性らしく微笑んだりする時は、嘘をつく時、演技をする時、問われたことを聞き流す時、とにかく僕の質問が無駄だと感じた時のことだ。笑っている彼女は厄介で、無表情の彼女のほうが安全。それは嫌というほどよく理解していた。
「いい感じに壊れたものだな」
彼女はやがて笑みを消して、僕の額に手を触れた。「時間もないし、すぐに修正せねばなるまい」
「壊れましたか」
僕は小さく言った。「僕の記憶を取り戻すために、神殿の人間に色々やられましたから」
「解っている。それも予想のうちだが、もっと古代言語の読解が上手い人間がやるものだと思っていた。だから、お前は記憶の混濁があるだろう」
「ええ」
「今のお前も面白いが、好き勝手にやられると困るのだ」
「それは意外です」
そう言った瞬間、額に触れた指先から冷たい何かが突き刺さるような感覚が広がった。つい、小さく呻き声を上げて目を閉じる。
そして気が付けば、僕は頭の中が少しだけ鮮明になったような気がした。思い出せずにいた幼いころの記憶とやらも、少しは戻ってきているように感じる。
それと同時に。
「……もっと早くこうしてもらいたかったですね」
僕は額に手を置いて、ため息をついた。
――壊れていた。
確かにその通りだった。僕の記憶を取り戻させたあの男の魔法は、酷く乱雑な言語の集合だったと言っていい。おかげで不具合が生じた。
「だから、本当に余計なことばかりしてきましたよ」
僕はただ唇を噛んだ。
「重ねて言うが、私には時間がない」
レティシアが少しだけ早口で続けた。「この肉体を操るのも、それなりに魔力を消費する。司法局の連中に気づかれるまで時間がない」
「それはお疲れ様です」
つい適当な言葉を彼女に投げると、レティシアがさらに言った。
「お前、この身体と自分の精神を入れ替えろ」
「は?」
「お前はその身体につけられた刻印のせいで魔法が使えん。だから、交換すればいい」
「それはまた――」
無謀なことを言う。
僕は冷ややかに彼女を見つめる。
「以前、その魔法についてはあなたから聞いたことがありますね。禁呪だとかいう」
「ああ」
「意識だけがここにあるレティシア様が、その禁呪を使うというのですか? 今のあなたにとてもそんな力があるとは――」
「これから禁呪を教える。お前が使うのだ」
「面白いことをおっしゃいます」
僕は薄く微笑んだ。「刻印のことをおっしゃったのはあなた……」
「さすがの私でも、遠くにいる人間相手に禁呪を使うことはできん。この身体を操れるのも――いや、それはどうでもいい。少しの間だけなら、お前の刻印の力を封じることはできる。しかし、その魔力の動きは司法局に伝わるだろうし、今後、私に対する司法局の監視の目が厳しくなるだろう」
――なぜ、そんな面倒なことをするのだろう。
レティシアの目的がよく解らない。
僕が黙って彼女を見つめていると、彼女は目を細めて見せた。
「交換したら、この身体に傷をつけないようにしろ。これ以上傷をつけたらお前を殺すぞ」
――なるほど。
僕は何となく彼女の目的が解った気がした。彼女は綺麗な顔立ちの女の子を収集するのが好きなのだ。おそらく、この子を殺して『人形』にするのが目的。
そう。司法局の連中のせいで僕が『壊れていた』間。
司法局から逃げ出した僕が殺人を繰り返し、その身体を『保管』していたのも。
もともと、それはレティシアの趣味だった。僕の趣味ではない。僕には人を殺す趣味なんてなかったはずなのだ。
「お前の身体も気に入っている。交換したら、適度にそれも監視しておけ」
レティシアはそう言って、僕を見つめた。
「それはどうも」
普通の女性が『身体を気に入っている』とか言ったなら、艶っぽい意味であったろう。しかし、発言しているのはレティシアだ。
いつか僕の身体から血を抜く羽目になるのかもしれない。防腐剤を入れるのは僕の役目か。趣味が悪いとしか言いようのない話だ。そう考えつつも、彼女に逆らうことはできなかった。
なぜ、こんな展開になったのか。あの神官のせいだろうか。
僕は目の前にいる少女の冷ややかな表情を見ながら、小さくため息をついた。
僕が司法局に逮捕された場所は、レティシアが使っている工房のうちのひとつだった。今となって解るのは、多分、それを司法局にリークしたのはレティシア自身だったのかもしれないということだ。
レティシアは僕という餌を司法局に渡し、時間稼ぎをした後に逮捕された。
僕は北部魔法司法局の捜査官に身柄を確保され、しばらく彼らによって取り調べを受けた。その時の僕の記憶は、レティシアに連れ去らわれる前――おそらく、僕が孤児として街をうろついていたころの記憶しかない状態まで退行していた。
司法局の連中は、僕が記憶を失っている振りをしているのではないかと疑いつつも、それなりに人間扱いをしてくれた。少なくとも、北部にいる間だけは。
中央に引き渡されてからは、無理やり記憶が戻された時までの時間の経過がよく解らない。
中央魔法司法局の捜査官たちは、レティシアの雑用係であった僕という存在は、ただの犯罪者であると捉えていた。だから、僕が未成年者であるからといって甘い顔はしなかった。その冷徹なまでに徹底した態度は、感心できると言っていい。
ただ、魔法で奪われた僕の記憶は通常の拷問では取り戻せるはずもなく、やがて神殿の力を借りることになった。
僕が監禁されている司法局の地下室は、とにかく狭かったし逃げ場もなかった。そこへ神殿から呼ばれた若い神官がやってきて、鉄格子の向こう側から冷ややかにこちらを見ているのを、僕は床の上に座りながら見上げていた――ような気がする。
「歩けないはずです」
神官の横に立っていた男性捜査官がそう言った。
確かに、その時は歩けなかった。睡眠は許されていなかったし、体力も随分消耗していた。目立つところへの拷問は避けなくてはならない、という司法局の考えで、剥がされた爪は足の指のものだけであったけれど、もちろん手当ては受けていなかった。
「記憶がないとか言いましたね」
若い神官が僕を鋭く睨みながら言い、捜査官が頷く。
「ええ、何とか記憶を取り戻させて、あの魔法使いを逮捕しなければならないのです」
「お手伝いしましょう」
神官の表情は硬いままだった。「その魔法使いとやらは、神殿で大量の殺人を犯しました。逮捕され、罪をあがなうべきです。そしてもちろん、その魔法使いの手伝いをした人間も、苦しまねばならない」
記憶を失っていた僕は、ただ茫然としていた。
理不尽に苦痛を与えられている、と感じていた。こんな目に遭うのは、何かの間違いだと思っていた。
だから、何度も「やめてください」とお願いしたし、「助けてください」とも繰り返した。そして、彼らを憎んだ。
そして、誰かを殺したいという感情をそこで育てたのだ。




