嫌な予感
「鼠を飼う女、この辺りでは見たことがないな」
ジェンキンスが視線を上げ、マチルダをしげしげと見つめた。マチルダはつまらなさそうに鼻を鳴らし、首を傾げる。
「まあね、最近、近くの倉庫を借りただけだし」
「倉庫か。何かの商売でも始めるつもりか?」
「ジェンキンス・モリノ。あなたの話は聞いてるし、この辺り一帯を仕切ってるということも知ってるわ」
マチルダがため息をつき、ジェンキンスに向き直った。ジェンキンスの背後にはエリザベスが立ったままだ。
「この辺りの商店はほとんどがあなたの経営だし、食料品から武器まで扱ってることも知ってる。この辺りの治安を守るという名目で、他の商店からそこそこの金を引き上げていることもね」
「それなら話は早い。倉庫を借りたのなら」
「でもね、お兄さん」
マチルダが唇を歪めた。「ウィストー通りの治安が悪いことも知ってるのよ。強盗に殺人、あなたは何もとめられない。あなたにお金を渡すことに意味があるとは思えないわ。あなたに倉庫を守ってもらうより、身内で守ったほうが確実なんですものね」
そして、マチルダがふと視線を彼の背後に向けた。
先ほどまでそこにいた強盗たちの姿が消えていた。死体だけをこの場に残したままで。
「エリ、追って」
彼女は小さくそう囁き、それを聞いたエリザベスの姿がジェンキンスの後ろから掻き消えた。軽い足音だけが遠くに響いた。
おそらく、あいつらを逮捕するのだろう。相手が何人いたとしても、エリザベス一人だけでも充分可能なのかもしれない。彼女は魔法取締捜査官なのだし。
「さて、あの連中は処理しておくわね。あなたに恩を売るのも悪くないかもしれないでしょ?」
マチルダがもう一度ジェンキンスに視線を戻し、薄く笑った。
「嫌な女だな」
ジェンキンスが眉根を寄せ、小さく舌打ちした。そんな彼を見つめたまま、マチルダは続ける。
「じゃあ、もう用はないわね。わたしはこの子と」
と、彼女がわたしを見た瞬間、ジェンキンスはマチルダの言葉を遮って言う。
「いや、気になることがある。念のため確認したい」
「何を?」
「さっきの短剣の使いかたが手馴れてるように思えてな」
ジェンキンスはちらりとわたしを見やり、意味深に笑う。「殺人事件が起きているということを知ってるなら、私が何を気にしているかも解るだろう」
「相手は子供なのに?」
マチルダが苦笑したが、ジェンキンスの声は冷静だった。
「鼠を飼っている女とは思えない発言だ。子供だから危険ではないと言いたいのか?」
「そうね、危険ではないものなんてこの世にはないわねえ」」
「しかも、奇妙な化け物も飼っている」
「やめてくれないかしら。それはわたしが先に目をつけたんだから」
二人が向き合ってそんなことを言っているのを、わたしはじりじりしながら見つめていた。
マチルダがわたしを逃がすために色々考えてくれているのは解る。だからずっと黙っているつもりだったけれど、わたしはレベッカのことも気になっていたし、できるだけ早くこの場を離れたかった。
その時、アレックスが口を開いた。
「申し訳ありません、ジェンキンス様。こちらも話が」
「何だ」
ジェンキンスは無表情でアレックスを見やる。アレックスは相変わらずジェンキンスとマチルダの間に立ち、マチルダに対する警戒心を解いた様子もなくそこにいる。
「エレインという女の妹が騒いでまして」
「あの女の妹か」
――妹。
レベッカのことだろうか。
わたしが息を呑んだのがジェンキンスにも解ったのだろう、その視線がこちらを向いた。わたしは彼から目をそらし、そっと辺りを見回した。
そういえば馬車がない、と気づく。マックスを振り切ってレベッカを追ってきたのだ。心配しているかもしれない、と思う。
「そっちも忙しそうだし、ここでお別れしましょう」
マチルダが笑顔でそう言ったが、ジェンキンスは頷かなかった。
「いや、少し付き合ってもらおうか。どうやら関係者のようだ」
と、ジェンキンスがわたしの腕を急に掴んだ。振り払いたくなったのを必死に我慢しながら、わたしは何とか口を開いた。
「多分、騒いでいるのは友人です。姉が行方不明だと言って、ここまできたんです。ただ、女の子だけでくるには危険な場所なので、剣術が得意なわたしが一緒に付き添ってただけで……」
「なるほど」
ジェンキンスは小さく笑った。「まあ、一応きてもらおうか」
そして、彼の手に力が込められた。
