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魔法使いは鏡の中で笑う  作者: こま猫
番外編2 笑いかたを忘れた男

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もみ消された事件

 ――何事も、真摯に、真面目であること。そうすれば、いつかはきちんとした評価が与えられる。


 それは、父さんの口癖だった。

 幼い頃からその言葉を聞いていたせいか、わたしはいつしか曲がったことが嫌いな人間になっていたと思う。

 四角四面。

 悪く言えばそうなんだろう。

 ただ、真面目な父さんの背中を見ているのは好きだったし、そんな父さんが自慢だった。


 父さんは菓子職人だった。

 母さんは料理好きな一般的な女性。

 わたしが物心ついた時には、両親は小さな店を持っていた。

 母さんは基本的にパンや惣菜を作る。父さんは繊細なお菓子を作る。豪快な母、神経質な父。それで上手くやれていた。

 家庭的な味の母さんの惣菜は、安くて美味しいと近所の人たちに好評だったと思う。シンプルなパンも惣菜に合う。

 でも、父さんの作るものはとにかく味も美味しかったけれど、見た目も凄く手の込んだものが多かった。だから、誰かの記念日のお菓子だったりすることが多かった。

 そうしているうちに父さんの作るお菓子がそれなりに人に知られ、下町の小さな店であったにもかかわらず、裕福な人間たちも足を運ぶ店になっていた。


「真面目にやってるとな、こういうこともあるんだよ」

 父さんはそう言って自慢げに笑っていた。

 それは、ある屋敷の人間から声がかかった時のこと。

 その屋敷の菓子職人として、正式に雇いたい、と言われた時。


 それがメルヴィル家。

 わたしはその時、メルヴィル家についてはほとんど知らなかった。ただ、父さんに一度屋敷の前まで連れていかれて、その豪邸に驚いてはしゃいだことだけは覚えている。

 どうやらその屋敷では、かなり頻繁にたくさんの人間を呼んで夜会を開いているようだった。父さん以外にも雇われている人間がいて、かなり腕のいい料理人だったりするらしいと聞いた。

 そういった人間たちを、かなりの給料で雇い入れ、たくさんの料理やお菓子を作らせていたわけだ。


 我が家はそれほど裕福というわけではなかったけれど、メルヴィル家に父が勤める様になってからは、どんどんお金が入ってきたようだった。

 でも、そういったお金は、さらにいい材料を仕入れるために使われていたようだったし、父さんの作るお菓子の質もどんどん上がっていった。


 そして、いつしか父さんの様子が変わり始めた。

 なかなか家に帰ってこれなくなった。メルヴィル家にほとんど住み込みのようになってしまっていて、時折帰ってくる時の父さんは、どこか顔色が悪かった。会うたびに痩せていき、どこか病気ではないのか、と母さんがしつこく訊いていた。

「病気じゃない、病気じゃないんだ」

 父さんはそう呟くように繰り返し、そして何か言いたいことがありそうな表情をするくせに、それきり口をつぐんでしまった。

 その頃、母さんは店をほとんど一人で切り盛りしていたから、とにかく忙しかった。だから、父さんの様子がおかしいと気づいたのが遅かったのだと思う。気づいた時には父さんの目つきは少しおかしくて、わたしも……そして弟のトニーもただ不安に駆られていた。

