理想的な標的
彼女なら完璧だ。そう思った。
レイチェル・ハリスは今までで一番、理想的に近かった。
長くてまっすぐな金髪はよく手入れされていて美しかったし、淡い緑色の瞳も好みだった。痩せていて背筋を伸ばした姿は、とても自信にあふれているように見えた。
多少、高慢にも見える笑顔はいただけないと思うけれど、基本的に彼女が見せる表情は知的であったし、笑っていない表情のほうが彼女には似合っていると思う。
彼女を殺そうと考えたのは、当たり前の感情の動きだった。
彼女をあの姿のまま手に入れる。殺して血を抜いて、その血管に防腐剤を入れよう。その後、彼女の肉体を守ればいい。
そう決めてから、行動に移すまでは早かった。
僕はハリス家がどういった生活を送っているのか、時間をかけて調べた。父親は仕事が忙しく、屋敷に帰ってくるのは毎日遅い。母親は『買い物』という自分の趣味が楽しいらしく、外出することが多い。
一人娘であるレイチェルは、通っている学園の部活が楽しいらしく、屋敷に帰宅するのは大体遅めだ。
この部活というのが犯行に好都合だと思った。
ちょうど、彼女が通うウェクスフォード学園の学園祭が近かった。一般公開である学園祭二日目、その日なら学園に足を踏み入れるのはたやすい。
彼女に接触し、警戒心を抱かせずに会話するための手段として、僕は彼女の屋敷に花束を届けさせた。好きな女性に花を贈るというのは、世間一般的によく使われている手段だ。
ありがたいことに、僕の風貌は女性を騙すには好都合な顔立ちをしていたけれど、レイチェル・ハリスのような金持ち連中に話しかけるにはある程度の準備が必要となる。身分の低そうな男が彼女に話しかけることは、おそらく彼女の屋敷の人間が許さない。
学園の中が一番、チャンスがある。
学園祭で彼女は演劇部の人間として舞台に立つ。その時、人ごみに紛れて彼女に話しかけるタイミングを計ればいい。そして、また花束を渡しながら適当に彼女をおだて上げればいい。そうすれば、多少の油断は生まれる。
そう思ったのに。
実際に学園内に入り、レイチェル・ハリスを見た時は愕然とした。
髪の毛を切ってしまっていたからだ。
違う、これでは意味がない。今彼女を殺せば、『不完全』だ、と思った。
長い髪の毛というのが重要で、短い髪の毛の彼女は男装している姿によく似合ってはいたけれど、僕の好みからはかけ離れてしまっていた。
あの髪の毛がまた腰の辺りに伸びるまでに、どのくらいの時間がかかる?
少なくても半年以上。
冗談じゃない。それまで待つなんてことはできない。
と、その時に思い出した。
さっき、学園の廊下ですれ違った女の子のこと。レイチェル・ハリスによく似た子だった。上機嫌だというのがよく解る足取りで歩き、おそらく両親だと思われる男女のすぐ後ろについていった。
実はその時、レイチェル・ハリスよりも先に彼女に会いたかった、とすら思ったのだ。
緩くカーブを描く長い金髪も、きらきらと輝く緑色の瞳も、そして笑顔すら好みだった。レイチェル・ハリスよりもずっと、昔から自分の心の中にある『理想の少女』に近かった。
標的を変えよう。
僕は瞬時にそう決めた。
おそらく、僕は浮足立っていたのだと思う。
その子を見つけたのがあまりにも急すぎて、準備が何もしていなかった。学園の中はあまりにも人間が多すぎて、彼女を見失ったら見つけ出すのが困難だ。
彼女はどうやらウェクスフォード学園の生徒ではないらしい。学園祭に参加している生徒たちは、仮装しているか制服を着ているかのどちらかだ。
しかし、その子は普通の外出用ドレスだった。いかにも高価そうなドレスであったから、レイチェル・ハリスの親戚だろうか。だとすれば、あの顔立ちの似ている理由も解る。
花束を持ち歩くのは邪魔だった。だから、レイチェル・ハリスがいる演劇部の準備室に放置した。もう、その時にはレイチェル・ハリスに何の価値も見いだせずにいた。
そして、『標的』が準備室に現れた時は興奮したのだ。やっぱり、こっちのほうが理想的だ、と。
いつもの自分だったら、もっと冷静に行動できたはずだった。危険は冒さない。それが自分の決めたモットーであったから。
しかし、下調べも下準備もしないまま、彼女を誘拐したということ――それについては、考えなしだったと後悔することになる。
「くそ」
僕は彼女の身体を馬車に乗せながら小さく悪態をついた。「失敗した。一番の失敗だ」
彼女は意識朦朧とした様子で、薄く目を開けて僕を見た。大丈夫、生きている。
しかし、その額に血が流れ落ちるのを見てただ言った。
「怪我をさせるなんて。治るまでに数日かかる」
彼女は僕がさっき廊下で話しかけた時、警戒したように後ずさった。
学園祭も午後になり、だんだん帰宅する人間の姿も出てくる。おそらく、彼女もそれほど時間をおかずにここを立ち去るのだろう。その前に、何とか彼女から情報を引き出したかった。
しかし彼女は辺りを軽く見回して、誰かを呼びそうな勢いだったから、咄嗟に僕は周りの人間に気づかれぬように彼女の首に手を当てた。そして、一気に締める。
意識を失わせるだけが目的で、脳に血液が流れないように血管を押さえつけるだけでよかったのに。
その場に崩れ落ちた彼女を支える前に、そこにあったベンチの角に彼女が頭を打ち付ける音が鈍く響いて、僕は慌てた。
彼女を立ち上がらせ、歩けるかどうか聞く。彼女の反応は鈍く、ただ痛みに呻いていた。だから、僕はそっと辺りを見回して、辺りを行きかう人間たちが僕らに目を留めていないことを確認してから彼女の腕を引いた。
「少し別の部屋で休んで」
とか言ったような気がする。気分の悪くなった彼女を介抱するように見せかけながら、学園の外に連れ出すのは少しだけ緊張した。自分の服のポケットの中には、身体の自由を奪うための薬物は入っていたけれど、飲ませている余裕はない。
誘拐が上手くいったのは奇跡。
ただ、彼女の怪我は問題だった。
殺すのは彼女の怪我が治ってからにしたい。それまで、彼女をどう扱う?