わたしはすぐそばにマチルダが舌打ちするのを聞きながら、小さくため息をこぼした。逃げるタイミングを逃した。でも、レベッカを放って一人で逃げるわけにもいかないのだから仕方ない。
夜道を歩いていくと、ある家の前で数名の女性たちが立っているのが見えた。彼女たちはドアの前で家の中をのぞき込んでいて、その家の中から声が響いているのが聞こえてきた。
その声はレベッカと誰か知らない女性の声、さらに男性の声も。
ジェンキンスが近づいていくと、家の前に立っていた女性たちが慌てたように逃げていった。そして、それぞれ少し離れた道端に立ち、こちらをちらちらと見やる。その女性たちの姿を見ると、胸元を大きく開いた服を身に着けていて、『そういう仕事』の女性なのだということが解る。
つまり、レベッカのお姉さんと同じ職業……ということ。
ジェンキンスが先に立ってその家に入っていく。アレックスと、もう一人の連れの男も。
そしてわたしとマチルダがその後ろに続いて。
「最後に見かけたのは、エレインがいつも使っている家のそばで」
そんな声が飛んできた。
その家に入ってすぐのところに、若い女性と年配の男性が立っていた。どうやら年配の男性は、その高級そうな服装から立場が高い男性なのだろうと見て取れる。ただ、高級な服だとしても悪趣味なくらいにまでに派手ではあったけれど。
そして、女性が必死な様子で何か男性に対して話している。そのすぐ横にレベッカが真っ青な顔色をして立っていたが、今にも倒れこみそうなくらい気分が悪そうだった。
「レベッカ!」
ついわたしが彼女のそばに駆け寄って、その肩に手を触れる。その途端、彼女がわたしにしがみついてきた。
「どうしよう、やっぱり見つからないって……」
彼女は震える声でそう言って、泣き出してしまった。わたしが彼女を軽く抱きしめて、何て言うべきか悩んでいると、ジェンキンスがそこにいた女性たちに声をかけているのが聞こえる。
「死体は見つからないのか」
その途端、レベッカが身体を硬直させた。
何て無神経な発言!
わたしは横目でジェンキンスを睨み、そっとレベッカの背中を撫でた。
「見つけてもらえませんかね」
年配の男性がジェンキンスに目を向けた。「なかなかよく稼ぐ娘ですから」
「逃げた可能性は?」
ジェンキンスは静かに訊いた。「時々、惚れた男と逃げ出す女もいるだろう」
「どうですかね。もうすぐ目標とした金が稼げたはずでしたから。このタイミングで逃げ出すバカではなかったはずで」
「……あの」
そこに、恐る恐るといった様子で声をかけてきた女性がいる。ドアのところでこちらを覗き込み、困り切ったように笑っていた。
「取り込み中だとは思うんですけど、ちょっとこっちも困ってて」
「どうした、ミリア」
年配の男性が慌てたように彼女に近寄った。ジェンキンスは急に話を中断されたことで、僅かに苛立っているように見えた。そして多分、年配の男性はジェンキンスを気にしてミリアという女性に咎めるような視線を投げている。
「わたしの部屋の鍵が開かなくて」
ミリアは情けない表情で笑う。「わたし、ちょっと他のところで仕事をしてたから二日ほど家に帰ってないの。そしたら……なんか変な感じで」
「変?」
「明かりはついているの。誰かが中にいるのよ。でも、ドアを叩いても怒鳴っても誰も出てこない」
「明かり……」
「それに何だか、嫌な匂いが」
ふと、ジェンキンスが目を細めて彼女を見た。そして、小さく笑いながらとんでもないことを言う。
「血の匂いでないといいな」
「ジェンキンス様、行かれますか」
アレックスが彼にそっと声をかけると、ジェンキンスは頷いた。
「ドアが開かないなら叩き壊すしかないだろう。やれるか?」
「はい、力仕事ならいつでも」
そこで、アレックスが微かに微笑んで見せた。その腕にある魔法言語の印がうっすらと輝きを放っている。それを見たジェンキンスは無造作にアレックスの肩を叩く。それから、マチルダとわたしを見た。
「悪いな、もう少し付き合ってもらう」
全く『悪い』とは考えてもいないような明るい口調。マチルダはそれを聞いてあからさまに不機嫌そうに鼻を鳴らしたものの、それが本音なのか演技なのかは解らない。
ジェンキンスが先に立って外に出ていった後、アレックスがこちらに顔を向けてついてくるように促してきた。無表情ではあったけれど、その目には複雑そうな色が浮かんでいる。
「レベッカ、ここにいたほうがいいかも。酷い顔色だよ」
わたしは嫌な予感がしてそう言ったけれど、レベッカは首を横に振るだけだった。




