分身と稽古
「ただ、すまないが少し時間はかかる。しかし、何とかするからそれまで我慢してもらいたい」
シドはそう言ってから、エリザベスに目をやった。「図書室の魔法書の閲覧許可を取ってくれ」
「あ、解りました!」
彼女は一瞬背筋を伸ばし、元気よく歩いて局長室を出ていった。
そして、残ったのはわたし、シド、マチルダ。
「急に話が通じるようになりましたね」
マチルダが苦笑しつつ言うと、シドは鼻を鳴らした。
「局長が戻ってくるまでかもしれんがな。あのタヌキ……」
「局長……」
わたしはふと、『代理』じゃない局長という存在が気になった。「あの、そういえば何故、今は代理と?」
すると、マチルダが何か歪んだ笑顔を見せた。吹き出すのをこらえているかのようだ。
シドはわざとらしく真剣な表情を作る。
「療養中だ」
「病気ですか」
「長時間、椅子に座ってられないらしい」
「はあ」
すると、マチルダがわたしの耳元で囁いた。
「痔が悪化したのよ」
「痔!?」
わたしが目を見開いて彼女を見つめると、堪えきれなくなったのか、マチルダが意外なほど豪快な笑い声を上げた。
「痔ですって、痔! 真面目な表情で死ぬかもしれん、って言ったあの顔を思い出すわー!」
「……本当だかどうかも解らんぞ」
シドは不機嫌そのものの表情となる。「あのタヌキ、以前は『禿げてきた』という理由で傷心旅行にも行ったからな」
「ハゲ……」
わたしがぽかんとしていると、マチルダが笑いのツボに入ったのか、ひーひーと苦しげに笑った。しかも、バシバシとわたしの肩を叩く。痛い。
「ハゲは遺伝するって言うじゃない! あなたも気をつけなさいよ!」
「気をつけてハゲないなら、誰だって気をつけるがな」
さらに不機嫌そうなシドの顔。
「親子なのよ」
マチルダはまたわたしに囁く。
「親子? 局長と局長代理が!?」
「そう。この顔が後数十年後にはハゲ」
「想像するな! 書類整理に回すぞ!」
シドはとうとう椅子から立ち上がり、わたしのそばからマチルダを引き剥がした。そして多分、次の台詞は勢いで口にした思いつきだったのだろう。
「魔法使用許可が下りるまで、お前は他にも適当にやってろ! 乗馬、剣術も教えられる!」
剣術?
わたしはつい手を挙げた。
「剣術お願いします!」
翌朝は、クレアがわたしを起こしにくる前にベッドから起き上がっていた。洗面所で顔を洗い、壁にかけられている鏡を見る。
確かに綺麗な顔だ。
魔法使いに気に入られていたという、この顔。
ふ、と唇を笑みの形にした。それだけで、雰囲気が変わる。
気に入らない。この顔、傷だらけにしたらグレイは怒るだろうか。その女性は?
……まあ、実際にはやれないだろうけど。でも、剣術の練習中にボロボロになってもおかしくないよね。むしろ、ボロボロになってしまえ!
