疑惑
図書室に入って、わたしはこっそりと本棚の陰に隠れた。
サイモンがいつも――エイス君と一緒に勉強している時もそうだった――座っている定位置、窓際の机。そこに、サイモンとエアリアルが向かい合って座っていた。
窓から差し込む陽光。傾きかけた陽の光は、僅かにオレンジ色になりつつある。その光に透けて輝くエアリアルの髪の毛は、とても綺麗。
彼女のほうに視線を投げているのは、どうやらわたしだけではないみたいだ。男子生徒たちが彼女の美貌に目を奪われ、そして向かい側に座っているサイモンに気づいて少しだけ落胆したような表情になる。解りやすい変化だ。
その時、近くを通りかかった生徒の足音に驚いたせいで、わたしの心臓が嫌な音を立てた。
ただぼうっと立っていれば、変に思われる。わたしはそこで、本棚から一冊の本を手に取り、読むふりをしながら彼らをもう一度見つめた。
二人の横顔は、とても真剣だった。
サイモンはずっと口を閉じていて、エアリアルが何だか熱心に語っている感じだ。
そしてふと、サイモンが笑った。優しく、それでいてどこかからかうように。
エアリアルは一瞬固まってから、むっとしたように唇を尖らせる。サイモンが何か言い、それを聞いて文句か何か言ったのだろう。サイモンはさらに楽しげに笑い、一言二言、彼女に言って。
急に、エアリアルがガツガツ、と鈍い音を立てながら机に自分の頭を打ち付けているのが見えた。
サイモンが慌てたようにそれを押しとどめつつ、さすがに笑みを消して辺りを見回した。そして彼らに視線が集まっていることに気づき、気まずそうに頭を掻く。
わたしはそんな彼らの様子を確認してから、彼らに見つからないように本棚に寄りかかるようにして息を殺す。
何だろう、この感じ。
別に、エイス君が亡くなってそれほど時間が経っていないからといって、サイモンに怒りをぶつけるのは間違ってると解ってる。
サイモンとエイス君は友人同士だった。とても仲が良かった。
だから、悲しみ続ければいい、笑うなんて不謹慎、女の子と仲良く笑い合うのが間違っている、なんて……思いたくない。考えちゃいけないこと。
でも。
やっぱり、納得できない。
こんなわたしは……おかしいんだろう。
二人が図書室から出ていくのが見えた。でも、わたしはその場から動くことができなかった。
エアリアル・オーガスティンがもし、本当にエイス君の婚約者だとしたら。
エイス君が亡くなって、その後、あの二人が接触しているのは奇妙だ。しかも、転学初日だというのに、あんなに仲良さそうにしてるなんて。
まるで、初対面じゃないみたいに。
初対面、じゃ。
わたしはそこで息を呑んだ。
初対面じゃない、んだ。
きっとそうだ。
あの二人は、前にも会ったことがある。だから仲がいい。
じゃあ、いつ会った? いつ仲良くなったの?
エイス君とは? 彼には秘密で会っていた?
エイス君はどうして死んだの?
事故死。
それは本当なの?
黒い疑惑。考えたくもないこと。突拍子もない考えが頭の中に生まれてしまう。
まさか、そんなことはないよね。ないでしょう?
あり得ないこと、絶対に。
でも。
エイス君が亡くなったっていうのに、笑い合っている二人。そんなこと。まさか。
――明日の放課後、お話しできる?
エアリアルの言葉。
そうね、確かめなきゃいけない。絶対に、確かめなきゃ。
次の日の放課後、わたしは教室で椅子に座ったまま、エアリアルのほうを見つめていた。
エアリアルはそわそわした様子で、慌ただしく教科書をカバンに詰め込むと、一直線にわたしのところへ駆け寄ってきた。緊張した面持ちで何か言いかけ、わたしが椅子に座ったまま彼女を見上げていると。
「エアリアール!」
と、昨日と同じくレイチェルという少女が乱暴に教室の扉を開けた。その大声に驚いた生徒たちが扉のほうに目をやり、すぐに「またか」と言いたげに目をそらす。
その途端、エアリアルはわたしの腕を掴んで立たせ、昨日サイモンの背中に隠れたようにわたしの背後に回って言った。
「だからね、わたしは忙しいんだって言ってるでしょ!?」
「あら、全く聞こえないわねえ」
二人の間で見えない火花が散っているように思える。
若干、レイチェルのほうが強気だ。わたしの背後にいるエアリアルは、どうも彼女が苦手のよう。わたしの制服を掴んでいるらしいエアリアルの手に、力がこもったのが解る。
「だーかーらー、昨日は見逃してあげたじゃない? 今日はだーめ!」
レイチェルがそこで意味深に笑い、近くに歩み寄ってくる。そして、逃げようとしているエアリアルの耳元で囁いたのが聞こえた。
「昨日は『彼』がいたから見逃してあげたの。でも、今日は違うでしょ?」
――彼。
わたしの心が冷える。
つまり、サイモンのこと。
わたしがそっとサイモンのほうへ目をやると、彼はエアリアルたちの様子を見て眉を顰め、呆れたような表情で廊下のほうへと歩いていってしまった。
きっと、図書室だ。
彼はいつもそう。クラスで……いえ、学年で一番の成績を守るために、放課後はほぼ図書室にこもり切りなのだから。
「あの、忙しいならわたしも……」
と、わたしがエアリアルを振り向くと、彼女は少しだけ泣きそうな顔でわたしを見つめていた。「帰る、帰ります、が」
そう続けた瞬間、エアリアルがきゅ、と唇を引き結んでわたしの腕をつかむ。その力強さに戸惑いつつ、それでも彼女の手を振り払う。
「じゃ、じゃあ、一緒にいこう?」
エアリアルは何故か廊下に向かって歩き出そうとしたわたしの前に立ちはだかり、挑むかのようにそう言った。
「どこへですか」
できるだけ素っ気なく響くよう発音したけれど、エアリアルの表情には変化は見られない。
「えと、演劇部に」
――何故、こうなったの?