僕の隠れ家――『工房』は、確かに僕が隠れ住むように色々手入れはしてあったけれど、こんな女の子がたった数日間とはいえ住むには不適切な場所だ。
「……痛い……」
馬車の座席に横になった彼女は、低く言った。
その身体は小さく丸められていて、ぎゅっと目をつむっていた。頭を打ったせいか、彼女は今の状況を解ってはいない。打ち所が悪かったのだろうか。
「ごめんね」
僕はそう言いながら、彼女の髪の毛を撫でた。さらさらとした感触。
そして、ふと何かを思い出しそうになった。
そう、この感覚。
何か重要なことを忘れているのに、思い出せないというもどかしさ。そして、こういう風貌の女の子を殺した時に感じる満足感。
僕はこの感覚を得るためだけに、殺人を繰り返している。
現在、僕を追っている司法局の人間は、北部魔法司法局だ。
中央の連中と比べれば、多少の質は落ちるだろう。質といっても、冷酷さ、という意味だ。田舎の捜査官というのは、情に弱いし甘いところもある。身を隠すという状況において、北部の動きに幾度も助けられてきたといっていい。
中央の連中はとても厄介ではあったけれど、レティシアを手に入れたらおとなしくなった。
もともと、彼らの目的はレティシアの逮捕だ。だから、彼女の手下でしかない僕にはあまり興味がなかった。僕が中央から逃げ出した後、どのように中央から北部の連中に連絡がいったのかは解らない。
レティシアが逮捕されて行き場がなくなった僕は、すぐにでも北部の連中に逮捕されることを覚悟していたけれど、あまり追手の気配を感じることもないまま、僕は隠れ家を手に入れた。
それは、誰も使っていない葬儀場だ。
おそらく、ここの持ち主は一人暮らしだった。僕は逃亡途中、この建物を見つけて窓を割って中に入り、中を見て回った時に老人の死体が床に転がっているのを発見した。この近隣はあまり治安のいい場所ではないし、人通りも多くない。街中よりも少し離れた場所であったから、あまり利用する人間も多くはなかったのだろう。
入口には鍵がかかっていたし、建物のどこにも明かりはついていなかった。だから、外から見ても誰かが建物の中にいるとは考えなかっただろうし、老人が一人ここで息絶えたとしても、気づかなかったのだろう。
そう判断するまでに数日、隠れ家として使えるかどうか判断を下すのにさらに数日を要した。
完全に意識を失った彼女を馬車から抱えおろし、建物の中に運び入れる。
こういう時は、僕の胸につけられた魔法免許の永久剥奪の刻印を恨めしく感じることもある。魔法が使えれば簡単なのに、と。今、この肉体で魔法を使えば、僕の魔法と刻印の魔法がぶつかって、大きな波動が辺りを覆うだろう。そうすれば、司法局にこちらの場所を知られてしまう。
中央に逮捕されている時に、一度魔法を使ってみたことがある。しかしその途端、凄まじい激痛が身体を襲った。それを見た捜査官の誰かが、僕を嘲笑いながら何か言っていた気がする。
その言葉の内容は思い出せない。ただ、もう二度と魔法を使おうという気力は持てなかった。それほどまでに凄まじい痛みだった。僕は痛みを我慢するということが得意であったはずなのに、刻印による痛みは何か性質が違うのかもしれない。
そして、刻印を消す方法を僕は知らない。
ただ、レティシアがいない現状において、魔法が使えなくても生きていくだけなら問題はない。必要最低限の暮らしを維持するためだけなら。
「いっそのこと、ずっと眠っていてもらったほうがいいのかな」
僕は小さく呟きながら、彼女を質素なベッドの上に寝かせた。葬儀場の居住スペース。それは、とても狭い部屋だ。家具らしい家具もほとんどない。
僕は彼女の手足に金属の枷をつけた。皮膚に当たる部分は布を当て、直接彼女に金属が触れないようにしながら。これ以上、彼女の肉体に何らかの『傷』をつけたくなかった。
やがて、どうしても彼女と会話したい欲求に駆られた。
だから、本当なら怪我が治るまで彼女には意識を失ってもらっていたほうがいいとは理解しつつも、僕は彼女が目を覚ますのを心待ちにした。
そして結局、彼女が目を覚ましたのは翌日の午後遅い時間だった。
「……起きた?」
僕はベッドの端に腰を下ろしたまま彼女に声をかけたけれど、少しだけ違和感があった。
ベッドに横になったままの彼女は目を開いていたけれど、その焦点が合ってはいない。様子が変だった。
「名前、言える?」
続けてそう訊いた瞬間、急に彼女が驚いたように息を吸った。
「ちょっと、何よ、ここ!」
そう叫びながら急にベッドの上で暴れ始めた彼女に驚きつつも、僕は安堵の息を吐いた。
「おはよう。まだ殺したくないからおとなしくしててくれるかな」
そう僕が言うと、彼女は身体を強張らせて僕を見上げた。
「あなた、誰?」
その目は怯えてはいない。ただ、驚いているようだ。
「グレイ・スターリング。君は?」
「教えたくない。状況が解らないもの!」
「賢明だね」
僕は苦笑した。




