レティシア
「手玉って」
わたしはよほど間抜けな顔をしていたのか、シャーラはわたしを見て吹き出した。
「あなたなら大丈夫大丈夫、落ち着いてやってごらんなさい! 結構男なんて単純なんだから!」
「いや、あの。そんなこと言えるのシャーラ様くらいだと思いますけど」
思考能力が低下していたせいか、わたしは素でそんなことを呟いてしまう。一瞬遅れて、しまった、と慌てたものの、シャーラは気にした様子はなかった。
まあね、局長のさっきの様子を見てれば、何となくシャーラの手腕は解るというものだ。きっと局長は手玉に取られている。
でも。
わたしの相手はグレイなんだし。
そう簡単にはいかないはずだ。
「とりあえず、深呼吸してから行動してみなさい。相手を観察して、上手く話を聞き出して、情報を手に入れなさい。きっとあなたならできるから」
シャーラは事も無げに言う。
でも――、とわたしが考え込んで不安になっていると、またシャーラがわたしの身体をぎゅうぎゅう抱きしめてくる。
何だろう、抱きしめられると安心する。
まるで、お母さまみたいだ、とつい口元が緩んだ。
わたしのお母さまは性格はきついほうだと思うけど、わたしに対しての愛情は深い。お父さまにもきついことを言うこともあるけど、やっぱりお父さまを誰より大切にしている。お父さまがお母さまに対する愛情表現はストレートに激しいけど、お母さまの場合はストレートではないのに確かにそこに存在するんだ。
シャーラも、愛情深い人なんだろう。さりげないことでも、そこには優しさや愛情があるって感じる。
こんな人間になれたら、どんなに素敵だろう。
何だか泣きたくなった。
よく解らないけど、わたしは情緒不安定だ。何だか眦に涙が浮かんできたのを感じて、わたしは慌てて意識を切り替えた。
「そう言えば、シャーラ様?」
わたしは彼女に抱きしめられたまま言った。「さっき、シャーラ様はレティシアという女性のことをレティシア様と呼ばれました。それって……?」
「あ、それねえ……」
シャーラはわたしから身を引いて、椅子に座り直した。
ああ、残念。
もうちょっと抱きしめられていたかったなあ。
そんなことを考えつつも、わたしは必死にまじめ腐った表情を作る。
「神殿には孤児院もあるって知ってる?」
「そうなんですか?」
わたしはそれを知らなかった。神殿はわたしにとってあまりにも『遠い』存在だ。ほぼ何も知らない。
シャーラは複雑そうに微笑み、小さく頷く。
「そう。ただ、全ての孤児を受け入れるところではないの。大人になったら巫女や神官として働くことができそうな人間だけ受け入れるところだから」
「ああ、なるほど」
それは仕方ないんだろう。全ての孤児を受け入れたら、この山には村が出来上がるだろう。
神殿がどんなに力を持っていても、さすがにそんな財力はないはずだ。
そういう意味では、神殿は全ての人間に平等ではない。
「わたしも孤児でね、物心ついた時にはここにいたの」
シャーラは相変わらず楽しげに笑う。その内容はとても笑い事ではないのに。
「たくさんの巫女見習い、神官見習いがいる場所に、突然若い女性が世話役として現れたのよ。それがレティシア」
「え!? ここにですか?」
わたしが驚いて声を上げると、彼女は肩をすくめる。
「前の神殿長はお人好しだったというかね、優しい方だったから騙すのは簡単だったみたいで。凄い魔法使いで、身寄りがなく、そして絶世の美少女とい彼女が行き倒れていたらコロッと騙されたというか……」
「行き倒れ……てたんですか」
「もちろん演技でしょうけどね」
「はあ」
「可哀想だから、まずは孤児院で働いてもらおうか……ということになってね。その時、ここにはかなり有能な神官長がいて、いきなり部外者を神殿の近くに置くのはどうかと諌めたけど、神殿長は逆に神官長を叱ったのよ。理由もなく彼女を疑い、頼る術のない人間を放り出すのか、と」
なるほど。
それは理解できる。行き倒れの女性を助けたいと考えるのは当たり前だ。
「早い話、神官長以外はみんな、騙されたというかね。みんなレティシアの味方だったわ。わたしもレティシア様のことが好きだった。だって、とっても綺麗で、優しかったの。特に、わたしたち孤児の間では友人であり、神様みたいな存在だった。無邪気な人でね、一緒にいると色々教えてくれた。彼女はあらゆる魔法を知っていたの」
シャーラはそこで苦しげに微笑んだ。
