赤いトカゲ
局長が出て行った後、シャーラは魔法の呪文の詠唱を始めた。
わたしがエリザベスや学園で教えてもらっているものより、ずっと緻密な言語。辺りを包み始めた光すらずっと明るい。
古代言語かな、と考えながらそれを観察する。
細かな模様が部屋の床、壁、天井まで取り囲み、そして消える。
「この部屋を封鎖したから、誰も盗み聞きできないわよ」
シャーラはにこにこ笑いながら、わたしを木の椅子へ座るよう促した。
彼女に頭を下げて椅子に座ると、テーブルの上には茶色い毛糸の塊と編み棒、編みかけの何か。
わたしの視線を追って、シャーラが恥ずかしそうに笑う。
「暇だから編んでたの」
「ええと、何を作ってらっしゃるんですか?」
やがてシャーラも椅子に腰を下ろし、毛糸玉を引き寄せた。
「腹巻き」
「腹巻き……」
「やっぱり冬は寒いじゃない? 年を取ってくると必要よねえ」
「……なるほど」
わたしは真面目な表情を作りながら頷いた。しかし、こんな反応を返していいのか。
相手は恐れ多くも巫女様なのに!
そして思い出す。まだ自己紹介もしてない。わたしは改めて背筋を伸ばした。
「あの、お会いしていただけて感謝しています。わたしは……エアリアル・オーガスティンといいます」
「シャーラ・カロライナよ。そうね、名乗るのも忘れていたわ。ライオネルから話を聞いているから、事情は全部知ってる」
「そう、ですか」
わたしは言葉を探した。
シャーラはそんなわたしを見つめ、やがて目を細めて頷く。
「ライオネルから話を聞いた時は、世間話の延長みたいに考えていたの。ただ、ものすごく気になってね、あなたに実際に会ってみたいとは思っていたの。だから、ライオネルから話が来たときはいいチャンスだと思ってね」
シャーラの笑顔は優しい。
そして、ふとその表情が消えた。人間味のない、人形的な顔。
「あの」
ちょっと驚いて声を上げると、シャーラは「少し痛いわよ」と鋭く言って、わたしの胸のほうに手を伸ばした。
――何がですか?
と、わたしが言おうとした瞬間、鋭い痛みが胸元から頭にかけて走った。
つい悲鳴を上げて胸を押さえながら、シャーラのその手に突如として現れたものに目を奪われていた。
それは毒々しいまでに赤い、小さなトカゲだった。今まで見たことのない生き物。
ぐったりと伸びている、と思ったそのトカゲは、どうやら眠っているみたいだった。目を閉じて、細い腹を僅かに上下させている。
「それ……」
わたしは困惑しながら呟いた。いつの間にか胸に走った痛みは消え去っている。
そして。
そして?
わたしは急に違和感を覚えた。
何だろう。何がおかしいんだろう。
「これはね、普通は卵のまま産みつけられるものなのよ」
シャーラも困惑しているみたいにトカゲを見つめている。
トカゲは時々、ぴくぴくと鼻先を動かす。しかし、目は閉じられたまま。
「どうしましょうね。わたしが考えていたよりも、特殊な状況みたい」
シャーラは困り切ったように笑い、そのトカゲをテーブルに置いた。そして、シャーラは魔法の呪文を口にした。
小さなトカゲを閉じ込める、小さな檻。それが魔法言語で作られた。
「何から説明しようか悩むわねえ」
と、しばらくシャーラは考え込んでいた。それから、意を決したかのように頷いた後、わたしを見つめ直した。
「今回のことは、わたしが勝手に関わったこと。でも、ちょっと問題が大きすぎて厄介みたいだから、他言無用にして欲しいの。いいかしら?」
「はい」
「特に、うちの神殿長には」
「神殿長?」
わたしが初めて聞く名称に眉を顰めると、彼女はくすくす笑う。
「白髪頭のお爺さんを見かけたら要注意よ。まあ、あの人はわたしたち巫女ほど魔力がないから、あなたを見ても何も気づかないでしょうけど」
白髪頭。
って言うか、『わたしを見ても』?
