ゼミ始まる
そして、ゼミも始まった。
わたしとサイモンは、狙い通り、治癒魔法のためにピート・イングラム先生のゼミに入った。
当たり前といえば当たり前だけど、ゼミ生は全員Aクラスのクラスメイトだから、かなり気が楽だった。ぞろぞろと皆でイングラム先生の部屋に入り、挨拶をする。
「はいはい、こんにちはこんにちは」
イングラム先生は、終始にこやかだった。
背の高い三十代後半の男性で、明るい茶色の髪の毛を肩の下まで伸ばしている。服装はとてもおしゃれで、正に紳士、といった感じだったけど。
「さあさあ、椅子に座って座って」
彼はそう言って、先に自分の机のところに戻り、その周りにぐるりと円状に置かれた椅子を手で示す。
挨拶もそこそこに、彼は右手を上げて魔法の呪文の詠唱を始めた。すると、わたしたちの目の前に、人間の形をした影が現れた。
「時間ももったいないから、さくさくいこうね」
イングラム先生は皆の顔を見回して、明るく言った。「君たちは、人間の身体について理解をしなくてはいけない。治癒魔法は簡単ではない。医者と同じで、少しのミスが命を奪うこともある。だから、まずは人間の身体の構造を教えるよ」 先生がそこで言葉を区切る。
すると、我々の中央に立っていた人型の影に変化が現れた。その身体に走る、無数の筋。
「はいはい、これ、人間の血管ね」
イングラム先生は人型の前に近づき、その影に触れる。途端に輝き出す太めの血管。細かな魔法言語がその血管を流れ、脈打つのも見えた。
「この血管が傷つくと、結構あっさり人間は死ぬね。だから、もしこのどこかが傷ついたら、急いで修復しないと失血死。だからまず、こういう単純な修復治療から君たちに教えていくよ。それと、内臓とかの仕組みもどんどん教えていこうか!」
そうまくし立てられて、わたしたちが困惑しつつも頷いていると、さらにイングラム先生は浮かれたような口調で続けた。「内臓、いいよね! いやはや、人間の身体の造りは素晴らしいよ! 我々のこの小さな身体には、小さくても完璧なまでに緻密な塊が色々詰まっていてね! また、それが健康だとキレイなピンク色でね!」
わたしたちはどこかぼんやりと彼を見ていたと思う。
イングラム先生のテンションの高さがハンパない。
「病気だと、キレイじゃないんだ!」
イングラム先生は拳を握りしめ、眉間に皺を寄せながら熱弁した。「我々はそのキレイじゃない内臓を、また完璧なピンク色に戻すために、魔法を覚えなきゃいけないんだよ! そうだ、ピンク色だよ!」
ちょっとだけイングラム先生が動きをとめた。
「話についてきてる?」
「なんとか」
そう小さく言ったのはサイモンで、わたしは内心で「かろうじて」と呟いた。
「ああ、良かった良かった」
そして、また輝くようなイングラム先生の笑顔。
つい、わたしがこっそり皆の顔を見回すと、明らかに眉を顰めているクラスメイトも数人。サイモンは真面目な横顔だ。
「やっぱりね、治療に携わるなら、早いうちに色々見ておくべきだよ!」
イングラム先生の声がどんどん大きくなる。「司法局に頼んで、ちょっと新鮮な死体を見せてもらうことにするよ! 慣れないと気持ち悪く感じるかもしれないけど、大丈夫、すぐに慣れるよ!」
「……新鮮」
誰かが茫然と呟くのが聞こえた。
「あの」
わたしは思い切って手を挙げた。「司法局に頼めば、死体を見せてもらえるんですか?」
「うん、そうそう!」
イングラム先生はわたしを見つめて目を細めた。「君、美形だねえ」
「……」
――唐突に何を言うんだか。「うん、いい感じの頭蓋骨だ」
「そっちなんだ」
サイモンが驚いたように呟いている。わたしは何も言えずに固まる。
「司法局は、犯罪者の死体を研究目的に使うことが許されてるからね」
イングラム先生はその視線をわたしに向けたまま、にこにこと笑う。
ヤバい、頭蓋骨だけじゃなく、全体の骨格も観察されてる気がする。
「研究とは、主に治療魔法のためですか?」