「わたしたちは幼かったから、気づかなかった。こんなにも力を持った魔法使いなら、行き倒れることなんて有り得ない。きっと、街で裕福に暮らしていける。それだけの力がある。……でも、気づかなかった」
彼女はいつしかテーブルに両肘をついて、頭痛を覚えたかのようにこめかみを押さえていた。
彼女の声はだんだん沈んでいった。
「わたしたちが無邪気に彼女を『レティシア様』と呼んで慕い、色々なことを教えてもらっている間、彼女は多分、選別していたんだと思う」
「選別?」
「彼女はある日、数人の女の子を連れて孤児院から……神殿から身を消したの。連れさらわれたのは、とても可愛い顔立ちをしていた子供たちばかりでね。大騒ぎになった」
それはそうだろう。
つまり、それは巫女見習いの誘拐。きっと、将来有望な。
「神殿の神像の前。つまり祭壇の上には、一人の子供が死んでいた。行方不明になった彼女たちを探していた時だから、みんな、それを見たの。わたしも見た。その子は……」
シャーラは一瞬、言うか言うまいか悩んだようだ。でも、わたしの顔を見て、思い詰めたような目つきになる。
「あなたがこんな状況でなければ、濁したほうがいいんでしょうね。でも、場合が場合だから正直に言うわ」
と、彼女は泣きそうな表情をした。
わたしはただ身じろぎ一つしないで彼女を見つめるだけ。
そして。
「解剖されていたのよ。多分、その……生きながらに」
「か」
心臓が冷えるとはこういうことだろうか。
解剖って。
解剖って?
「祭壇の周りは凄まじいものだったわ。血だらけでね、そしてレティシアを疑っていた神官長もそこで殺されていた。それを見たわたしたちは泣いたわ。神官長は孤児のわたしたちにとって、父親みたいなものだったから」
想像したくもない。
そんなことがあったの? この神殿で?
わたしはただ息を詰めて彼女の話を待った。
「神殿長は必死にこの事実をもみ消した。これは神殿長が招いた悪夢だったから。彼がレティシアを受け入れなければ、あそこまでの事態にはならなかったかもしれない」
シャーラは目を伏せた。「神殿長は司法局レティシアのことを危険な人間として通報したけど、事件を表沙汰にはしないようにお願いしたの。司法局もそのほうが都合よかったみたいね」
「どうしてですか?」
「もともと、司法局も内密に調べていた事件だったみたい。過去にもあの人が起こした事件があったとか聞いた」
「神殿のかたは知らなかったんですか? 司法局から連絡は?」
「事前に連絡があったら、神殿長も警戒したかしら」
シャーラはため息をついた。「でも、起きてしまったことは今更何を言っても遅いわね。それに、もう彼女は司法局に逮捕されてる。終わった事件だわ」
終わった事件。
本当に?
わたしの沈黙に気づいた彼女は、苦々しく笑う。
「終わったはずだけど、不安よね。レティシアの知識を受け継いだ少年は野放しなわけだし」
「……はい」
「でも、所詮魔法の知識はあるとはいえ、少年はレティシアには適わない。もし、レティシアが逮捕されていなければ、わたしはあなたに全力で逃げることを勧めたわ。それくらいにレティシアは恐ろしい。でも、あの人に比べれば……」
そう言えば。
グレイは更正の可能性があった、とアレックスが言っていたっけ?
でも、精神的に壊れたから今のような殺人者になったと――。
だとしたら、本当のグレイ・スターリングは完全な悪人ではなかったのかもしれない。今は違うけど、昔は。
「でも……怖いです」
わたしはポツリと呟く。「彼と接触するのが怖い。関わりたくない。身体を……取り戻さなきゃいけないのに」
ああ、何なの。
あんなに一生懸命だったのに、怖じ気づいた?
これがわたしなの?
レティシアという魔法使いの不気味さと、その弟子という立場のグレイ。
もう関わりたくないと願ってしまうのは、弱さじゃないの?
「司法局に頼ってもいいじゃない」
シャーラの口調は優しい。「ライオネルは頼りになるわよ」
――確かにそうなんだろう。
でも。
「わたしも力になる。だから、やってみましょう。グレイとかいう少年の一人や二人、何とかなるわよ」
そう言って、シャーラは椅子から立ち上がってわたしを抱きしめた。
「グレイが二人いたら泣きますよ」
わたしはかろうじて微笑んで見せた。
まずは、落ち着こう。色々考えよう。
どうすべきか、悩んで悩んで、行動しよう。
わたしは震える自分の手を見下ろした。