どういう意味だろう。
「彼女の使い魔を取ってしまったから、安全は安全なのだけど……」
シャーラは小さく呟いた後、酷く真剣な目をわたしに向けた。「ライオネルは、あなたがグレイ・スターリングという少年に目を付けられて、危険な目に遭っていると言っていたけど、根はもっと深いと思う」
「え」
「レティシアという女性について、何か話は聞いてる?」
「レティシア?」
ただシャーラの言葉を反芻しているわたしだったけれど、その名前を聞いて思うことは。
Lの文字。
「多分、史上最悪の魔法使い、かしらね」
わたしの表情を見て、思い当たることがあると解ったのだろう、シャーラが苦笑する。「今は魔法司法局に身柄を拘束されているはずだけど、あなたはレティシアに会ったことがあるのね」
「ええっ!?」
わたしの喉から素っ頓狂な声が上がる。
噂だけでもとんでもなく恐ろしい魔法使いに、わたしが会っているはずかない!
全く覚えのないことだ。絶対に有り得ない。そう思うのに。
「この使い魔はね、レティシア様……レティシアの常套手段というかね、彼女の古代魔術が作り上げた擬似生物なのよ」
シャーラは小さな檻の中で眠るトカゲを指差した。「レティシアは気に入った人間を自分好みに作り替えるために、時々こういう魔法を使うの。卵をあなたの心の中に産みつけて、何かのきっかけで孵化するように設定する。そのきっかけというのは様々だけど、一度孵化したら、あなたの心を食い荒らして成長する」
「孵化したら……」
わたしはトカゲを見つめる。「孵化、してますよね」
「そうね」
シャーラは首を傾げる。「普通、有り得ないんだけどね。使い魔はあなたの精神を食い尽くす前に、眠ってしまったみたい。だから、あなたはこうしてここにいるわけ」
どういう意味なのか。
わたしが黙って彼女を見つめていると、シャーラは小さく唸るように続けた。
「レティシアが欲しいのは、従順な殺人者であり、魔法使いだと思うの。だから、グレイ・スターリングみたいな殺人者も育成されたのね。殺人者に人間的な感情などいらない。だから、使い魔にその心を喰わせるの。優しさ、情け、愛情といったものをね」
シャーラの話は続く。
使い魔は、心を食い尽くすと宿主から出てくる。
そして、空っぽになった心の中にレティシアが望む『擬似人格』を植え付ける。
そうすると、レティシアの命令を聞く人間が出来上がる。
つまりは、そういう魔法なのだと言うのだけれど。
「あの」
わたしは教師に質問する時のように手を上げた。「わたしがその魔法にかかっていたとして、今のわたしは……どういう存在なんでしょう? わたしは昔も今も、そんなに変わっているとは思えないし――」
「そうね、わたしが見る限り、この魔法は古いと思うの。もう何年も前……多分、彼女が司法局に逮捕される前のことだと思うわよ」
そんな前のこと?
なおさら、そんな魔法使いに接触なんて考えられないけど。
わたしは必死に考える。その間もシャーラの話は続いていた。
「使い魔が孵化したタイミングはよく解らないけど、確かにあなたの心の中に欠落した部分があるのは見えるわ。この使い魔は、あなたの心を食べて育ち、食い尽くす前に眠りについた。欠落した部分は、あなたに取って大切な部分だったと思う。優しさだったり思いやりだったり、そういった部分が欠けて、穴が空いているの」
「穴?」
「そう。今、わたしが使い魔を取り出した時に、その穴を埋め尽くしていた『怒り』の感情も取り出してみたんだけど、どうかしら?」
怒りの感情。
そう言えば、さっきから続いている違和感。
何だか酷く辺りがクリアに見えて。何だか酷く、自分の中が虚ろに感じて。
「あなたに取って良かったのは、生活環境ね。空っぽになった心というのはね、レティシアが『擬似人格』を植え付ける必要もないほど、簡単に環境に染まりやすいのよ。もし、嫌いな相手がいれば簡単に殺しもするし、後悔なんて感情も感じない。善悪なんて意味がなくなる。でも、きっとあなたは家族の下で、この世の中の汚い部分とかに触れずに育つことができた。そして、初めて悪意に触れたのが」
「グレイ・スターリング」
わたしの唇が勝手に動く。
「そう。そして、多分あなたは彼に嫌悪感と怒りを抱いた。その怒りだけで、心が埋まってしまった」
確かに言われてみれば、納得できることもある。
ここずっと、わたしをがむしゃらに動かしているものはグレイに対する怒りだった。
剣術だって魔法だって体術だって、こんなにも必死になって勉強したりしているのは、あいつから自分の肉体を取り戻すために、少しでも強くなりたいからだ。
落ち込む暇なんてなかったし、周りを見ている余裕なんてなかった。
でも、もしこれが本当の自分じゃなかったら?
わたしは、本当にわたしなんだろうか?
エアリアル・オーガスティンという人間は、本当に今の自分なんだろうか?
急に、わたしは恐怖を感じた。




