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魔法使いは鏡の中で笑う  作者: こま猫
番外編2 笑いかたを忘れた男

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暗くてよかった

「廃人……それは」

 キースが躊躇いがちに続けた。「司法局のやりかたで……」

「違う」

 すぐにシドが否定した。「司法局より先に、メルヴィル家が動いたんだ。身内から犯罪者を出さないために」

「狂人を作った?」

 わたしはため息をつき、腕を組んだ。「そうすれば司法局が迂闊に手出しできないから?」


 ありえない話ではない。

 病人、狂人、そういった人間が犯した犯罪については、かなりデリケートな問題となる。司法局が無理に犯罪者を逮捕するわけにはいかない。特に、相手がメルヴィル家のような名家となれば。

 それでも。

 自分の子供を廃人に改造することに躊躇しなかったのだろうか。

 神殿に差し出すことに。

 いくら犯罪者でも。


 思い出す、あの赤。


 父さんの死体。

 地面に広がった血は、禍々しいくらいに赤黒く見えた。

 わたしの喉から上がった悲鳴。

 とまらない悲鳴。


 犯人を絶対に許さないと思った。

 ああそうだ、わたしは心が痛まない。

 たとえトロイ・メルヴィルがどんな目に遭っていようとも。

 たとえ廃人になり、二度とまともな生活ができなくても。

 本当なら、死ぬほどつらい目に遭うべきだと考えている。もっと、一生苦しんでいけばいいとさえ思う。


 正義なんて言葉で言い繕うことすら醜い。

 わたしが魔法取締捜査官になろうとしたのは、憎悪があったからだ。父さんを殺した人間に対する殺意があったからだ。

 もしも自分の手で犯人を追い詰めることができたなら。

 もし、この手で犯人を確保するような場面に立ち会うことになったなら。


 逮捕で済ませられただろうか。

 殺さずにいられただろうか。

 父さんが死んで、その直後、わたしの家は滅茶苦茶になった。母さんの精神状態も危うくて、自殺でもしそうな勢いだった。あんなに明るくて、何事にも前向きな考えかたをする母さんであったのに。

 トニーだってそうだ。随分荒れた。賞金稼ぎなんてことを始めた頃だって、精神的に不安定だった。何度も言い争いをした。

「しっかりしてよ」

「こんなんじゃ、父さんだって悲しむよ」


 ――嘘つき。

 そんなの、ただの口先だけの綺麗ごと。


 父さんの口癖。

 正しいことをしていれば。真面目にやっていれば。

 子供の頃は、それを信じていた。真面目に生きていくことが、正しいことだけしていくことが、人間においての道しるべになるのだと。

 でも、大人になってそんなもの、何の力も持たないものだと知った。

 司法局が持っている権力だって、神殿に比べたらゴミのようなものだって。


 明るいところだけ歩きたかった。

 正しいことだけして生きていきたかった。

 父さんが言っていた通り、正しく生きていけばいつかは誰かが正しく評価してくれる。それだけを信じて生きていきたかった。


 でも、司法局に入って知ったこと。

 必要悪。

 そういうことだ。


 正しいことだけしていたら、善人になれるだろうか。誰かを助けることができるだろうか。

 違う。力が及ばないことがある。どうやっても解決できないことがある。

 この世界で上手く生きていくためには、暗い道を歩くことだって必要だ。


 わたしたちが新しい家を得て、父さんの死から立ち直った頃。

 母さんがやっと笑って生活できるようになって、わたしとトニーがそれぞれ昔と同じように喧嘩しながらでも仲良く会話できるようになっても。

 それでも、父さんが生きていた頃とは何かが違ってしまっていた。


 あの頃に戻れたら。

 父さんが生きていた、あの頃に。


「マチルダ」

 シドが軽く指先でテーブルを叩く。その音に我に返り、わたしは顔を上げた。

 ――何?

 そう返そうとしたけれど、唇が上手く動いてくれなかった。

「君たちが複雑な立場にあることは解る」

 シドの視線がキースに向けられた。「君たちの身内が犠牲になった。だから、犯人を逮捕して罪を贖わせるのが君たちの救いになるかもしれない、とも思う。だが、もう我々の手の届かないところにこの件は逃げてしまった」