わたしはぼんやりと辺りを見回していた。
演劇部。
何だか豪華さを感じる部室。綺麗なソファ、テーブル。雑多なものが色々並んだ教室。
部屋の隅に置かれたテーブルセットは、一見して高価だと思われるものだ。そのわりに、演劇部の顧問と思われる先生の机は機能的な造りで、質素にも見える。先生はどうやらあまりわたしたち――部員に興味を持たないのか、机に座って何か書き物をしていた。その周りで、部員たちは好き勝手にしているというか。
部活なんてやる人間は、普通科の生徒だけだと思っていたけれど、そういうわけではないようだった。同じクラスの女生徒の姿も見られたし、魔法科で違うクラスの子もいる。ただ、全員が女生徒たちで男子生徒はいない。
まあ、それは当たり前なのかもしれない。
男子生徒が興味を持つような部活だとは思えないから。
その教室にいた生徒たちは、ほとんどがおしとやかな女の子たちばかりだと思う。穏やかに談笑し、何故かお茶を飲んだりお菓子を食べたり。ここ、学園よね? と不思議に思う。
演劇部という名前のわりに、演劇らしい活動はしていないんじゃないだろうか。
そうは思っても、演劇部らしい活動がどういったものかは予想がつかないけれども。
「……邪魔されたわよね……」
わたしの隣に座ったエアリアルは、まさに不機嫌そのものといった感じで足を組んで座っていた。その様子は、とてもおしとやかとは思えない。まるで、男の子のようだ。
ソファに背筋を伸ばしてふんぞり返り、向かい側に座ったレイチェルを睨んでさらに言う。
「わたしを演劇部に引き込んで、何をしようって言うの?」
「あらあ、そんなの解り切ってることじゃない?」
「何よ」
「次の学園祭の準備よ。あなたにも舞台に立ってもらおうと思って」
「はあ?」
エアリアルはそこで腕を組んだ。「魔法科の人間がそんな時間があるとでも思うの?」
「あら、ありますよ」
と、そこに会話に加わったのは、同じクラスの……名前は何だったろう。金髪巻き毛の可愛い子だ。
「結構、この部活は暇ですから。勉強する時間はいくらでも。ね、レイチェルさま?」
その子はにこりと微笑むと、テーブルの上に持ってきたトレイの上からお茶の入ったカップを置いて立ち去っていった。その立ち振る舞いは、何だかいつもの教室で見かける彼女とは少し違って、とても優雅に思えた。そう言えば、口調だってクラスではもっと砕けていたような……。
「レイチェルさま、ね。女の子にモテるって言ってたっけ、レイチェル?」
エアリアルが呆れたように小さく言うと、レイチェルはくすくすと笑ってカップを手に取った。「あなたにもその素質があるわよ。楽しみだわ、あなたの男装姿」
「男装って!」
エアリアルが急に大声を上げた。
そして、すぐに声をひそめて続けた。
「もう、そういうの、嫌だから」
「何を今さら」
「だって、やっと普通に」
「ほら、あなたの髪の毛も短いし、ちょうどいいじゃない?」
「話を聞けよ。じゃなくて、聞いて」
何だかよく解らない。
何でわたし、ここに連れてこられたんだろう。
エアリアルはわたしに何か話があると言った。おそらく、エイス君のことじゃないかと予想はついている。そのくらいしか接点はないはずだもの。
でも、エイス君の何について話すの?
エイス君が生きていれば。
もし彼が生きていれば、きっと牽制なんだろうと思っただろう。エアリアルの婚約者であるエイス・ライオット。彼と仲良く――というか、それなりに親しく接していた女生徒は、あまりいなかったみたいだ。そう、エイス君の言葉が本当であれば、だけど。
もしそれが本当ならば、彼に近寄る唯一の女の子。それがわたしだってこと。
だから。
『彼に近づかないで』
とか言われる可能性は高いはずだ。
でも、もう彼はいない。彼は亡くなった。
そうなった今、彼女がわたしに接触を図る理由は何?
口封じ。
そうじゃないの?
「わたし」
急に、わたしはエアリアルを見ないまま囁いた。自分でも制御できない感情に操られたような気がする。
「え?」
エアリアルがわたしを見た。
「わたし、疑ってるんです」
わたしはそんな彼女を睨むかのように見つめた。
「疑ってる? えと」
彼女の整った眉が寄せられ、不安げにわたしの手を取った。握りしめてきた彼女の手、指先は酷く繊細な形をしている。そんなことを考えながら、わたしはさらに声を低くして続けた。
「エイス君は事故で死んだんじゃない。殺されたんじゃないですか?」