 トニーはまだ物心ついてすぐ、といった時だった。まあ、わたしも似たようなものだ。

 でも、わたしはトニーよりは危機感というものがあった。父さんの様子を見て怖かったし、メルヴィル家に行かずに家にいて欲しかった。


「仕事、やめられないの?」

 わたしは父さんにそう訊いたことがある。

 すると、父さんは力なく首を縦に振った。

「……おそらく、無理だろう。それとも……逃げ出したら……」

 と、父さんが虚ろな目をしているのを見上げながら、わたしとトニーが父さんの服を掴んで必死にねだった。

「帰ってきてよ」

「寂しいよ」


 父さんはわたしたちを苦しげに見つめ、ただ椅子に座って頭を抱え込んだ。それがあまりにもつらそうで。


「いいか、皆で逃げるんだ」

 ある夜、わたしたちは父さんに無理やり起こされてそう言われた。

 部屋の中は暗く、気づけば母さんも近くでわたしを見下ろしていた。

 わたしとトニーは同じ部屋で眠っていた。いつもと同じ部屋なのに、どこか緊迫感があってわたしは無性に怖かった。

 二人に促されるままにベッドから抜け出し、着替えもそこそこにして家を出る準備をする。トニーは寝ぼけていて、寝巻のままただ母さんに抱え込まれていた。

「あなたはどうするの」

 母さんが暗闇の中で父さんに訊くと、父さんは苦しげに息を吐いた。

「父さんは駄目だ。目印がつけられてしまった。一緒にはいけない」

「目印って?」

 そこで、僅かな明かりが部屋に広がる。

 窓の外には漏れないようにと布で覆っていたランプを少しだけ出して、父さんがその腕を見せてくれた。

 その腕に浮かび上がった痣は、キツネのような形で。

「狩りなんだよ」

 父さんは泣きそうな笑顔を作り、わたしたちの頭を撫でた。「大丈夫、逃げ切ってみせるから。ただ、一緒にいけばお前たちも巻き添えになる」

「何なの。一体、何がどうなってるの」

 母さんは慌てたように、そしてだんだん切羽詰まったような声を上げる。「ダメよ、一緒にいかなきゃ! 家族なんだから!」

「家族を守りたいんだよ。だから、お前たちにはお願いがある」

「嫌よ、ダメ」

「司法局にいくんだ。そして、助けを呼んで欲しい」

「助けを?」

「そうだ。急がなきゃ駄目だ。急いで助けを呼んで、司法局の人間をメルヴィル家に連れてきて欲しい」


 その後のことは、何もかもが混乱の中だ。


 わたしたちは家を出た。

 母さんが必死に誰かと話をしているのを、わたしはただ震えながら見ていた。

 トニーはわたしの怯えが伝わったのか、目が覚めても一言もしゃべらず、ただ周りの人間から何を訊かれても身動き一つしなかった。


 母さんが「あなたたちは残りなさい」と言った。

 おそらく、司法局の建物の中に。その時のわたしたちは全く解っていなかったけれど、母さんは父さんに言われた通り、司法局に助けを求めたのだと思う。

 でも、見知らぬ場所で放置されることも、母さんと離れるのも嫌で、必死に母さんすがりついた。トニーも同じだった。


 そして、それからどのくらい時間が過ぎたのか解らない。

 ただ、母さんが悲鳴を上げている背中が目の前にあって。

 どこかの路地裏で、父さんが倒れていて。


 地面に染み込んだ血は、ただ黒い。

 見開かれたままの目は、何の感情も浮かんでいなかった。痩せた頬が際立っていて、とても父さんとは思えなかった。もっと、ふっくらしていたのに。気づけば、こんなに痩せて。


 その背中に空いた、無数の小さな穴。

 血だらけの腕。

 そこに、あの痣はなかった。


 確かに、なかった。


「ただいま」

 わたしは家の裏口から中へと入った。家の中は明るい。

 わたしの声が聞こえたのか、すぐに母さんが調理場から姿を見せて、にこにこと笑いながら話しかけてくる。

「今夜は遅くなるんじゃなかったの? ご飯は?」

「わたしは食べないけど……」

 と言いつつ、わたしは急いで表のドアの鍵を開ける。途端、トニーが両腕を上げて入ってきて、母さんに抱き付いた。

「このバカがお腹すいてるみたい」

 と、母さんに呟くと、母さんが豪快に笑いだしてトニーを抱きしめつつもその背中をバンバンと叩く。

「あらあら、お帰り! 全く、汗臭いったらありゃしないわよ!」

 そう大声で言いつつ、ふと動きを止める。


 シドとキースが、トニーの背後で困ったように立ち尽くしているのが見えたんだろう。

「……あら?」

 そう困惑した声を上げた母さんは、素早くわたしに視線を投げて、その唇だけを動かした。


 ――どっちが恋人?


 トニーといい母さんといい、似たもの親子め!

 わたしは自分の額に手をやってため息をこぼした。


 わたしたちは店舗である一階の食事をするスペースへと入った。

 遅い時間だったからすっかり店の中は片付いていて、パンや惣菜をこの場で食べていく人たちのためのテーブルには、椅子が逆さまになって乗せられていた。床の掃除をしたと思われる場所。