「どうにもならないと?」

 キースの声はただ低い。感情の動きなどは感じられない。

 そして、トニーの表情がだんだん剣呑なものに変化していくのも視界の隅に見えた。なんだかんだ言っても、トニーは正義感の強い人間だ。多少、問題はあるけれど、それでも。


「どうにもならないとは断言はしない」

 シドの声はとても冷静だ。「ただ、今の司法局の力ではどうでもならないのは事実だ」

「今の?」

 そして、キースの声も冷静――というか、平坦だ。

「キース・レイトン。君は中央で仕事をしていた。それで、どう感じた? あれが正しい姿だと思ったか? 中央のやりかたは」

「いえ」

 そこでキースの声に困惑が現れた。「ただ、今までの中央は局長が……」

「これからは変わるかもしれない」

「変わる?」

「中央局長は亡くなった。何らかの変化があるのは間違いない。間違いないというか……おそらく、うちのハゲが何か変えるだろう」

「ハ」

「北部は我々が変えよう」


「え」

 わたしは思わず声を上げた。

 シドがそこでわたしを見つめた。真剣な、でも少しだけ困ったような瞳。

「神殿で私が『あれ』を見た後、神殿で多少の記憶操作を受けた。それと、口封じのような術。そのせいで、私はあの件について、随分後になるまで思い出しもしなかったし、誰にも言えなかった。ただ、何故か記憶がなくても嫌悪感が残った。魔法の勉強などどうでもよくなって、ただ逃げ出したくて仕方なくなった。神殿の人間は……寄付金さえもらえるなら何でもやるんだということが本能で解ったからだと思う。そう、彼らは何でもやる。それが『間違っていないこと』ならば」

「間違っていない? 殺人犯を司法局から匿うようなことが?」

 トニーが最初に口を開く。

「少し違う」

 そしてシドはすぐに否定した。「殺人犯を無力化した。もう二度と殺人を犯せないようにしたんだ。記憶操作の術とかではない、脳の一部を破壊した。そして脳の修復は誰にもできない。例え神殿の人間でも、絶対にできない治療なんだ。だからもう、トロイ・メルヴィルは何もできない。何の感情も覚えない」

「そうね」

 わたしも彼らの会話に参加する。「そしてきっと、神殿の連中はそれを正しいことだと思ってる。そうでしょ?」

「そうだ」

 シドは苦々しげに頷き、テーブルに頬杖をついて呆れたように唇を歪めた。「そして私は、それを受け止めることができないでいる」


 誰も口を開かなかった。

 トニーだけが皮肉気に鼻で笑ってシドを見つめ直しただけだ。

 シドはそんなトニーを横目で見やり、小さく呟くように言う。

「何もできない司法局を軽蔑してもいいだろう。それだけの権利が君にはある。そしてマチルダ、君にも」

 彼の視線がわたしにも向いた。


「……わたしだって司法局の捜査官だし?」

 わたしは肩をすくめた。


 司法局で働くことで幾度もぶつかってきた壁。どうやっても逮捕できない相手もいた。そう、トロイ・メルヴィルのような人間、他にもたくさん。

 でも、わたしが助けた人間だっていた。

 偽善と言われてもいい。

 わたしがやれることなんていったら、本当に限られたことくらいしかない。その限られたことだけでいい気になっている自分は、間違いなく偽善者だ。


 ――お姉さまと呼んでもいいでしょうか。


 最初、ぎこちなくそう言ったエリザベスを思い出す。

 鼠として育てられた少女。仲間の死体を見続けて、笑うことすら忘れた少女。

 保護された直後の、何の感情も映さない瞳。それが、昔の自分によく似ていたような気がした。鏡の中を見た時に見つめ返してきた、自分の双眸。

 おそらくエリザベスだって最初は、頼りになれるかもしれない人間を見つけた、と思ったんだろう。司法局の中で、利用できる人間を見つけたと。

 エリザベスはわたしなんかよりずっと、頭がよかった。生きるための術を知っていた。

 そしてわたしは、そんな彼女を利用した。


 彼女を助けることで、彼女の力になることで、彼女が司法局の中で暮らしていけるように便宜を図ることで。


 わたしは、昔の自分を救った気分になった。つらかった記憶を消せると思った。

 ただ、自分が気持ちよくなることを求めたんだ。


「わたしは誰かを軽蔑できるほど、立派な人間じゃない」

 わたしはやがて椅子から立ち上がって言った。「自分の限界だってよく知ってるわよ。身の程をわきまえてるって言ってもいいわね」

「ねーちゃん、そろそろ仕事やめたら?」

 急にトニーが声を上げた。しかも、何の脈絡も感じられない台詞。

「はぁ?」

「かーちゃんも言ってる。危険な仕事なんだろ? 心配してんだよ」

「それはお互いさま」

 わたしはテーブルに手をついて身を乗り出し、トニーの鼻をつまみ上げながら笑う。「あんたこそ、やめなさいよ、その仕事」

「ねーひゃん、はなひて」

 ぷるぷると頭を振ってわたしの手から逃げたトニーも、椅子から立ち上がって厨房のほうへと歩き出してしまう。

「トニー」

「ま、難しいよな。やっぱり色々問題あるけど、この仕事が好きなんでなー。……ねーちゃんもそうなんだろ?」

「んー」

 わたしはトニーの背中を見つめながら、少しだけ首を傾げた。

 そして笑う。

「そうね、きっと」


「お邪魔しました。すみません、急に」

 キースがそう言いながら頭を下げ、玄関から外へと出ていく。

 それを見送っていると、彼がふと何か思い出したようにこちらを振り返った。

「マチルダ捜査官。また後でお話しできますか?」

「別にいつだっていいわよ」

 わたしは肩をすくめながら応える。すると、彼はまた頭を下げてから姿を消した。

 まあ、どうせ話っていうのはメルヴィル家のことなんだろうけど。何となく彼は、まだあきらめてないような気がする。トロイ・メルヴィルの逮捕。絶対に無理だとわたしは思うけど……でも、まだわたしだって、少しくらいは。

