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魔法使いは鏡の中で笑う  作者: こま猫
第一章 人格転移で右往左往

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鏡の中で

 馬車に乗って、我がオーガスティン家へ。

 今日はお父さまとお母さまは馬車には乗っていない。ずっとオーガスティン家で働いている男性の御者のマックスが、わたしとクレアを迎えにきてくれたのだ。

 ずっと司法局の中に閉じこもっていたので、馬車の窓から見える街並みすら目新しく感じた。

 色々不安はあるけれど、そんなことより思うのは『自由って素晴らしい』ということだ。

 屋敷の大きな門が開き、馬車が中に入っていく。玄関の前で馬車がとまり、わたしはクレアの手を引きながら下りた。

 そのまま閉じた門を振り返った。

 司法局の捜査官が、定期的に見回りにきてくれるらしいけど、どこにくるんだろう、なんて考える。まあ、そのうち解るだろう。


「エアリアル」

 屋敷の中に入ると、お父さまが出迎えてくれた。それと、召使いたち。

 お父さまは黙ってわたしの肩を抱き、そしてため息をついた。

「……すっかり筋肉がついて」

「ちょっとお父さま、感動の帰宅シーンが」

 わたしは渋い表情をしていると、二階から続く階段からお母さまが降りてきた。

「エアリアル! 良かった、早かったわね」

 お母さまはにこやかに微笑み、わたしの前に立った。わたしはお母さまに微笑を返し、お母さまの背後に見知らぬ人物の姿を見て首を傾げた。

「ああ、こちらはカート・ポーター。しばらくあなたの教育係になるの」

 お母さまの笑顔は張り付いたように動かない。

 わたしは意味が解らず、お母さまとそのカートとやらの顔を交互に見やる。

 カートという男性は、おそらく三十代後半くらいの男性だ。黒髪を綺麗に撫でつけ、かっちりとした服装に身を包んでいる。まさに、紳士、と呼ぶべきだろうか。

 彼は穏やかに微笑み、優雅に頭を下げる。

「カート・ポーターと申します。微力ながら、あなた様が立派な男性としての立ち振る舞いを会得でしますよう、お手伝いさせていただくことになりました」

「は? えっと、お母さまどうしたの?」

 我に返ってわたしがお母さまを見やると、お母さまはわざとらしく目元を手で覆いながら、切なげな声で言う。

「ほら、この通り、男らしいとは呼べない仕草で……」

「ええっ!?」

「そうですね」

 カートはしばらくわたしを見つめていたが、やがて小さく頷いた。「しかし下地は素晴らしいですので、頑張らせていただきます」

 その自信に溢れた笑顔!

 やられた、と思った。

 まあ、確かに今のわたしはまだ女性らしいところが抜けていない。しかし、まさか屋敷でこんな特訓を受けることになるとは考えてもいなかった。

「入学までの期間、みっちり仕込んでやってちょうだい」

 お母さまは切実、といった感じでカートに頼み込む。

 お父さまは微妙な表情でわたしたちを見つめ、クレアはといえば落胆の眼差しをわたしに向けている。

 お母さまだけ元気いっぱいだ。


「どうせやるなら徹底的に完璧を目指しましょう」

 その夜の食事の場で、お母さまはそう言った。一度決めたら絶対に考えを翻さない。そういう人だ。

 テーブルにはわたしとお母さま、お父さまだけ。

 召使いも下がらせてしまったので、ただでさえ広い部屋がだだっ広く思える。

「完璧って、男性としての演技?」

 わたしが訊くと、予想通りお母さまは頷いた。

 ああ、魔法の勉強もできてないのに……。

 わたしはこっそりため息をついたが、こうなったら仕方ない。

 やってやろうじゃないか!

 学園で、「あの人、オカマっぽい」と言われたら立ち直れないし!