 わたしはその中の一つのテーブルに歩み寄ると、母さんと一緒に椅子を下ろして来客に勧めた。もちろん、腹を空かせているトニーにも。

「すみません」

 キースが申し訳なさそうに頭を下げ、シドも母さんにぎこちなく挨拶をする。二人ともどこか緊張しているようだった。

 母さんは厨房に入ってわたしたちに飲み物を持ってきてくれた。

 それぞれ椅子に腰を下ろしてしばらく無言でいると、厨房からいい匂いが漂ってくる。それに、母さんの鼻歌も。


「……で、何から説明してくれる?」

 わたしがキースに向かってそう口火を切ると、彼はシドに視線を投げてこう訊いた。

「メルヴィル家について、何をご存知ですか?」

 シドの表情は全く動かなかった。

 トニーのほうが感情表現が単純で、飲み物の入ったグラスを手に固まり、眉間に皺を寄せてキースとシドの顔を交互に見つめていた。その目はいつもとは違って、『賞金稼ぎ』としての表情なんだと思う。滅多にわたしや母さんの前では見せない緊迫した表情。

「一通りのことは知っている」

 シドはやがてため息交じりに言った。「そしておそらく、これから捜査しても我々は何もできないだろうということも理解している」

「何故?」

 わたしは鋭く訊いた。すると、シドはわたしを見つめ、唇を噛んで何か考え込んでいるようだった。そんなシドの様子を確認してから、キースは微かに頷いた。

「……メルヴィル家は名家ですから、体裁を重んじます。だから……そうだろうと思っていました。あの事件をうやむやにするために、色々手を回したのだろうと」

「司法局から事件に関する資料が消えたのも?」

 わたしは腕を組んで見せた。

 わたしが魔法取締捜査官になってすぐ、何とか資料が見たくて中央に足を運んだことがある。でも、メルヴィル家に関する資料はどこにも見つからなかった。


 メルヴィル家の周りで起き続けた失踪事件、事故死、殺人事件。

 絶対、メルヴィル家の誰かが関わっている。

 でも、何も解らなかった。犯人も捕まらなかった。


 犯人が捕まらなかったからこそ、わたしたち一家の身の安全が確保できたとは考えられず、司法局から勧められるままに我々は苗字を捨てたのだ。父方の苗字を捨て、母方の苗字へと変えた。住まいも変え、メルヴィル家とは何の接点も持てないであろう遠方へと逃げた。

 事件の後、司法局からは何も情報がもらえなかった。

 何故、父は死んだのか。

 誰に殺されたのか。

 一体、メルヴィル家で何が起こっていたのか。


「残念だが、金の力は強いということなんだろう」

 シドはやがて苦々しげに口を開く。「メルヴィル家からの圧力があったことは間違いない。そしておそらく、中央の捜査官……上の連中は犯人の名前も知っているだろう。もみ消されたのだろうが、きっと」

「そうでしょうね」

 キースも無表情のまま頷いた。

「あら、こんなところでもお仕事の話?」

 そこに母さんが戻ってきて、トレイに乗せた皿をテーブルの上に並べていく。シドとキースはそこで口を閉ざしてしまい、わたしはわたしで母さんに説明をすべきか悩んだ。

「うまそー」

 お気楽なトニーの声が響いたけれど、少しだけいつもより声のトーンが低いのは母にも伝わったのだろう。困惑したように母さんがトニーとわたしの顔を覗き込んだ。


「まあ、話はさておきとしてどうぞ」

 わたしは小さく咳払いしてから、そっと微笑んでシドとキースを見つめた。

 テーブルの上に並んだのは、店で販売しているパンとキッシュが数種類と、肉団子と野菜の煮込み料理。チーズとトマトのサラダ、キノコのスープ。

「ありがとうございます」

 シドが母さんに笑顔を見せて頭を下げるのを見て、何だか気を遣われている、と考えてしまって後ろめたさを感じた。


 母さんがにこにこしながら厨房へと姿を消すと、わたしはそっと息を吐いた。

 トニーはこの場の空気など気にせず、一足先に料理に手を付けている。その勢いたるや、全ての皿を空にするような勢いだ。

 わたしが取り皿にシドとキースの分の料理を取り分けようとしていると、すぐにキースが軽く手を挙げてそれを押しとどめた。

「あの、私の分は結構ですので」

「そう? さっき、ほとんど食べられなかったんじゃない?」

 歓迎会はまだ始まったばかりだというのに、わたしたちはあの場から出てきてしまったのだし。

 そう首を傾げると、彼は申し訳なさそうに眉根を寄せた。

「……あの事件の後、あまり……食べられなくなってしまって」


 あの事件。

 メルヴィル家の事件ってことかしら。


 さらにわたしが怪訝そうな表情をしてしまっていたのか、彼はぎこちなく笑おうとした。でも、それは笑いの形にはならなかった。


「二本足のウサギって知ってますか」

 彼はやがて小さく訊いてきた。

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