実戦
「エイスくんは何者?」
馬車に乗り込む直前、レベッカは表情を強張らせてわたしを見つめていた。わたしは手帳をポケットにしまい込んで、小さく唸る。
「家紋が――」
と、マックスが渋い表情で呟いていたのを聞きながら、わたしはレベッカにどう説明すべきか考えていた。
マックスは馬車についている家紋を隠せないことに落ち込んでいるようで、「今度から馬車に布を常備しなくては」とかぶつぶつ言っていた。同情すべきだろうか。
「色々問題があってね」
とにかくわたしは言葉を濁し、彼女を馬車に乗せてから少しだけ考え込んだ。
レベッカはやがてわたしに向けた問いなどどうでもよくなったようで、馬車に乗り込んでからはほとんど無言だった。相変わらず顔色は酷いもので、わたしはやがて自分から口を開いた。
「お姉さんの働いている場所は解る?」
すると、レベッカが一瞬の間の後にぎこちなく頷く。
「解ります。一度、わたしも行きましたから」
「行った……」
「借金、凄かったんですよ」
レベッカは泣き笑いの表情をして見せた。「父が作ったんです。最悪ですよ。上手い話に騙されたんだそうです。で、借金のかたにわたしたちが売られるところだったとか」
「売られる? 二人とも?」
「はい。でも、姉が庇ってくれて。わたし、小さい頃に薬草に興味を持って、ある魔法使いのおばあさんの家に通っていたことがあったんです。そこで、少しだけ魔法を習いました。魔法使いになれたらいいな、ってぼんやり考えていましたけど、無理だろうなとも思ってました。だから、ほとんど諦めて、母の仕事を手伝っていたんです」
「でも、ウェクスフォードに入ったんだね」
わたしがそう言うと、レベッカは苦々しく笑う。
「わたしと姉がその……娼館に売られそうになった時、姉が相手に言ったんです。妹は魔法使いになれるから、もう少しすれば娼婦になるより稼げる、って。だから、それまで自分だけで働くから、って」
「ああ」
――なるほど。
だから、早く助けたい、と言ってたのか。
わたしは俯いて唇を噛む彼女を見つめ、そっとその肩を撫でた。すると、彼女は怯えたように肩を震わせてわたしから逃げようとした。
「すみません、こんな話をして」
「謝ることないよ」
わたしはできるだけ優しく響くように言葉を発音した。わたしには本当の意味で、彼女や彼女のお姉さんの苦しみを理解できないかもしれない。でも、こんなのは……酷い。
何て言ったらいいのだろう。
どう慰めるのが正解なんだろう。
解らない。
「わたし、必死に勉強してウェクスフォードに入学しました。特待生になれたし、このまま頑張れば魔法使いの免許も取れると思ってました。姉はいつだって一人で頑張って、わたしは父のことを恨みました。わたしは父を酷く罵倒して、父は責任を感じて仕事を色々掛け持ちして身体を壊して。姉は恨み言なんか言いませんでした。少なくとも、わたしたちの前では。でもきっと、絶対に一番苦しんでる。だから、早く自由になってもらいたかった」
「……つらいね」
わたしがかろうじてそう囁くと、レベッカは乱暴に頭を掻いた。髪の毛を掴むようにして引っ張り、目を閉じる。
「もうほとんど、借金は返し終わってるんです。あと少しでした。だから、もうすぐ終わるはずだったのに」
やがて、レベッカが涙を馬車の床に落とした。
「最近、ウィストー通りで殺人事件が起きてるって」
「え?」
「母には言ってないです。父にも。姉が心配させたくないから、黙っていて欲しいって言うから」
「殺人事件?」
一気に心臓が冷えていく。何だろう、この嫌な感じ。信じたくない可能性。
「違いますよね」
レベッカが笑いながら言うのだ。暗い翳りのある瞳と、眦に浮かぶ涙。
「姉は無事ですよね。だって、何も悪いことしてないんだもの」
――無事だよ。
そう言いたかった。
「もうすぐつきますが」
馬車の外からマックスの声がかかる。家紋のついた馬車でこれ以上進むのは問題があるだろうか。
それに、エリザベスはどこから姿を見せる?