サイモンが手を挙げて質問した。すると、イングラム先生は首を横に振った。
「普通の医者も見たいだろうし、まあ、他にも色々用途はあるよ。武器の試しとか」
「武器……」
「それに、犯罪被害者が何か不明な武器で殺されたりしたら、武器を特定するために色々使ってみるよね。大剣かな、細身の剣かなあ、とか」
なるほど……。
わたしは気づいたら眉間に力を入れていたらしい。そのうち皺が固定されそうだ、と慌てて額に手を置いてマッサージする。
「まあ、我々の場合は解剖の立ち会いだよ! できれば、キレイなピンク色に当たればいいね! まあ、病気持ちの人間でも参考資料になるから、それはそれで楽しみだけど!」
変な人だ。
我々がただぼんやりと先生を見つめ、それぞれこっそり顔を見合わせる。
でもある意味、そのテンションの高さに引っ張られるようにして、ゼミは順調に進められた。気持ち悪いとか考えるより先に、内臓の位置は――などという会話が行き交う不思議な空間。
しかし、やがてやってきた解剖の立ち会いはさすがに皆、酷い表情をそれぞれ見せることになった。
「今日は外に出るよ!」
ある日、イングラム先生は集まったゼミ生の前で、凄まじいまでの笑顔でそう宣言した。
どうやら、解剖とやらは司法局の建物内でやるわけではないらしい。どこかの医者が司法局からもらってきた死体らしく、その医者のところに行くんだとか。
「はー」
サイモンがため息をつきながら頭を掻いていた。「さすがに緊張するよ」
「だよね」
わたしも頷く。
他の皆も冴えない表情で、イングラム先生の後について廊下に出た。
そして、「内臓、内臓!」と上機嫌な先生の背中を恨めしげに見つめた。
解剖の場所は、かなり綺麗な建物の中の一室。そこは、どうやら人気の医者の自宅であるらしい。外から見ただけでも、かなりの豪奢な造りの建物だ。二階は居住のための部屋、一階は診療所、といった感じ。
その一階の一室で、四十代くらいの男性が待っていた。
気難しげな男性で、イングラム先生とは仲がいいらしい。ただ、あまりゼミ生にはいい顔をしなかった。
その理由はすぐに解る。
「吐くなら外に出たまえ!」
そんな声がすぐに飛ぶことになったから。
その帰りは、誰もが生き絶え絶えといった感じだった。
「いやはや、なかなかいい感じの心臓だったね!」
イングラム先生だけが超元気。
サイモンも青白い顔でずっと無言だったし、他のクラスメイトはもっと酷い。
わたしだって――。
わたしだって、気分はよくない。
でも、わたしが恐れていたほどの混乱はなかった。
犯罪者の死体。
それは三十代くらいの恰幅のいい男性の遺体で、喉に大きな裂傷があった。それが致命傷だとすぐに解る傷。
その身体を小さな刃物で切り裂く医者。
恐怖はあった。
ジェーン・マーチンの遺体を見つけた時のように、自分が荒れるのではないか、と。
普通に立っていられるか、自信がなかった。
でも、実際には。
勉強だから?
そう言い聞かせていたから?
わたしは確かに気分は悪くなったし、時々直視できなくて顔を背けたけれど。
それでも、驚くくらいに冷静だった。
「また、次回も楽しみだね!」
イングラム先生は我々を見回して笑う。「しばらくは学園で勉強だけど、また解剖に立ち会えるよう、話をつけとくからね!」
しかし、それを聞いても誰も何も言わない。
ぐったりとしたまま歩き続け、学園へと帰る。
「さて、来週は少しずつ実践に入るよ! 簡単な応急手当ての仕方からね!」
イングラム先生はそう言って、我々を解散させた。
「さすがに食欲ないな」
サイモンが乱暴に頭を掻きながら言い、帰宅準備を始めた。
「そうだね」
わたしはぼんやりと応えながら、唇を噛んだ。
何だかよく解らないけど、嫌な感じだ。
胸の奥がもやもやする。頭の中も、すっきりしない。
何か、思い出しそうで思い出せない。
そんな感じがして気持ち悪かった。




