それぞれの悩み
わたしが剣術と魔法書漬けの毎日を送っている間、グレイの逃亡先についての情報は全く入ってこなかった。
カウンセリングは週に一回。
お父さまとお母さまも、週に一回は面会にきてくれた。しかし、状況が変わらないことにお母さまは不機嫌になっているようで、わたしは不安だった。
毎日があっという間に過ぎていく。でも、わたしは悩みがあった。
「もし、の話なんだけど」
その日は、午前中から応接室を借りてわたしと両親が向かい合っていた。
一応、部屋の隅にはクレアも黙って控えている。
お父さまはいつもと変わらず、穏やかに微笑んでいたけれど、その目には心配そうな輝きと疲れが見える。
お母さまは難しい表情で唇を噛むことが多いけれど、わたしと話をしている時は笑顔を作ろうと努力しているみたいだった。
「司法局の人たちは凄く頑張ってくれているし、わたしはここで何不自由なく過ごさせてもらってるけど」
「当たり前よ」
ふと、お母さまが小さく口を挟む。でもわたしはすぐに続けた。
「もし、グレイ……犯人が遠いところに逃げてしまって、なかなか捕まらなかった場合、わたしはどうしたらいいかしら」
「どうしたら、とは?」
お父さまが眉を顰めた。
「わたしの身体は別人のものだし……屋敷に帰るのは変じゃない?」
「お前は私たちの娘だろう」
お父さまが何を言うんだ、と言いたげに鼻を鳴らす。
でも、わたしは不安だった。
現実的な問題というやつだ。
「変な噂とか立たない? わたし……エアリアルは行方不明で、代わりに身元不明の男の子がオーガスティン家に入って生活するなんて」
「いいじゃないの」
お母さまは鮮やかな微笑を浮かべる。「何かあったら、親戚筋から預かったとでも言っておけばいいし。まあ、わたしたちどちらかの隠し子と疑われても適当に誤魔化すがいいでしょう」
「隠し子……」
お父さまは困ったような表情でお母さまを見たけれど、特に何も言わなかった。
お母さまはさらに続ける。
「エアリアルは花嫁修行のために寄宿舎つきの学校に入れたとでも言っておけばいいし、この少年が婚約者とでもしておけばいいかしら?」
わたしは少しだけ沈黙してから、口を開いた。
「嫌なことを言うようだけど、もしわたしが元の身体に戻れなかったら……わたしはオーガスティン家の一人娘で、跡取りを……その」
「まだ先の話だろう」
お父さまが渋い表情をした。「その頃にはさすがに司法局も」
「でも、絶対なんて言葉はないと思うわ。最悪なことも考えておかないといけない」
わたしは静かに言った。
もしこのままわたしが元の身体に戻れなければ、婿を取って……なんてことは不可能なのだ。
つまり、オーガスティン家の血筋が途絶える。
わたしの家は由緒ある一族で――なんてことを、お母さまから何度も聞いてきたのだ。
「もし可能なら、養子をとか……何か考えたほうが」
わたしは幼い頃からいたずらし放題だったり、お父さまやお母さまを心配させたり手を煩わせたりしてきたけど。
それでも、オーガスティン家の一員として気をつけなくちゃいけないこととか、色々言われてきた。だから、やっていいことといけないことの区別はつけてきたつもりだ。
その上で、現在の状況を考えれば、それなりに問題点は思いつく。
「お父さまの血筋で、誰か」
「エアリアル」
お父さまが鋭い視線をわたしに向けて口を開く。「それを考えるのはまだ早い。お前がこんなことになって、まだ日が浅い」
「解ってる。でも」
「解っているなら尚更だ。まずは、早くここから出て屋敷に戻ることを考えよう。いつ頃になるのかは聞いていないのか?」
「うん」
わたしはいつの間にか指に力を入れていたらしい。爪が手のひらに食い込んでいる。
「でも当分は無理みたい。それはそれで安全だけど」
わたしはそう言ってから、恐る恐るお母さまを見る。お母さまは少しだけ俯いて何か考え込んでいる。
「わがままを言ってもいい?」
わたしはお父さまに視線を移す。
お父さまとお母さまがわたしを見た。
「わたし、今、ここで魔法とか教えてもらってるの」
「魔法?」
お父さまとお母さまの声が重なる。
「身を守るために必要だから。犯人は魔法使いだし」
「でも、捕まえるのは司法局の仕事よ」
お母さまが目をつり上げた。
「解ってる。でも、必要なのよ。もしかしたらわたしの手で魔法をかけて、元に戻ることだってできるかもしれない」