とか思ったけど、その日、剣術の練習とやらは肉体的なダメージのないものを与えられたのだった。
「お嬢さま」
クレアはその顔に『不本意』という感情を張り付けていた。「オーガスティン家の一人娘であるお嬢さまが、剣術など有り得ませんが」
「今は『娘』じゃないし」
ニヤリと笑い、わたしは指定された運動場へと向かう。後ろをついて歩いているクレアは、終始ブツブツと不満を口にしていた。
とりあえず全て聞こえないふりをする。
運動場とやらはとても広かった。筋力を鍛える器具やらもたくさんあるようで、それらの近くには立派な筋肉を持つ男性が複数いたし、格闘技の手合わせらしいことをしてる人もいた。
それに、運動場のある一角には、部屋のように仕切られたところもある。近づいて小さな窓から覗いて見ると、弓の練習場らしいと解る。遠くの壁に取り付けられた標的のマーク、突き立てられていく矢。
弓矢もいいなあ。
わたしは眉間に皺を寄せた。
「おい、鉄仮面」
ふと、聞き覚えのある声が飛んできた。
「エドガー」
わたしは彼を睨みつける。「エアリアルが名前です。そんな変な呼び方はしないで下さい」
「女の名前では呼びたくない」
エドガーは冷ややかに応えた。
まあ、確かにそうだ。しかし鉄仮面とかグレイとかも呼ばれたくない。
「とにかく、お前はこっちだ。こい」
エドガーはさっさと歩き出し、わたしとクレアは慌ててその後を追う。
運動場の奥のほうに、いくつもの大きな魔法陣が床に描かれていた。
その魔法陣の上には、球体を半分に割って被せたかのような半透明のドームができている。
何だろう、これ。
わたしがまじまじとそれを見つめていると、エドガーが言った。
「初心者向けの練習場だ。中に入ってみろ」
「この中?」
わたしは恐る恐るドームの中、魔法陣の上に進んだ。
すると、魔法陣がキラキラと輝く。そして、目の前に突然現れた人影。
驚いて一歩下がり、その人影を見つめる。それは、『グレイ』の姿だった。
「何これ」
そう呟く。
しかし、影はピクリとも動かない。まるで人形のように、そこに立っている。
「練習相手は、基本的に自分の分身だ」
エドガーは近くにあった別のドームに入る。すると、そこにはエドガーそっくりの分身が出現した。
「ここの魔法陣の中は剣術のために動き回れるようにできている。まず、自分が扱いたい武器を想像しろ」
そう言った瞬間、エドガーの右手には長剣が握られていた。「俺はこのくらいの長さ、重さがちょうどいいが、お前はもう少し細身の剣でいい」
「想像?」
わたしは戸惑いつつ、エドガーの長剣を見つめた。このくらいの剣、かな。
と、考えた瞬間に、自分の右手にはずしりとした感触。
見れば、エドガーと似たような剣がそこに出現していた。柄は固く、刃は輝いているものの、透き通っていた。
「重すぎるだろ」
エドガーは手にした剣を軽く振った。風を切る音も聞こえる。まるで、本物のよう。
わたしもエドガーを真似して剣を振ろうとしたけれど、慣れないせいもあって確かに重すぎる。
もう少し、細身の剣。
そう思いながら見つめると、『剣』が僅かに形を変えた。そして、少し軽くなる。
「まず、基本的な素振りを教える」
エドガーはわたしの剣が変わったのを確認すると、事務的な声で説明を始めた。
剣の構えかた、振り下ろしかた。腕や身体のどこの筋力を使うか。
「今日は初日だから、体力をつけるだけでいい。基本的な動きで、分身と剣を合わせろ」
エドガーはやがて視線を分身に移した。
それまで、わたしやエドガーの分身はずっと立ち尽くしたままだった。
「獲物は同じ剣でいいだろう」
彼が言うと、エドガーの分身の手にも剣が現れた。そして、エドガーは分身に向かって剣を振り下ろした。
金属音。
剣が分身のもので受け止められている。エドガーが剣を引くと、次は分身が同じ動きで攻撃してきた。
それを慣れた動きで受け止めるエドガー。
「こいつの動きは、お前の一番いい動きを模倣する。自分が疲れてくれば負けるから、そこで休憩しろ」
負ける――。
わたしは眉を顰めてエドガーを見やる。すると、わたしの疑問に気づいたのか、彼は続けた。
「その剣は偽物だから怪我はしない。やってみるといい」
なるほど。 わたしは促されるまま、自分の――見た目はグレイだけど――姿に向かって剣を振った。
面白い!
最初は慣れていないせいもあり、凄くみっともない動きだった。相手が分身であるせいか、それがよく解る。
しかし慣れてくると、腰に力が入ってきたせいか、我ながらいい動きが取れるようになった。
まあ、あくまでも初心者の動きとしては、だけど。
やがて、エドガーはわたしに言った。
「じゃあ、質問があったら夜に食堂で俺を掴まえろ。俺はこう見えても忙しい」
エドガーは一度も笑わなかった。ただ、局長代理の命令でわたしに付き合っただけなのだろう。
わたしは彼にお礼を言って頭を下げる。
エドガーはそんなわたしを一瞥すると、運動場から出ていった。
「お嬢さま。お腹、空きませんか?」
クレアは近くの床に座り込んで退屈そうにしていたけれど、やがてため息混じりに声をかけてくる。
「食堂いこうか」
わたしはドームを出た。そして、クレアの手を取って立ち上がるのを助ける。
クレアの表情が複雑そうに歪んだ。
「まるで、本当に男の子みたいです」
わたしはつい吹き出した。