 そういえば、結局彼は一度も笑っていない。もしかしたら、事件のことがトラウマで、笑えないのかもしれない。

 笑えばもう少し、近寄りがたい雰囲気もなくなると思うのだけれど。


「マチルダ」

 玄関先、暗い場所。

 そこにシドの声が小さく響く。

 彼はわたしの横に立ったまま、なかなか歩き出そうとしなかった。

 そっと見上げると、シドの整った横顔がかすかな明かりに灯されているのが見えた。

 店の看板の横につけられた明かり。そろそろ消さなきゃ、なんてことを考えながらわたしは「何?」と訊いた。

「キース・レイトンだが」

「もー、心配性ねえ。あんまり考えすぎるとハゲるのが早くなるわよ!」

「それはどうでもいい」

 む、と横一文字に引き結ばれた唇。

 気難しそうな表情。

「心配しないでも、彼が暴走しそうだったらとめるわよ。相手がメルヴィル家なら、余計なことをしたらこっちが危ないわけだし? これ以上、不祥事なんてことは避けたいものね」

「いや、それはどうでもいい」

「いいの?」

「いや、よくないが」

「どっちよ」

「いや、ちょっと待てマチルダ」

「何が」

「真面目に話をしようとしてるのに、変な合いの手を入れないでくれ」

「あらごめんなさい」

 わたしはそこでとうとう小さく吹き出した。

 シドは本当に真面目な人だ。笑い出したわたしを軽く睨みつける彼の表情も、何となく愛嬌すら感じてしまう。


 本当、真面目なのよねえ。


 わたしとは、全然違う。

 そう、わたしとは。


 奇妙なことだけど、胸が僅かに痛んだ。


 わたしは多分、いえ、多分じゃなく確実に彼のことが好きだ。

 気難しい彼が、時折見せる微笑。それが可愛く思えてしまうのも、重症である証拠だろう。

 でも。

 真面目で、優秀なシド。司法局のエリート。しかも、どうやら真剣に司法局の将来のことまで考えているみたいで。

 そんな彼とわたしとじゃ、やっぱり似つかわしくないと思う。わたしなんか、目立った成績を上げてるわけじゃない。頑張ってはいるけれど、何をやってもそれなりのわたし。とても優秀な捜査官とは言えない。


 中央からやってきた彼女、彼女の名前は何て言ったっけ?

 中央で働いていた女性なら、やっぱりわたしなんかよりはずっと立派な経歴の持ち主なんだろう。

 よくよく考えてみれば、彼女のほうがシドにはお似合いなのかも。


 そう、過去に犯罪に巻き込まれて、色々と問題ありのわたしなんかよりは。


 でも……ちょっと、つらい、わよねえ。


「その、マチルダ」

 何だかシドが妙に歯切れが悪い。

 わたしが腕を組んでその場に立ったまま、彼を見上げていると、彼は慌てたように口を開く。

「その、すまない。以前の……その、食事会で」

「え、あ」

 わたしは急に例の言葉を思い出して顔が熱くなった。ああ、この場所が暗くてよかった!

「あの、酔っ払いの言葉? 何よ、エドガー辺りがばらしたの?」

「いや、その、うちのハゲが」

「局長が? 全くもう!」

 わたしはそこで彼の肩をばしばしと叩きながら大きな声で笑った。「あまり気にしなくていいわよ! あなたはどうせ覚えてないんでしょ? 酔っ払うと人間、何をしでかすか解らないものねえ。あなたもお酒には気を付けないと駄目よ」

「いや、その」

「何よ」

「いや」

 そこでシドは僅かに肩を落とした。「何でもない。すまない、その、また明日」

 彼はそう言い残すと、道路のほうへと歩き出した。何だか疲れてるような歩きかたなのが気になるけど。

 彼の姿が見えなくなってから玄関のドアを開けて中に入ろうとして。


「あ」

「あんた、ここで何してんの」

 どうやら、玄関先の扉を隔てたところで、わたしたちの話を盗み聞きしようとしていたのか、トニーがそこに座り込んでいた。

 トニーは座り込んだままわたしを見上げ、何とも情けないような表情で呟く。

「結婚は遠そうだなあ」


 わたしは無言でトニーの胸元に蹴りを入れた。


番外編2 了

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