人格転移が禁呪であることは伝えない。
おそらく、自分の手では不可能であることは。
「だから、お願いなのよ。できれば、魔法科のある学校に通いたい。魔法使いなんて一族の恥だというなら、オーガスティン家の名前は出さないようにする。寄宿舎に入ることだって考える。迷惑はかけないよう努力する。だから、お願いします」
そうまくし立ててわたしは頭を下げる。
とにかく必死だったのだ。
「あのね、エアリアル」
お母さまが呆れたようにため息をついた。「立派な心がけだと思うわよ、迷惑をかけない、とかね。でも、こっちは迷惑なんて感じないのよ」
わたしは顔を上げてお母さまを見る。お母さまは酷く真剣な目でわたしを見つめている。
「たとえ姿は変わっても、あなたはわたしたちの大切な娘なの。何があなたに取って必要なのか、明らかであればわたしたちだって協力する。確かに魔法科は女の子が通うものとしてはどうかと思うけど、必要なのよね?」
「うん」
「ならば、来年、ウェクスフォード学園に通うのだから、そこになさい。魔法科もあったはずでしょう。レイチェルも通っているのだから心強いはずよ」
「いいの?」
「何が? むしろ好都合でしょう。ハリス家に隠しておけることでもないし、説明して協力してもらいましょう」
いいんだろうか。
でも、それなら凄くありがたい。ウェクスフォード学園に通うのは楽しみだったけれど、こんな状況だから無理だと思っていた。
だから、どんな小さい学校でもいいから魔法科のあるところ――と、考えていたのだ。
「準備させるわ」
お母さまはそう言ってソファから立ち上がる。
「ありがとう」
わたしも立ち上がって言うと、お母さまが少しだけ表情を和らげてこちらを見た。
「……わたしはあなたに色々厳しく言ってきたけど、それはオーガスティン家のためじゃない。あなたは遠慮する必要はないの」
遠慮なんか……と言いたかったけど。
どうだろうな。
「悩みがあるならいつでも相談なさい。一人で抱え込まないように」
お母さまはそう言って、わたしの頭を撫でた。そして笑う。
「……息子ができたようなものかしら」
お父さまとお母さまが司法局から出ていってから、わたしはクレアと一緒に食堂に向かった。
「お嬢さまが学園に通われるようになったら……」
クレアが小さく言う。
わたしは歩きながら彼女の横顔を見た。
そうか。
今までクレアとは毎日、それこそ姉妹のように一緒にいたけど。
もし学園に通うようになったら、そうはいかない。
何だか淋しいと感じる。そりゃ、屋敷にいる時間は会えるけど。
「お嬢さまが暴走しても、誰もとめる人間がいない……」
「何を心配してんのよ」
あまりにも予想外の台詞だったので、咄嗟に女口調で言ってしまう。おっと、いけないいけない。
「だって、わたしは不安です」
「クレア。わたしは大丈夫だから。最近はわたしも色々考えて行動してるし」
「それが不安なんじゃないですか」
クレアはため息をついた。「最近のお嬢さまは別人のようですよ」
「そりゃ身体は別人だし」
「茶化さないでください」
「すみません」
「いきなりこんなことになって、大変なのは解ります。でも、無理してるようにしか見えないんです」
クレアは何故か落ち込んでいるように見えた。それとも、単純に心配してくれているのか。
「それに多分、わたしも状況についていけてない」
「頑張ってついてきて」
わたしは笑った。
多分、無理はしてる。剣術と読書に時間をあるだけ費やしているのは、悩んだり落ち込んだりするのを避けるためだ。
でも、このほうが楽。
「ありがとう、クレア」
わたしは彼女に笑いかける。「あなたがいるから、助かってる。一人で司法局にいたら、今頃精神的にきつかったと思う。本当にありがとう」
「あああ、もう」
クレアはいきなり立ち止まり、俯いた。 わたしが眉を顰めつつ立ち止まって彼女を見つめると、いきなり彼女はわたしを睨みつけた。
「お嬢さま! せめて、女性らしい趣味の時間も持ちましょう! 刺繍とか、編み物とか!」
「ええ!? 何でいきなり!」
「お嬢さまがどんどん男性に見えてくるのが嫌!」
落ち着け!
何だかよく解らないけど精神的にいっぱいいっぱいだったのはわたしだけじゃなかったようだ。
わたしは何とかクレアをなだめすかしてから、食堂へと彼女を連れ込んだ。