「降ります」
レベッカは慌てたように立ち上がり、まだ動いている馬車の扉を開けようとする。それをわたしは引き留めようとしたけれど、彼女は冷静さを失っているようだった。
「エイスくんはここで待っていてください。急いで様子を見てきますから」
「無茶だよ。せめて少しだけ馬車の中で様子を」
そう言ったのに、レベッカは話を聞きやしない。わたしが女の子の細い腕を弱めに握っていたこともあって、彼女はわたしを振り切って馬車を降りてしまう。
全くもう!
「マックス!」
わたしも急いで馬車を飛び下りると、振り向きざまに小さく叫ぶ。「何かあったら叫ぶから、少しそこで待ってて!」
「エイス様!」
さすがに慌てたようなマックスの声を後ろに聞きながら、わたしはレベッカの後を追って走り出した。辺りはもうすでに薄暗く、気を抜いたらレベッカの姿を見失いそうだ。
そして、薄暗い通りに人影がちらほら見えて。
「とまれ!」
そこに、知らない男性の声が響いた。
わたしはそれを聞こえなかったことにして、レベッカを追おうとして。
足をとめる。
目の前に立ちふさがった見知らぬ男性。背が高く、黒っぽい服装に身を包んだ彼は、その手に短剣を持ってこちらにちらつかせてきていた。
「いいところのお坊ちゃんかねえ?」
鋭い目つきと、伸びた無精ひげ、下卑た笑い声。
直感的に気づく。強盗ってやつか、と。
「あっちに置いてきたのは馬車か。こんなところにくるなんて、物好きというか」
わたしは男の背後に目をやった。そして、レベッカの姿が見えないことに舌打ちした。こんなところで足止めを食らうなんて! レベッカに何かあったらどうする!
その瞬間、わたしは自分の背後に嫌な気配を感じた。
咄嗟に屈んで脇に身体を回転させた瞬間、わたしの頭上に風を切る音がすり抜けていった。
凄まじい悲鳴、わたしの顔に飛び散った血。
気づけば、先ほどわたしに短剣を見せつけていた男の肩から腹にかけて、誰かの剣が振り下ろされていた。
「ちっ」
剣を引き抜いたのは、おそらく彼の仲間だったろう。別の男がわたしを襲おうとして剣を薙ぎ払い、そして失敗した。
わたしは近くに飛んできた短剣を拾うと、血で濡れた長剣を持つ男と適度に間合いを測りつつ後ずさる。
「有り金を出して置いていけ」
その男は冷ややかに言い、長剣を振り回す。剣についていた血が辺りに飛び散って、わたしは眉を顰めた。乱暴なだけの動き。振られた剣先が少しぶれている。
扱い慣れていない。いや、多分、使い慣れてはいる。ただ、剣の腕がそれほどではないだけだ。
おそらく、短剣でもいける。
戦える。
でも、時間が惜しい。
「金を渡せばいいか?」
わたしがレベッカを追うことを優先させたくてそう訊くと、男が満足げに笑った。自信ありげな表情。それは、おそらくわたしが彼を恐れているからそう言ったのだと思ったからだろう。
「ああ、渡せば命だけは見逃してやる」
――嘘だな。
彼の目に浮かんだ光は、とても信じられるものではなかった。おそらく、お金を彼に渡しても、逃がすつもりはないだろう。わたしを殺す気だ。
わたしはそっと足元に転がった死体を見下ろした。
さあ、とうとう実戦だ。相手はグレイじゃない。でも、人殺しには間違いない。
大丈夫、わたしの手は震えていない。恐れる必要もない。
わたしは唇を噛んだ。そして、制服のポケットに手をやる振りをしながら、地面を蹴った。
男が何か言葉にならない叫びを上げた。わたしは無言で身を屈めて突き進む。
男の剣がただ乱暴に振られて、空気だけを切り裂く。
わたしは彼の動きで剣の流れを読み、逃げ、脇をすり抜けて男の脇腹を短剣で切り付けた。男が悲鳴を上げながら身体を回転させる。辺りに響く怒号と、滅茶苦茶に振り回される長剣。
駄目だ、動きを奪わなくちゃ駄目だ。
わたしは瞬時に身を沈め、彼の背後に回ってその太腿に短剣を突き立てた。肉に刺さる感触。それは嫌な感触。
それなのに、わたしは小さく笑って言った。
「残念だね」
男が苦悶の表情で地面に倒れこみ、悪態をついている。それを見下ろして、我に返る。
レベッカは!?
「お見事」
そこに、また知らない声が響いた。