「服の仕立て屋も呼びましょう」

 お母さまは上機嫌だ。「オーガスティン家に恥じぬような服を準備しなくてはなりません」

「あの、お母さま」

 わたしは口を挟んだ。「それよりも、わたしは魔法の勉強をしたいの。魔法使用許可証というのが必要らしいのだけど」

「それはしばらく前に取ってある」

 お父さまが手にしていたワインのグラスをテーブルに置いて言った。「世の中、何でも税金なのだな」

「税金?」

 わたしは首を傾げる。「魔法使用許可証は一年が期限だ。毎年更新時に税金がかかる。上手くできてるものだ」

「そう……。ごめんなさい、余計な出費をさせて」

 わたしが肩を落として言うと、お父さまは慌てたように笑った。

「お前は気にしなくていい。好きなように魔法の練習をしてもいいが、屋敷は破壊しないでくれ」

「しないわよ」

 わたしは反射的に言ったけれど、こうも続けた。「多分……」

 お父さまが眉間に皺を寄せて唸る。

 信用ないな……。


 食事が終わってから、わたしは自分の部屋に向かった。二階の角の部屋。

 扉を開けると、以前と全く変わらない光景がそこにある。

 お気に入りのカーテン、天蓋付きのベッド。木目が美しく出たテーブル、猫足の椅子。

 鏡台の上には小物を入れておくための、宝石で飾りがついた箱。

 いかにも女の子の部屋だ。

 わたしは真っ直ぐベッドに歩み寄ると、そのまま俯せに倒れ込んだ。

 やっと帰ってきた。

 そんな実感がじんわりと頭の中に広がった気がした。

 やがて、わたしはベッドから起き上がって、鏡台の前に座る。愛用の櫛やお化粧道具に手を伸ばし、ふと顔を上げた。

 鏡の中にあるグレイ・スターリングの整った顔。

 司法局にいる間に見慣れてしまった顔。

 そして今、わたしはどこかに違和感を覚えて眉を顰めた。

 何が違うんだろう、そう考えながら見つめていると。

 鏡の中で、『彼』が微笑んだ。


 わたし、笑ってないはずだ、と頬を手で触れた時。


「エアリアル・オーガスティン」

 『彼』が口を開いた。

 わたしはただ茫然とそれを見つめ、言葉を失った。

 わたし、頭がおかしくなったのだろうか、と考えると同時に、心臓が嫌な音を立てた。

「記憶を失ったらしいね、残念だよ」

 彼――グレイはどこか酷薄そうな笑顔を浮かべたまま続ける。「僕たちは解り合えたと思ったのに。急ぎすぎたかな」

 何を言っているのか、頭に入ってこない。

 これは幻覚だろうか、と頭のどこかで考えつつ、手を伸ばした。

 鏡台に触れる。すると、鏡の周りを取り囲む木製の枠に、うっすらと浮かび上がってきたもの。

 よく見ないと解らないくらいの、細かな魔法言語文字。そして、記号。

 魔法。

 誰かがこの部屋に入って魔法を。

 グレイが?

 わたしは慌てて椅子から立ち上がり、鏡台から後ずさった。

「逃げないで欲しい」

 グレイは笑ったままだ。「誰かにこのことを君が言ったら、もう僕は二度と君の前には現れないつもりだ」

「……どういうことなの」

 わたしの声は震えていた。

「僕と君だけの秘密。守れるかな?」

「約束はできないわ。わたしはあなたを捕まえてもらわなきゃいけない。司法局があなたを探してる」

「それは困ったね」

 鏡の中で、彼は首を傾げてみせる。

 何なのよ、この余裕。

 人殺しのくせに。

 わたしの身体を盗んだくせに!

「君はこの身体を取り戻したい?」

 グレイがそう言った瞬間、鏡の中にいた『グレイ』の姿が歪んだ。そして、そこに現れたのは『エアリアル』の姿。

 酷薄な笑みはそのままで、でも肉体は間違いなくわたしのもの!

「当たり前だわ。すぐに返して!」

「気に入ってるんだよ、この身体」

 ギリリ、とわたしの歯が鳴った。

 彼の唇の両端がくくく、と上がる。

「じゃあ、取引をしよう」

「取引?」

「君がこの鏡のことを誰にも言わなければ……司法局の連中にも、身内や召使いたちにも、誰一人にも話さずに秘密にできるなら、僕はたまに君に話しかけよう。もしかしたら、僕の居場所の手がかりも教えるかもしれない」

「もし誰かに話したら?」

「君の身内の誰かが死ぬよ。一人とは限らない」

 わたしは息を呑む。

 自分の唇が震えた。

「まだ、この身体になってから人間を殺してない。だから、楽しみだね」

「冗談……でしょ」

 わたしは低く笑う。

 多分、彼は本当に誰かを殺すのだろう。

 冗談を言っている目ではない。

「でも、こんなこと黙ってはいられない……」

 わたしが震える声で呟いたけれど、それすらも彼は楽しんで見ているかのようだった。

「だったら言ってもいいよ。大丈夫、君のことはしばらく殺すつもりはない」

「しばらく?」

「自分の肉体を殺すのも、面白そうだよね。でも、後の楽しみにしておきたい」

 おかしい。

 グレイ・スターリングは気が狂っているとしか思えない。

 これが『壊れた』、ということなの?

 わたしはただ彼を見て身体を硬直させていた。

「君の屋敷に忍び込むのも簡単だった。君の父親が魔法使用許可証を取るのが遅いから、少し待ったけどね」

「魔法使用許可証……」

 それを取ることすら、近くで観察していたというの?

 そんな近くで!?

「もし君が、両親を亡くして泣くようなことになったら、僕が慰めてあげるよ。君の両親の身体もずっと綺麗な状態で保管しよう」

「やめて」

 わたしは頭に手を置いて叫んだ、つもりだった。でも、掠れた声しか出なかった。

「じゃあ、取引はどうする?」

 わたしはのろのろと顔を上げた。彼は笑い続けている。

 司法局に話すわよ。

 絶対、あなたを捕まえてもらうんだから……。


「誰にも話さなければ殺さない?」

 わたしの唇が自然と動いた。

「話さなければ、君の関係者は安全だ」

「そう……」

 わたしは俯いた。

 いつかわたしは、誰かにこの選択を責められるかもしれない。

 でも、今は受け入れることしか考えられなかった。

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